ニールの明日

第二百七十九話

「……は……」
 ビリーが端末の向こうから、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「良かったなぁ! ビリー! なぁ、良かったなぁ、ミス・スメラギ!」
「あ、えっと……」
 スメラギ・李・ノリエガもどう言ったらいいのかわからなかったらしい。つい、と言ったように俯いてしまった。
「ビリー、大丈夫か?」
「え、いや……僕は、スメラギ……いや、リーサ・クジョウはエミリオのことしか考えてないと思っていたから――」
 ビリーはあわあわと泡を食っていた。
「いやぁ、良かった良かった。二人とも心は結び合わさってたんだなぁ。俺と刹那の如く――な」
「……仰天はしたけれど――」
「ビリー……CBに来ない?」
 スメラギがビリーを誘う。後れ毛を掻き上げながら。その匂やかな仕草で、やはりスメラギも女なのだ――と、ニールは改めて思った。
「それは……伯父にも相談しないと……」
「そうよね。いいわ。今のは忘れて。その代わり――今度もまた連絡していいかしら。今度はニール・ディランディ抜きで。ね、いいでしょ? ニール」
「ミス・スメラギがそう言うなら、俺には何の異存もございません」
 ニールは冗談ぽくそう答えた。
「じゃ。じゃあ……僕も……またいつか、君に通信送ってもいいかな」
「勿論よ!」
 スメラギの豊かな胸が揺れたように思った。
(ここから先は二人の時間だな――)
 ニールはそう思って、黙って部屋を出て行った。気配を消しながら。

(刹那! ビッグニュースだ!)
 ニールが脳量子波で刹那に伝えた。
(――は?)
(ばっか。今、俺の心を読まなかったのかよ。――ビリーとミス・スメラギが結ばれたぞ!)
(そうか――)
 刹那の想いは温かかった。
(――良かったな。スメラギ・李・ノリエガも、ビリー・カタギリも)
(だろう? パーティーでも開いてやりたい気分だぜ)
(……止めておけ)
 ニールは本気だったが、刹那に止められた。
(それに、スメラギ・李・ノリエガには確か死んだ恋人がいたはずだが?)
(あー、そうなんだよな……でも、人は生きていかなければならないから――生きている人間を恋人として求めるのも仕方ないんじゃねぇか?)
(ニール。お前の言う通りだ。――スメラギの死んだ恋人、エミリオ・リビシが何か言っている。リーサ・クジョウ。お前の魂を解き放つ時が来た、と。あれでもスメラギに済まながっていたらしい。自分が死んだせいで、スメラギの幸せを奪ってしまったと)
(ミス・スメラギの代わりにエミリオに伝えてくれ。彼女を見守っててくれてありがとう――と)
 ――こちらこそ、ありがとう。
 エミリオらしき男の声が聞こえた。
 いえいえ、どういたしまして。アンタの生きている間は、ミス・スメラギは紛うかたなき幸せを得ていたのだから――。
 ニールは口笛を吹きながら食堂に入った。

 食事は美味しかった。アレルヤとコック長のオハラがタッグを組んだら無敵だ。
「皿洗い、手伝うぜ」
 ニールが厨房に入る。刹那もついて来た。
「――俺も」
「あ、じゃあお願いするか。ニールに刹那」
 オハラが相好を崩した。アレルヤが、助かった、と言う表情をした。料理はいいが、食器洗い乾燥機の調子が悪い、とオハラがこぼしていた。一週間前ぐらいからいかれているようだった。だから、みんな手作業なのだ。
「ああ、アレルヤは休んでな。明日も朝飯作るんだろ? ――オハラも休んでいるといい」
「そうか……なら、お言葉に甘えて。頼んだよ。君達」と、アレルヤ。
「私はやってもいいけれど――」
 そう言ったオハラは美味しい料理を作るだけでなく、後片付けもしてくれているのだ。こういう縁の下の力持ちが、トレミーには必要なのだ。
「こっくさん、べるもてつだうの」
 ベルベット・アーデが言った。ベルベットを追って厨房の入り口で立っているティエリアは思案顔だ。
「ベルベットにはちょっと難しいところもあるのではないか?」
「でも、食器を拭くぐらい出来るよね――そうだろう? ベル」
「うん!」
 アレルヤの言葉に、ベルベットは明るい声で答えた。
「かあさまにとうさまのてつだいするようにいわれたの」
「――ティエリアに言われたのか」
 アレルヤがくすっと笑った。
「僕が言った訳じゃない」
「そっか。じゃあ、あっちの世界のティエリアが言ったのかな?」
 ベルベットは、不思議そうにアレルヤに目を遣った。
「とうさま。かあさまはかあさまなの」
「そっか――僕もベルに手伝って欲しいな。オハラ。やっぱり僕も片付けやるよ」
「じゃあ、お願いしていいかね」
「勿論」

「きゅっきゅきゅっきゅ~」
 ベルベットが鼻歌を歌いながら皿拭きをしている。オハラは、イアンがいれば、食器洗い乾燥機も直るだろうかと、算段をしている。
「きれいになったの~」
「良かったね、ベル」
 アレルヤが優しい声で言った。アレルヤはもう、父親の顔をしている。
「アレルヤはすっかりメロメロだねぇ」
「そうだな」
 そう言って、ニールと刹那も嬉しそうに微笑む。
「僕も手伝おうか?」
「い、いや、君はいいよ。ティエリア」
 アレルヤが冷や汗をかいているのが目に見えるようだ――ニールは思った。どうしても、家事に向かない人種というものはいるのだ。ティエリアも、昔はよく食事関係の手伝いをしていたのだが、どうも、向いてはいないようで……。
「私がやるわよ。その続きは」
 リンダ・ヴァスティが言った。――助かった。
 ここの厨房はあまり広くはない。狭いと言う程ではないのだが。あまり人数が増えるのもどうかと思う。
「そうだ。ティエリアには情報収集やってもらおうかな」
 アレルヤが、グッドアイディアとでもいうように、手をぽんと叩いた。
「僕は邪魔だって訳か。わかったよ。アレルヤ。終わったら――めいっぱい慰めてやる」
「ティエリア……」
 アレルヤの頬に赤みが差すのが見えたように、ニールには思った。
(なぁ、刹那、今夜は俺達も――)
(――仕様がない)
 そう言いながらも、刹那の台詞にはほんの少し、嬉しさが灯っているのをニールは察した。
(今晩は寝かせないからな。覚悟しとけよ)
(程々にしてくれよ。それでなくても、お前の相手はしんどいんだから――)
(しんどい? しんどいだけか?)
(もうこれ以上訊くな――)
(答えてくれよ。刹那。おーい……)
 これ以上は、刹那も応える気はなさそうだった。ニールは刹那の隣で黙々と皿を洗っていた。
 けれども、ニールは知っている。刹那が自分を待っていることを――。
 素直じゃないんだからなぁ。刹那のヤツ。
 そして――今夜も二人は燃えに燃えた。ピロートークの時に、刹那は言った。
「こっちの世界のリボンズは無事だろうか――」

2019.07.14

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