ニールの明日

第二百七十六話

「ルイス、沙慈・クロスロードは……」
 刹那が言いかけようとしたその時だった。
 ガッチャガッチャガッチャ……金属音の触れ合う音がした。と言っても、ELSの立てるような優雅な音ではなく、耳障りなそれ。ラッセ・アイオンと、沙慈・クロスロードが、金属の大きな部品を持って食堂へやって来たのだ。コック長が手招きをする。
「やぁ、沙慈、ラッセ・アイオン――手伝わせて済まなかったね」
「いえいえ。僕も暇だったものですから」
「沙慈!」
 ルイスが目を輝かせた。嬉しそうに弾む可愛い声。匂いたつような色気。――ニールはアンドレイが少し気の毒に思えた。アンドレイもルイスが好きだったから……。
(ニール……アンドレイにも番の相手はいる)
(あ、ああ……刹那、お前の言う通りだといいけどよ……)
 けれど、それは未来の話になるかもしれない。アンドレイが素敵な恋人に出会えるようにと、ニールは祈らずにいられなかった。少しセンチメンタルだが。
(ニール。お前は優しいな)
 刹那の声がまた聞こえたので、ニールは刹那の方を見た。刹那はチーズの噴水を見つめている。
「そこ、置いていいぞ、沙慈」
 ――ラッセの声で、ニールは我に返った。沙慈は重たそうな金属を床に置く。
「悪いな。手伝わせちまって」
「いいえ……ちょうど気持ちが上向きになって良かったです」
 沙慈が物腰柔らかくラッセに礼を言う。
「なぁに、それ」
「べるねえ、きっとあれとおなじものだよ」
 リヒターがチーズの噴水を指差した。ラッセが説明する。
「そうだよ。これは、あのチーズフォンデュの噴水と同じものだよ。ただ、これはチョコレートフォンデュの機械で……わかるか? チーズの代わりにチョコレートが流れて来るんだ」
「わかったのー!」
「ぼくもー!」
「あらあら。二人ともご機嫌ねぇ」
 そう言ったクリスの笑顔はすっかり母親のものだった。
「皆、大人になっていくんだなぁ……」
「何を当たり前のことを言ってるんだ、ニール――お前も大人になったぞ」
 刹那が言った。
「そりゃ、瀕死の状態をくぐり抜けて来たからねぇ。刹那、お前ちょっと生意気になったな。――なんてな。お前も大人になったよ」
「ニール……」
「おうおう、見せつけてくれるねぇ。こちとら独り者だと言うのに」
 ラッセが苦笑していた。
「ラッセはいい男だから、すぐに相手が見つかるわよ」
 クリスがお世辞を言う。
「――だといいがな」
「……ラッセは相手を見つけるのが難しいかもしれない」
 刹那は厳しいことを告げる。アンドレイに対する時とは大違いだ。
「何だよ。やっぱり刹那は生意気なままじゃねぇか……」
 ラッセが刹那を小突く。刹那は微笑む。
「ラッセ・アイオン。アンタは独りでも生きていける男だ」
「ありがとよ――と言っていいのかねぇ……独りで生きていける男もやはり伴侶は欲しい」
「心から願っていればそうなるだろう」
 そう言う刹那はやっぱり優しい――ニールはそう思った。確かに、ラッセは独りでも生きていける。例え、孤独の中でも強く枝葉を広げて、皆を守るいい男だ。
「刹那は占い師めいて来たな……」
 でも、ラッセはさっきの言葉が嬉しかったらしく、「ありがとよ……」と刹那にそっと囁いた。ニールにも、ラッセの気持ちがわかった。ニールも孤独の中を生きていける男だ。
 それでもやはり、刹那が――伴侶が欲しい。
「あいつらはあいつらでよろしくやってるしな……」
 ラッセは沙慈とルイスを指差した。二人はお互いにじっと見つめ合ったまま話していたのだ。
「あらやだ……ラッセったら……」
 赤く染まった頬をルイスは隠そうとする。ニールと刹那、そして沙慈は同時に思った。
 乙女だ――!と。
 沙慈にはニールの脳裏に彼の思考が流れ込んできたのかわかったのかわからないのか――いや、何か伝わったのだろう。沙慈は驚いた顔でニールの方を向く。ニールは素知らぬ顔でそっぽを向く。
(なぁ、刹那。ルイスはあんな性格だったか?)
 ニールが尋ねてみる。
(いや、もっと我儘なお嬢様だった)
(もう、二人とも――!)
 ルイスはちょっと拗ねた声音である。昔のことを言われて恥ずかしいのだろう。ニールはニヤニヤ笑った。
(あー、沙慈。聞こえるか?)
「聞こえてますよ! ――ああ、失礼。独り言です」
(何ですか? ニールさん)
 沙慈は脳量子波に切り替えた。
(何も。いい女に育ったな。ルイス)
(そうですよね……俺なんかには高嶺の花かも……実家は金持ちだったし……アンドレイとの方がきっと似合う……)
(馬鹿野郎!)
 ニールは思いっきり脳量子波で沙慈に怒鳴りつけてやった。
(あの娘が――ルイスが選んだのはお前なんだぞ! 自信持て!)
「は……はい!」
「沙慈……?」
 ルイスが心配そうに沙慈の顔を覗き込んでいる。
「ニールさん、さっきの言葉、嬉しかったです。沙慈……私からも言うわ。自信持って……」
 そして――。
 ルイスが沙慈に口づけた。
「ヒュー、ヒュー」
 ラッセが囃し立てた。さっき、「伴侶が欲しい」と呟いていた男はどこへ行ったのだろう。その代わりに、自信たっぷりの青年の顔が現れた。ラッセはがしっと沙慈の肩を掴んだ。
「お前はいい彼女をもったよ。誰でもそんな彼女が持てる訳ではない。――お前は、三国一の幸せ者だ」
「は……はい……」
「沙慈と上手くやれよ、ルイス」
「まぁ……」
 ルイスは恥ずかしそうに俯いた。ニールは見逃さなかった。その時、一瞬ルイスがラッセ・アイオンに恋したことを。
(やるねぇ、ラッセ……なるほど、今のアンタなら、意中の女も簡単に落とせるかもな)
 ぱちぱちぱち。
 ベルベットが小さな手を叩く。
「いまのさじおにいちゃまとるいすおねえちゃま、とうさまとかあさまといっしょなの」
「どうして?」
 リヒターがベルベットに訊く。クリスは代わりに答えた。
「仲良し――ってことよ」
「ふぅん。よかったね。さじおにいちゃま」
 リヒターがベルベットの口ぶりを真似した。
「おや? この坊主、こんなに喋れたか?」
 ラッセが首を傾げる。
「結構前からお喋りだったわよ。この子は。その……ベルちゃんがいろいろ教えてくれているから。あ、でも、教育に悪いことは何も言ってないからね」
「良かったな、ベルベット。友達がいて――」
 ティエリアがベルベットの頭を撫でる。ベルベットは無邪気に笑いながら、
「そうなの。りひちゃまはべるのともだちなのー」
 と言っていた。ベルベットはリヒターの頭も撫でる。
「ベルベットと遊んでくれてありがとう、リヒター」
「うん、ぼく、べるねえだーいすき」
「ところで、アレルヤはどこへ行ったんだ?」
 ここだよ――アレルヤの声がする。夕飯を用意するコック長を手伝っていたらしい。こいつは飯の時間が楽しみだ。――ニールは口中に唾が湧いて来たのでごくんと飲み込んだ。
 ラッセ・アイオンと沙慈・クロスロードは、チョコレートフォンデュの機械を組み立て始めた。俺もやるよ、とニールが言う。流石俺のニールだな……と揶揄した口調の刹那の声がどこからか聞こえた気がした。

2019.06.08

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