ニールの明日

第二百九十六話

(姉さん、姉さん――)
(その声は――沙慈? これは……夢?)
(夢じゃないよ。エクシアが僕らを助けてくれたんだ……)
 ああ、私、おかしくなったのかしら……と、絹江・クロスロードは思った。いや、そうじゃない。正常に戻っただけだ、と思い直したが。
(夢でもいいわ。沙慈とガンダムエクシアが私を助けてくれたんですもの……)
(エクシアに伝えておくよ。姉さんが、エクシアを愛していると言ってたって――心の中で)
(まぁ!)
 弟の言葉に、絹江は赤面する思いだった。
(やめてちょうだい、やめてちょうだい――例え、相手が無機物であったとしても……)
(ガンダムはただの無機物なんかじゃ――)
(絹江さん……お義姉さんて、呼んでいいでしょうか……)
 ルイス・ハレヴィが沙慈・クロスロードの言葉を遮った。
(ね……義姉さん?!)
(私、沙慈の恋人として、絹江さんともっと仲良くなりたいんです)
 ルイスがはっきりと宣言した。病院の個室の中で、絹江はふっと笑った。
(いい? 私は小姑よ)
(覚悟してます)
(でも、これだけは沙慈に言っておきたいの。夢でもいいから――沙慈、愛してるわ)
(ね、姉さん……!)
 だが、絹江にとっては、沙慈に対しては姉としての弟への情愛以上の感情しか湧いて来なかった。
(沙慈。ルイスをしっかり守るのよ。私は厳しいんだからね!)
(――わかりました)
(そう。いい子ね)
 絹江がくすくすと笑った。
「お薬の時間です」
 看護師の言葉で、絹江の意識は沙慈達から遠ざかった。薬は苦くて不味かった。薬品独特の臭いもする。――液体だったからまだ良かった。
「どうしました? 絹江さん」
「え……?」
「何だかとても……嬉しそうで……」
「看護師さん……私は……助かったんですね。助けてくださった皆さんに感謝したいと思います。遠く離れている沙慈、義理の妹のルイス・ハレヴィ……ここの病院のスタッフや……あなたにも」
 のちの話によれば、この時の絹江は今までのどんな時よりもしっかりしていて――日の当たる白い顔がとても明るくて美しかったという……。

「聞いた?! 沙慈! 絹江さん、私のこと義理の妹だって認めてくれたわよ!」
「ああ……」
「アンドレイにも報告しなくっちゃね」
(エクシア――僕は結婚後、ルイスに尻に敷かれるような気がするよ。……絹江姉さんという小姑もいるしね)
 エクシアは答えなかった。
「誰が尻に敷くですってぇ? 私は脳量子波も使えるのよ」
「いや、ははは……」
「笑って胡麻化さないで!」
「うん……じゃあ、正直に言うよ。君が元気になって良かった。姉さんも――」
「ま、まぁ、私が元気にならないと、沙慈も元気なくしちゃうしね。――絹江義姉さんに再会するのも楽しみだし」
「脳量子波を飛ばせばすぐだよ」
「もうー! 私は肉体を持った絹江さんに会いたいのよー。心の病気もちゃあんと治してね!」
「ルイス……昔の君が戻って来た気がするよ……ルイス、君は僕には勿体ない女性だ」
「何よ……沙慈ったらわかってない……絹江さんを救ったのは、あなたなのよ……」
 そして、ルイスは沙慈の胸に飛び込んだ。ふわりとシャンプーの良い香りがする。彼女は泣いていた。
「ほんとに……ほんとにかっこよかったんだから。沙慈は――。他の誰とも比べれない。私には沙慈・クロスロード。あなただけ。見て」
 ルイスは左手の薬指に指輪を嵌めている。
「好きじゃなかったら……あなたからもらった指輪なんて嵌めてないわよ。――これは、あなたが私にくれたもの。私にとってはまたとない宝物なの。沙慈。あなたも私の宝物よ。強くて優しい沙慈……世界中に二人といない人物よ」
「ルイス……」
「……ちょっと頼りないところもあるけどね」
 ルイスがふふっと笑った。
「ねぇ、沙慈。いつか、ベルベットちゃんやリヒターくんのようないい子に恵まれるといいわね」
「う……うん……」
 沙慈が焦る。このままだと、どうにかなってしまいそうだ。――沙慈もここでは一人の男なのだった。
「結婚式は絶対挙げなきゃね。セルゲイおじ様とソーマ・ピーリスみたく」
「――それは、勿論だよ。僕だってそのぐらいの甲斐性はあるつもりさ」
「きゃあ、沙慈かっこいい!」
 沙慈はルイスにベッドに押し倒された。
「ルイス……ルイス……ルイ……」
 ルイスはすうすう、と寝息を立てていた。沙慈の他に絹江の心配もしていたのだ。さぞかし神経も疲れたのであろう。沙慈は体勢を整えて、ルイスに毛布をかけてやると、彼女の頭を撫でた。
「ゆっくりお休み。ルイス」
「ん……沙慈……」
 寝言か――沙慈はくすりと笑った。
「さてと、僕は他にやることがあるかな」
 沙慈は自分の部屋の受話器を取った。そして、ある番号にかける。
「あー。もしもし。刹那……?」
『何の用だ。沙慈・クロスロード』
『んー、沙慈から電話か~?』
『静かにしていてくれ。ニール。……何だ?』
 刹那・F・セイエイとニール・ディランディ。公然の秘密の恋人同士である二人が情事の事後か……それとも最中であったことは、脳量子波を使わずとも、沙慈にもすぐにわかった。
「出来れば、ニールにも証人になってもらいたいんだけど……」
『ん? 証人……?』
 半裸のニールの姿がモニターに映し出される。
「刹那、ニール……僕はね、ルイスにプロポーズしようと思う」
『おー、おめでとう……やっとその気になったか』
「いや、まだだけどね。ルイスは今、寝ちゃってるから。僕達のことでは可哀想なくらい神経すり減らしてたから……」
『あー、絹江さんのことか……』
 ニールが目を擦りながら言った。
「知ってるの?! 姉さんのこと!」
『まぁ、いろいろとな――絹江さん、目を覚ましたみてぇだな。良かったじゃねぇか。心はエクシアに奪われたようだけど』
「何でそこまで……」
『ELSが教えてくれた。ELSは脳量子波も使えるからな』
「あー、なるほど……」
『んで、お姫様はどこで寝ているのかな?』
「あの、僕の部屋で……」
 ニールがひゅー、と口笛を吹く。
『やるじゃねぇか。沙慈。大人しそうな顔して、この、この』
「あー、僕達、まだそういう関係じゃないから……」
『でも、いずれそうなるんだろ?』
「そりゃまぁ、出来れば……僕だって男だし……」
『貸せ』
 パンツを履いた刹那がニールから受話器を取り返す。
『沙慈……まずはおめでとうを言わせてもらう。けれど……このことはガンダムエクシアの力があったおかげだということを、忘れるな』
「ああ、それは無論……」
 そういえば、絹江はエクシアに心を奪われたと、さっきニールが言っていた……。刹那はガンダムに惚れ込んでいるから気持ちがわかるのだろう。――ニールが焼きもちを焼くくらいに。
(エクシア……ありがとう)
 絹江もエクシアと結婚すればいいと思う。二十四世紀の今、タワーや銅像などと言った、人間の作った物と結婚する人も珍しくはなくなってきていた。それは、二十世紀前後くらいから徐々に広まった風習ではあるが。
 いずれ、ELSとも結婚したい、という人間やイノベイターも増えて来るかもしれない。刹那がなんだかんだ言って、ガンダムオーライザーと結婚しないのは、ニールの影響が大きいからだろう。

2020.02.01

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