ニールの明日

第二百八十話

 霧の立ち込める中に、ベルベットはいた。
「ここ、どこ……?」
 ベルベットは不安になった。
(とうさま、かあさま……)
 ベルベットはきょろきょろ辺りを見回した。今日はクリスティナ・シエラの元に預けられたが、本当は両親と共にいたかった。
(とうさま、かあさま、どこ……)
 ベルベットの目元から、じわっ、と涙が滲んだ。
 そこに誰も通りかからなかったら、ベルベットは本格的に泣き出したことであろう。
「――誰かいるの?」
 ベルベットは勘が良かった。イノベイターの素質があるからだろう。だが、そんなことはまだ子供のベルベットにはわからなかった。
「やぁ」
 それは、少年だった。――見かけは。
 若草色の髪。優し気な微笑みを湛えた美少年。
「――おにいちゃま? 誰なの?」
 そして、ここで思い出した。この人は、どこかで見たことがある。――確か……。ラグランジュで見た少年。
「いのべいたーのおにいちゃま……」
「リボンズ・アルマークだよ。宜しくね」
「りぼんずおにいちゃま……ふしぎ……まえはあんなにこわかったのに、いまは、こわくない……」
「怖い方がいいかい?」
 ベルベットはぶんぶんと頭を振った。
「だろうね。――あれから、もう随分経った気がする。僕の名前は覚えていなくても、僕の存在は覚えていてくれたようだね」
「りぼんずおにいちゃま、べるのこと、いのべいたーだって……」
「そうだよ。そして、僕がイノベイド。純粋種さ……」
「じゅんすいしゅ?」
 ベルベットが首をひねる。
「そうさ。そして、ティエリアには煮え湯を飲まされた……」
「かあさまはそんなことしないもん!」
「はは……そうだね。――こう見えても、僕は悪党なんだよ」
「でも、べるには、りぼんずおにいちゃまがてんしにみえるの……」
「ベルベット・アーデ。気を付けた方がいい。いくら見た目が美しくても、悪い人はいっぱいいるんだよ」
「りぼんずおにいちゃまはわるいひとなの――?」
「そうだね。……こんな僕を天使と呼んでくれた人はいたんだけどね。――尤も、そいつは僕の体しか求めてなかったんだよ」
 ベルベットがクエスチョンマークを飛ばす。
「ベルベット。君にはまだ早いかな。でも、僕の仲間になってくれるなら、僕はいつでもサポートするよ」
「いのべいたーは、べるのなかまなの?」
「そうである者もいるし、そうでないヤツもいる。――現に、ティエリア・アーデは僕を裏切った」
「かあさまはうらぎりなんてしないの!」
「はは、君にもそのうちわかるさ。――今日は、君とお話に来たんだよ」
「べると?」
「そう。僕はね、君と仲良しになりに来たんだよ」
「……でも、かあさまのことわるくいった」
「君の母様にも、僕がしようとしていることがわかったら、すぐにこちらに寝返るさ?」
「ねがえる?」
「おっと。また難しい言葉を使ってしまったね。君の父親はアレルヤ・ハプティズム。母親はティエリア・アーデ。――君は、あの純粋種のティエリアから生まれてきたんだよ!」
「かあさま……」
「そして、アレルヤは超兵だ」
「ちょうへい?」
「君はある意味サラブレット――いや、優れた存在なんだよ」
「……よくわかんない」
 けれども、何だか嫌な予感がして、ベルベットは震える自分の体をぎゅっと抱き締めた。
「……僕がどこにいるか今は言えない。言っても、多分ヤツらには辿り着けないね。刹那・F・セイエイが、僕を救うとか世迷い言を言っていたが……」
「せつなおにいちゃまはいいひとなの」
「そうだね。裏表もないし。僕が人間だったら、迷わず惹かれていたな――」
「りぼんずおにいちゃまはせつなおにいちゃまのことすきなの?」
「――嫌いではないな。でも、僕達にとっては敵なんだ」
「なんで!」
 ベルベットが地団太を踏んだ。
「なんでりぼんずおにいちゃまはせつなおにいちゃまのことすきなのに、せつなおにいちゃまのてきなの?!」
「揚げ足を取るようで悪いけど、僕は刹那のことを好きだとは言ってないよ」
「せつなおにいちゃまは、ひとをやさしくするちからをもってるのよ」
「――そうだ。それは、僕も認める。僕が、あのアレハンドロ・コーナーに会う前に刹那に会ってたら――いや、これは詮無い繰り言だな」
「りぼんずおにいちゃまのおはなし、むずかしいの」
「そうだね。――今の君には難しいかもしれない。けれど、そのうちわかるよ」
「でも、りぼんずおにいちゃま、ほんとうはわるいひとではないとおもうの……」
 これを言ったら父様と母様に叱られる。ベルベットは本能でわかっていた。だから、彼らには内緒にしておこうと思った。
 ――生まれて初めて持った、秘密であった。
「僕について来てくれるかい?」
「――かあさまといっしょなら」
「ティエリアとかい。あの甘ちゃんの刹那と違って、ティエリアはそう簡単には堕ちないだろうな……」
 リボンズは独り言ちる。
「あっ、そうだ。りぼんずおにいちゃまがCBにくればいいの!」
「悪いが、それは出来ない」
「どうして?」
「僕はCBの敵だから」
 そう言ったリボンズの顔が、寂しそうに翳る。
「べるは、りぼんずおにいちゃまのてきなの?」
「CBにいるあいだはね」
「――べる、どうしたらわからないの。とうさまもかあさまも、りぼんずおにいちゃまがいいこになったら、なかまとしてむかえいれるとおもうの」
「ベルベットは、CBに心酔してるんだな。……それに、僕はいい子ではないよ。昔、僕のことをいい子だと言っていた男がいたが――僕が殺したんだよ」
 リボンズは、これ以上ないくらいの怖い顔になった。ベルベットはひっと悲鳴を上げた。そして――少しちびってしまった。
「りぼんずおにいちゃまこわいの……」
「なら、何で逃げないんだい?」
「だって、べるとなかよしになりにきたんでしょう? だったら、おはなし、さいごまでちゃんときかなきゃ」
「そうか――ベルベット、君、僕らのスパイにならないかい?」
 ベルベットはゆっくりと首を横に振った。
「どうして逆らう?」
「それはきっと、いけないことなの」
 ――リボンズはちっと舌打ちをした。そして言った。
「まぁ、そう簡単に話が進むとは思ってなかったがな――CBの人々は好きかい? 父様と母様以外に」
「うん! みんな、だぁいすき!」
「愛情に恵まれて育ったんだな」
 ベルベットがもう少し成長していたなら、リボンズのその台詞には嫉妬の響きが混じっていたことがわかったかもしれない」
「ティエリアもアニューもCBに寝返った」
「あにゅーおねえちゃまのなかにはいって、りゅーみんおねえちゃまをころそうとしたのは、りぼんずおにいちゃま……?」
「いや、あれは別の存在だ。だが、僕の仲間だ」
「ころしはいけないことなの! とうさまやかあさまにならわなかったの?!」
「そんなことを言うがね、君はお肉やお野菜を食べているだろう? それも、豚さんや牛さんや大根やにんじんの命を奪う行為なんだよ。――つまり、殺すってことさ」
「――??!!」
「さぁ、僕はもう行くよ。時間がなくなってしまったからね……」
 リボンズはすうっと霧の中に姿を消した。目を覚ましたベルベットは、枕がほんの少し、濡れているのに気が付いた。

2019.07.24

→次へ

目次/HOME