ニールの明日

第二百七十二話

「どこ行ってたんだ。アレルヤ。――探したんだぞ」
 ティエリアが言った。アレルヤの伴侶。匂い立つ美しさを持った存在。
 けれど、ニールには刹那がいる。南国の果実めいた匂いでニールを惹きつける青年。
「ああ……心を読めばわかっただろう? ティエリア」
「君を探すというプロセスを大事にしたかったんだ。それに君にも秘密はあるだろうし」
「まぁ……そうだね。今までハレルヤと話してたんだ」
「あの男は好きじゃない。――それで?」
「僕達に協力してくれるそうだ」
「――良かったな」
「ああ」
「――アレルヤ。沙慈とライルを呼んできていいか? ――その、あのことで」
 ニールが言う。刹那が頷いた。
(ニール――そのことについて、俺には否やはない。――この俺が、リボンズを殺したようなものらしいからな……あの男と対決をして。――お前のいない世界の話だが、どこかに存在する世界の話だ)
(刹那……)
「僕も……沙慈やライルと話したかったんだ。――リボンズのことを」
「よし、じゃあ決まったな!」
 ニールはこのガンダムマイスターのリーダー的役割を担っている。最年長であるばかりではない。ライルだって、双子の弟だから同い年だ。けれど、ガンダムマイスターはやはり相変わらずニールを頼っている。
『ニールには人を惹きつける力がある』
 そう言ったのは誰だったか。アレルヤだったか、刹那だったか――。勿論、ニールもそう言われて嬉しくない訳ではない。
「僕の部屋に来てくれ。みんな」
 ティエリアが言った。ベルベットはまだクリスの部屋にいるらしい。おあつらえ向きだ。

「――紅茶、飲むかい?」
 部屋に着いたアレルヤが訊く。アレルヤの淹れてくれた紅茶は美味しい。――だが、皆はそれどころではなかった。沙慈・クロスロードとニールの双子の弟ライル・ディランディもいる。憂い顔の沙慈に、能面のような表情のライル。
「全員、紅茶はいらないみたいだ――」
「そうか……」
 アレルヤは残念そうに呟いた。
「すまねぇな。アレルヤ。けれど、アレルヤの紅茶が不味いって訳じゃねぇ。今は、いろいろあってそんな気になれないだけだ」
「そうだな」
 ニールの言葉に刹那が同意する。俺達も気が合うようになってきたものだと、ニールは考える。
 只事ならぬ雰囲気を察したのか、沙慈が訊く。
「あの……何があったんでしょう……」
「そうか。君は知らないんだな。――リボンズ・アルマークが死んだ」
 ティエリアが厳かに言った。沙慈の目が見開かれる。
「――と言っても、勘違いするなよ。死んだのは平行世界のリボンズだ。この世界のリボンズではない。――この世界のリボンズは、まだ生きていると思う。――僕はね」
 刹那がティエリアに、
「わかっている」
 ――と答えた。
「けれど、あの時姿を消してから――リボンズの気配がしない。死んではいないと思うのだが……」
 刹那にティエリアが頷きかけた。
「僕にもリボンズの気配はわからない。あの男はイノベイドだったから、気配を消して虎視眈々と雪辱を晴らす機会を窺っているとしても不思議ではない。僕の知ってるリボンズ・アルマークならな」
「でも――あの人は王留美さんとグレンさんの結婚式の用意をしたりしてくれたんでしょう? それは、彼なりの企みがあったからかもしれないけど……それから、イノベイター達を世話したりして……そりゃ、イノベイターが人間より優れた存在だ、と言われた時にはカチン、と来たけど――」
 沙慈が口を開く。
「あの男がただで動くわけがない」
 刹那が断言した。ニールもそう思う。
 王留美もグレンも、今は幸せそうだ。王留美はどこに行ってもやっていける女だ。今頃グレンと一緒にゲリラ兵達を上手くまとめているかもしれない。
 トントントン、とノックの音がした。
「とうさま? かあさま?」
 ベルベットの可憐な声がする。ベルベットは平行世界のアレルヤとティエリアの愛娘だ。
「ちょっと待ってて」
 ――アレルヤがドアを開ける。ベルベットが入って来た。
「あのね。とうさま――なきごえがするの」
「泣き声?」
「りぼんずがしんだ――って、なきごえがするの。とても、かなしそうなの――とうさま、かあさま、しってなぁに? こわいこと?」
 死か――。
 ベルベットの年齢では、死と言う言葉の意味が何かということさえ、わからないかもしれない。
「いいか、ベルベット。その言葉を説明するのは今はまだ難しい。だから、イメージを送るよ」
 ティエリアがそう言ってベルベットの頭に手を置いた。
「――これがしなの?」
「そうだ。残された人はその人をいつまでも偲ぶものなのだ」
 ティエリアがベルベットの頭から手を離した。
「かあさま、しって、こわくないね」
「何故、そう言える」
「だって、そのひとがしんで、ざんねんにおもうひとがいるんでしょう? ずっとそばにいてほしかったとおもうひとがいるんでしょう? だったらべる、しなんてこわくない」
「――その人と会えなくなってもか?」
 ティエリアがベルベットの言葉に驚愕しているようだった。ベルベットが笑った。
「だって、そのひととのおもいではなくならないもの」
「おお、ベル……」
 アレルヤがいきなり小さなベルベットを抱き締める。アレルヤは泣いていた。ベルベットがよしよし、とアレルヤの頭を撫でる。
「とうさま、こどもみたい」
「僕は嬉しいよ。君みたいな娘がいて――もし僕とティエリアの子供でなくても、君は好きだ。きっと好きになっていた」
 ティエリアがしゃがんだまま眼鏡をずらして目元を拭う。ニールがティエリアの方を向くと、彼はそっぽを向いた。――泣いているところ見られて、恥ずかしかったのだろう。
 それにしても、なんていう子だろう。ベルベット・アーデは。
 この娘の一言で、この場が和んだ。
(子供って強いな――)
 ニールも感嘆せずにはいられなかった。ライルがずっ、と鼻を鳴らす。
 ――やがて、アレルヤはベルベットを解放して立ち上がる。まだ話し合いは終わっていないのだ。
「ベルの言いたいことはわかる。けれど、こっちの世界でのリボンズには、まだ亡くなって欲しくない。――俺は、そう思う」
 刹那が言い切った。
「そうだな。――恩返しがまだだったな。理由はどうあれ、お前の命を助けてくれた。リボンズもガンダムに乗っていたからな」
「ああ……あいつも、ガンダムだ」
 それは、刹那にとっては最高級の褒め言葉だった。
「リボンズを助けるのか……あまり気乗りしねぇな……」
 ライルが言った。もう、さっきまでの能面のような表情ではなくなっている。いつもの少しお調子者っぽいライルに戻っていた。
「でも、兄さん。決めるのはアンタだぜ。今はまだ全然行方がわからないけど、リボンズがどこかから現れたら、協力するか、否か」
 ニールは考える。
 リボンズはどこへ消えたのか――いつ現れるかわからない。何を考えているかもわからない。あの男には、通常の倫理観が欠けている。――それを何とかしなくては。ガンダムマイスターのリーダーとして、ニールは言った。
「俺はリボンズには協力しない」
 ニールはそう宣言して、皆の顔を見た。いろいろな顔があった。何があってもニールについて行こうとする者、少し眉を顰めている者、どうしたらいいかわからない、という様子の者――。
「リボンズの意志に従うのじゃない。リボンズの意識を変える。――俺達はリボンズを味方につける。ここで暮らしているイノベイターや俺達の為にも」
 そして、――もしリボンズが生きていたらの話だがな、と小さく付け加えた。
「おお……ニール……」
 刹那は柄にもなく感動したようだった。
「無駄な試みかもしれない。最終的には、この世界のリボンズも敵に回すかもしれない。――だけど、俺達は、諦めない。ただ殺すのは簡単だ。でも、俺は――あいつを生かしたい」
「そうだね。CBのモットーにも適っているよ。来るべき対話――僕は、リボンズを説得する。例え武力を使ってでも。僕も、決して諦めない。――ハレルヤと決めたことだ」
 アレルヤが微笑んだ。沙慈も、同意見のようだった。殺すのではなく、生かす為の戦い。その概念が、沙慈にも快く映っているらしい。
「とうさま、かっこいいの」
 そう言ったベルに、
「ベルベット、お前にもいつかいい恋人が現れる。この空気を作ったのは君なのだから」
 ――勿論、ニールはティエリアの肩を持つ。

2019.04.16

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