ニールの明日

第二百七十四話

 ヨハンは部屋に戻って行った。
「はぁー……大変だなぁ、ヨハンも」
「別に……それが生きがいなんだろう。あいつの」
「俺はもっと別の生きがいが欲しい。例えば、刹那・F・セイエイ。――お前とか」
 ニールは刹那にキスしようとした。
「やめてくれ。ニール。――少なくとも今は」
「なら、ベッドへ行こう。――そういえば、アレルヤが朝食作ってくれるって言ってたな。アレルヤのヤツ、俺には何にも言わないで、ヨハンに先に言うなんて――俺らは友達じゃなかったのか?」
「――ガンダムマイスターだろ。今行けば面白い物が見られそうだ。食堂では」
「そうか。――ベッドへ行くのはいつでも出来る。食堂の方へ行ってみよう」

 食堂では、コック長とアレルヤとティエリアが何だか訳のわからないものを作っていた。
「何作ってるんだ? アレルヤ」
「チーズフォンデュを作る機械だよ」
 アレルヤはにこにこ。
「これを使えば、おやつの時間にチョコレートフォンデュも出来ますよ」
 コック長もご機嫌だ。
「そいつは楽しそうだ。――ベルはどうした?」
 ニールが訊く。
「クリスティナ・シエラの部屋に戻った。あの娘は聞き訳がいい」
 ティエリアが些か得意そうな響きを潜めながら言う。親馬鹿はアレルヤだけではないらしい。
「今夜はクリスの部屋にベルを預けておこうか」
「アレルヤ――それじゃクリスティナ・シエラも大変だろう」
「大丈夫だよ。ベルはいい娘だから。それに――今夜は僕達も二人で過ごしたいし」
「アレルヤ……」
 ピンク色のムードが絡みつく。ニールが刹那の方を見た。
「――何だ?」
 刹那がニールを睨む。
「あいつらラブラブだから羨ましいなぁ、と思って。そういや、俺、お前を部屋に連れて行こうと思ってたんだよなぁ――」
「まぁ、暇つぶしにな……」
「暇つぶしなんて、照れ隠し言うなよなぁ」
 ニールは刹那の方に近寄る。刹那は避ける。
「――何だよ」
「ここでは嫌だ」
「僕達だったら気にしないよ」
 と、アレルヤ」
「ニールと刹那も仲が良さそうでいいねぇ。――刹那はシャイなのかな?」
「そうなんですよ。困ったもんですね」
「煩いぞ、ニール」
 刹那が尖った声で言った。
「これ以上変なことを言ったらお前の部屋に行く話はなしだからな」
「そんな~、刹那~」
 ニールが泣き真似をする。アレルヤがくすっと笑う。そしてこう言った。
「僕はニールの気持ちわかるなぁ」
 ティエリアもツンデレだしなぁ……ニールはそう思う。アレルヤもニールも、恋人の好みは似ているらしい。たまたま互いにツンデレな恋人がいるというだけだろうが。
 それにしても面白そうだ。――何か手伝うことはないだろうか。
「何か手伝おうか?」
「いや、これ以上はいい。――いや、あそこにコーヒーの機械があるだろう。あそこからコーヒーを持って来てくれ」
 ティエリアが指示を出す。ニールはコーヒーを淹れる。――いい香りがした。
「俺達もコーヒー飲むか? 刹那」
「――そうだな」
 ニールも刹那もコーヒーは好きだ。コック長もコーヒーにはこだわりがある。――アレルヤはまだ作業を続けている。彼は器用なのだ。
「アレルヤ。――ちょっと休んでいいかね。コーヒーの匂いを嗅いだら、コーヒーブレイクがしたくなった」
「いいですよ。俺はもうちょっと続けてますから」
 コーヒーの香りが立つ。ニールは、ふうふうと冷ましながら飲んだ。
「合成コーヒーではないからいいですよね。ここのコーヒーは」
 ニールが満足して目を細める。
「地球で仕入れてくるんですよ」
 コック長は得意そうに言う。
「俺はコック長――アンタの料理も旨いと思うが、アレルヤと組んだら更に旨い物が出来そうだな」
「ありがとう、刹那」
 アレルヤが伸びをする。
「僕もひと段落しようかな。――やぁ、モカだ」
「ブルーマウンテンも好きだけどね。私は」
「ティエリアはモカが好きなんだ。僕も好きだよ」
 アレルヤとコック長がコーヒー談義で盛り上がる。ティエリアは黙ってコーヒーのカップに口をつける。
「俺は飲めれば何でもいい」
「寂しいこと言うなよ。刹那――お前にだって好みとかあるだろ」
「それはあるが、苦手なものでも我慢する。――というか、苦手なものなんてないからな」
「偉いな、刹那」
 ニールは刹那の頭をよしよしと撫でる。
「別に偉い訳ではない。食物の好みをあれこれ言える環境にいなかっただけだ」
「…………」
 そうか。刹那が滅多に食べ物の好き嫌いをあれこれ言わないのは、シビアな背景があったのだ。――そう知って、ニールも黙り込む。
(ニール……刹那は大丈夫だよ。それに、好き嫌いがないのはいいことじゃないか)
 アレルヤが脳量子波で慰めてくれる。
(――そうだな……)
 ニールも返事を送る。何を考えたのか、刹那は、
「さっき、飲めれば何でもいいと言ったが、このコーヒーは好きだ。それに、アレルヤの料理も」
「ありがとう。君の舌に適って嬉しいよ。刹那」
「――ここに来て、だんだん生きる喜びが湧いて来た気がする。食べる喜びも。お前のおかげだ――アレルヤ」
「刹那。君はニールにも世話になっているんじゃないかい?」
 アレルヤの言葉に、刹那はニールの方を向いた。――刹那が言った。
「性行為の素晴らしさを教えてくれてありがとう。ニール」
 全員がぶっとコーヒーを吹き出した。
「いやぁ……」
 直球だったのでニールもびっくりした。そしてくっくっと笑う。刹那はどこかズレている。そのズレさえも愛おしい。
「こりゃ何だか……こちらこそどうも」
「――そうだね。君達を見ていると、私も愛する妻に愛を囁きたくなって来たよ」
 コック長の妻は地球にいる。経済特区・日本の一角に、彼の家がある。アレルヤがコック長に訊いた。
「モニター室に行くかい?」
「……いや、ここで最後の仕上げをするよ。それに、あそこは今、イアンが占領しているからね」
「イアンはELSが気に入ったらしい」
「――そうだ。邪魔はしたくはないからね」
 コック長はいい人だ。彼もELSと話が合うだろう。ニールは何となくそう思った。イアンとも、ELSのことで話が合うかもしれない。――ELSを好きになる人は多いであろう。ニールも嫌いではない。
「ELSは沢山の人間の考えを知りたいんだ。好奇心の塊だな」
「ああ。それに、彼らは死なない」
 ――俺達は死なない。先程の刹那の台詞をニールは思い返す。それがどういうことを指すのか知らない。もしかして、ガリバー旅行記に出て来た不死の人間のように、年を老いても死という祝福が訪れないのかもしれない。
 けれど、永遠の苦痛も祝福に変わる。刹那はそう言っていた。――ニールがいれば。
 ニールはまだ、その言葉の意味することを頭でしか知らない。能力は刹那の方が上だ。それでも――ニールにも、刹那がいればいい、と言う思いがある。
 コーヒーを残す者はいなかった。ニールはお礼の代わりに空になったコーヒーカップを全員分洗ってやった。

2019.05.09

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