ニールの明日

第二百七十三話

(刹那、ちょっと――)
 ニールが脳量子波で刹那に語り掛ける。今、彼らが歩いている廊下はぴかぴかで、清潔な香りがする。
(ああ、済まん。今、アレルヤと話してたんだ――)
(僕はいいよ。聞いてくれてありがとう、刹那。じゃあね、ニール。邪魔はしないから)
 ……俺の方が邪魔だったかな。ニールが密かにそう考える。
(刹那、ベルのことだけど――)
 ニールが刹那に向かって心の中に伝えた
(ああ、ベルベットか。アレルヤもあの娘のことを話していたな。あの娘は天才じゃないかとか、何か、そんな風なことを――)
(俺もあの娘が天才であるというのに異論はない。でも、ちょっと話しにくくてな。誰かに聞かれたらとか思って……ここには誰もいないんだけど。――でも、脳量子波で話していいか?)
(俺は別段構わないが――)
(あのな、思い出はなくならないって、ベルが言っただろ? あれ、データスティックにその人の映像が残っているから消えないとか――そういう意味じゃないよな)
(お前もアレルヤと同じことを言うな――そういう意味も確かにあるかもしれんが、ベルベットの言ったことはもっと深い概念だ)
(やっぱり……)
 ニールは廊下に座った。
(どうした。ショックだったか?)
(前々から思ってたけど――あの娘は天才だな)
(わかりきっていることをどうして改めて言う? お前もアレルヤも――)
(俺が心配なのは、将来あの娘が危機に晒されないかと言うことだ。例えば何かの実験台にされたり――。ベルはイノベイドと超兵の間に生まれた娘だ。平行世界から来た子供だ。今はいい。俺達が守っているからな。だが――)
(ニール。あの娘は自分で自分の身を守れる。――実は、俺は十七歳のベルベットと話したことがある。彼氏もいて幸せそうだったよ)
(十七歳って……お前未来のベルと話したのか?)
(別に何てことはあるまい)
(ふん、どうせ俺には未来のベルと話す力はねぇぜ)
(――ニールだったらそのうち俺と同じ力が身に付く)
(未来を予知したり、未来のお前と喋れたりとかか? ――そりゃあ確かに便利だが、俺は今のままでもいいと思ってるぜ)
(そうか……)
(それに……ちょっと悔しいけど、俺はお前が俺より優れたイノベイターになるのが何より嬉しいんだ)
(ありがとう。お前は他人のことを思いやれる男だ。ニール)
(あ、えへ、そうかな――)
(お前とだったら永遠を生きられそうな気がする)
(共に永遠に――か。まぁ、永遠でなくてもいい。死ぬまでお前とつるんでいることが出来りゃあな)
(ニール……俺達は死なない。――というか、死ねないんだ。例え、この世が嫌になろうとも。けれど、ニール・ディランディ。お前とだったら永遠の苦痛も祝福に変わりそうな気がする)
 そこで、刹那の足がぴたりと止まった。
「刹那?」
 ニールが声に出して言った。
「はーい、ニール、刹那ー!」
 ネーナ・トリニティの明るい声がする。ニールは刹那とネーナの間に立ち塞がった。
「あらやだ。ニールったら無粋ね」
「無粋でも何でもいい。――刹那に近づくな」
「あら、おかんむりね」
「今、刹那と俺は大事な話をしてたんだよ」
「大事な話って? 二人ともむっつりと黙り込んでいただけじゃない」
「あ、そうか――」
(ネーナはイノベイターじゃないんだな)
 ニールは些か得意になった。
(俺がお前との会話を聞かれないようにしていたんだ。――まぁ、ネーナがイノベイターでないのは本当だけど、素質はある)
(マジかよ……今みたく刹那と内緒話も出来なくなるのか……)
(大丈夫だ。ニール――ネーナがイノベイターになっても、多分今と変わらん)
(そっか――安心したぜ。刹那)
「まぁ、何よ。また黙り込んじゃって」
「知りたきゃ心が読めるようになるんだな。まぁ、尤も、アンタが俺達の話を聞けるようになったって、アンタにゃ高尚過ぎてちんぷんかんぷんかもしれねぇけどな――今日はミハエルはどうした」
「別にぃ? あたしだっていつもミハ兄と一緒にいなくたっていいじゃない」
「その台詞を聞いたらミハエルは泣くな」
「だって、あたし達だっていつかは死ぬんだから……」
(俺達は死なない――というか、死ねないんだ)
 さっきの刹那の言葉が思い浮かぶ。それは、刹那はニールと共に永遠を生きることになるということだろうか。
「アンタ達だって死ぬのよ。てか、あたしはアンタを殺してやりたいわ。ニール。いっつも刹那との仲を邪魔して――それとも、アンタ達は同時期に死ぬの? それとも永遠に生きるつもりなの?」
 ――刹那が謎めいた表情を見せた。
「……そうなの?」
 ネーナは真っ青になった。
「あたし、もう行く」
「……どこへ行く」
 刹那が訊いた。
「アンタ達のいないところよ。永遠に存在し続けるなんて、ゾンビか妖怪ぐらいだわ」
 そして、ネーナは姿を消した。多分、ミハエルに慰めてもらうつもりなのだろう。ニール達にはあんなことを言っていても。ネーナの話を真剣に聞いてくれる者なんて、ミハエル・トリニティしかいないのだから――。
「なぁ、刹那。俺らは本当に死なないのか?」
「――今のままならな。ELSも死なないし」
「あんな金属片と一緒にするなよ!」
「その台詞を聞いたらELSは泣くな」
「お前……俺の台詞を真似するなよ」
「ELSだって望んでああいう姿に生まれた訳ではあるまい。――けれど、彼らは自分の望んだ姿に自分を近づけようとしている。――俺達と同じように」
「…………」
 ニールは望んでいた。いつだって望んでいた。――刹那が変わることを。
 でも、これは、少し違う――。
「刹那。俺は天国へ行ってアリーやその子達と遊びたかったぜ」
「なら、そう願えばいい。願いはいつか必ず叶う」
「――父や母やエイミーにも会えるか?」
「……本気で願えばな」
「――刹那、お前は鋼鉄の心の持ち主だ。……今までずっとそう思っていた。けれど、お前は、きっと誰よりも気高く優しい」
「一人でいるのが嫌なだけだ。だからアンタを巻き込んだ。済まない――そう思っている。お前にはお前の行く道があっただろうに、俺がそれを捻じ曲げようとしている。誰にもそんな資格はないのに」
「なぁに、俺はお前といられればそれで結構だよ。恋ってそういうもんだろ?」
 そういえば、俺達、いつの間にか声に出して喋っているな。ニールは改めて気が付く。
「なぁ、刹那、こういう時こそ脳量子波で――」
「誰か傍にいるか?」
 ――ニールがきょろきょろと辺りを見回した。
「いないけど」
「ならいいじゃないか」
「――そうだな」
 しばらくよしなしごとを話していた時、廊下の陰からヨハン・トリニティが出た。
「わっ?!」
 ネーナはニール達を妖怪扱いしたけれども、(こんな臆病な妖怪がいるものかね)と心の中で呟いた。
「やぁ、ヨハン」
「お前ら、ネーナに何を言った? ネーナがミハエルの膝で泣いてるぞ」
 やはりミハエルのところに行ったか――。
 ヨハンの声にも怒気が混じっている。シスコンなのはミハエルばかりでもなさそうだ。
「俺は本当のことを言っただけだ」
 ニールは驚いて刹那の方を見た。そして続けた。
「――俺もだ」
「まぁいい。俺達は今、CBに世話になっている。あまり騒動も起こしたくはない。ミハエルは起こしたがっているようだがな」
「わかってる。でも、俺にはミハエルよりアンタが曲者という気がするぜ」
「否定はしない。ああ、そうそう。明日はアレルヤが朝食を作ってくれるそうだ。皆で楽しみに待っていよう。ミハエルとネーナにも伝えておけば、あの二人も少しは元気が出るだろう。――私はあの二人の面倒を見る為に生まれて来たんだ。トリニティ・チームのリーダーとして」

2019.04.26

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