ニールの明日

第二百九十七話

「ん……」
 沙慈・クロスロードの部屋で寝ていたルイス・ハレヴィが起き上がった。――沙慈は笑顔だ。この二人もトレミー内では公認のカップル同士でもある。
「あ、起きた……?」
「あれ? 私、寝ちゃってた? 起こしてくれても良かったのに……」
「でも、ルイス、疲れてたみたいだったし――」
「ああ……そう……」
 ルイスは「ふぁ~あ」と大きなあくびをしながら伸びをする。しなやかな肢体だ。だが、沙慈にはまずやることがある。
「ルイス……あの……」
「ちょっと待って! ――今から沙慈の言うことには絶対『はい』って言うから……」
「え? でも、君にとって無理難題を、僕が言うかもしれないのに……」
「私、今まで我儘で沙慈の言うこと聞かなかったから……今度だけきくの。いい? 今度だけよ」
「ルイス!」
 沙慈はルイスの手を取った。
「結婚してくれないか――?」
「なるほど。無理難題、ね。沙慈が言わなかったら私が言おうと思ってたわ。……正式なプロポーズなかなかしてくれないんだもん。――答えは、『YES』よ」
「ルイス!」
 感極まった沙慈がルイスを抱き締めた。清潔な香りがした。アンドレイが前に彼女のことを乙女だと言ったのがわかるような気がした。
「変わったわね。沙慈」
「どこが――?」
「何かそのう……男っぽくなったみたい。前だったらこんな時、ぎゅっとなんてしてくれなかったでしょ? 私が促さなければ。私は今の沙慈の方が、好きだな。断然好き! うん! アンドレイにも改めて報告しないと」
「アンドレイに……何か言われたのかい?」
「……もし、沙慈と上手くいかなかったら、僕がいると言うのも、忘れないで欲しいって。こう、沙慈がやったみたいに、手をぎゅっと握ってくれたわ」
 ――それは、沙慈にとっては些か複雑な言葉であった。ルイスはぱたぱたと離した手を振った。
「あ、だからね? 沙慈がプロポーズしてくれたから、アンドレイも諦めてくれると思うのよ。アンドレイはいい男だから、他に可愛い女の子が現れるわよね」
「うん……」
(でも、僕には、ルイス・ハレヴィだけだ――)
「何でよ。何でもっと早く言ってくれなかったの」
 ルイスが拗ねる。沙慈が微笑した。言えなかった――そう言った方が正しい。それ程に、沙慈は、恋愛に、戦いに、生きることに長い間臆病だったのだ。でも、今は、ルイスがいる。
 ルイスと共に生きる世界が、未来にはあるのだ。
 ――端末が鳴った。
『よっ、お二人さん』
「ニール……」
『歓びの感情がここまで届いて来たぜ。おめでとさん。けどな……いやぁ、参ったよ。部屋の電話がイカレちまってさぁ……』
「あ、そうだ――せっかくトレミーにいるんだから、僕達がニール達の方に出向いた方が良かったですね」
『……俺にも敬語は使わなくていいって言ったじゃねぇか……』
「――そうだったね」
 沙慈はくすっと笑う。同じガンダムマイスターなのだ。立場は一緒だと言ってくれたのはニールだった。
『それに……俺達は脳量子波で繋がっているじゃねぇか』
「うん……僕が僕でなくなりそうで、本当はまだ少し怖いんだけど……」
『なってみれば、そんな大したもんでもないさ。それに、脳量子波はいろいろ便利だし――これからはどんどん増えていくぞ。俺達のような人種が……』
「それはそれで複雑なんだけど……」
『どういう意味だ』
「いや、その――」
「貸して」
 ルイスが端末を沙慈から奪い取った。
「ニール・ディランディ……沙慈が私にプロポーズしてくれたのよ」
『おー、知ってるぜ。おめでとさん』
「刹那は祝ってくれるかしら。まだそこにいるんでしょ?」
『いるにはいるが、今はまだあまり姿を見られたくないらしい』
「もう! いい加減にしてよね、あなた達! ラブラブなところ見せつけてくれちゃって!」
 ルイスが笑う。昔通りの明るい笑いだった。
『俺の方がアンタ達のところに行けば良かったかな。でも、刹那と一緒に祝ってあげようと思ったんでな。刹那、おい、刹那』
 ――と、ニールも笑いながら言う。
『やぁ』
 刹那は相変わらず仏頂面だ。それとも、恋人のニールの前では、違った顔を見せるんだろうか。
「あ、刹那……」
『おめでとう。お前らについては他人事ながらやきもきしていたところだ』
 刹那が沙慈の言葉を遮って言った。それにこの言葉――。でも、これが刹那なりの祝福の仕方なのだろう。ルイスの隣で端末を覗き込んでいた沙慈は「ははっ」と苦笑いするしかなかった。
 バサバサの髪。チョコレート色をした肌。だが、刹那・F・セイエイは確かに色っぽくなった。ニールがいるせいだろうか。そして、ルイスも――。
 沙慈はルイスが一人の女にしか見えなかった。けれど、ここで押し倒すのは沙慈の良心が許さない。能動的に、本能のままに生きられればどれだけ楽かと思ったこともあるけれど――。
 ルイスはそんな沙慈が好きなんだろうと思う。優しくて、己を制御しようと頑張っている沙慈が。
「沙慈、刹那もおめでとうだって」
「うん。傍で聞いてたじゃないか」
「刹那――私、昔はアンタのことそう好きじゃなかったけど、私達のことちゃんと見てくれて、いいとこあるじゃない」
『ありがとう』
 端末の向こうの刹那の表情が緩んだ気がした。
「ミッションが終わったんだから、もうすぐ地球に帰れるわね。沙慈」
「あ、ああ……」
 ルイスが沙慈に近寄る。沙慈がたじたじとなった。ルイスが息を吹きかける。――甘い匂いだ。
「私ね……ウェディングドレスが着たいの」
「……僕、お金ないんだけど……」
 ガンダムマイスターとして、CBから送られて来たお金は、絹江の看病に使ってしまっていた。それは、残りも結構あるが、ルイスは資産家の娘だ。それなりに高価なドレスでないと見合わないかもしれない。
「安物でいいのよ」
 ルイスはそう言うが、それでは沙慈のプライドが許さない。――ルイスは最高の女性なのだ。最高の女性には最高のドレスが似合う。
『クリスに作ってもらえば』
 刹那が提案した。沙慈が訊く。
「クリスさんはドレスなんて作れるの?」
『前に訊いたら、「お茶の子さいさい」だと言っていた。自分のウェディングドレスも作ったらしい』
「すごーい」
 ルイスが素直に感動している。こういうところが可愛いんだよな――と、沙慈は思う。けれど、ルイスには多少値が張ってもいいから、立派なオーダーメイドのドレスを用意してやりたかった。
「ね、いいんじゃない? クリスさんのドレスでさ」
 ルイスははしゃいでいる。クリスさんの腕次第だな――と沙慈は考える。
『クリスはフェルトのドレスも作りたいと言っていた』
 ラッセとフェルトのことはもう知っている。――どこからか噂が流れて来たのだ。ニールがうっかり口を滑らせたらしい。
(まぁ、あの人の場合、そのうっかりも演技かもしれないけど――)
 沙慈はそう思って、再びくすっと笑った。
 それにしても、今の己は幸せ過ぎる。絹江も元に戻りかけているようだし、ルイスはプロポーズをOKしてくれた。確かに沙慈・クロスロードは三国一の幸せ者かもしれない。
『いーや、違うね』
 ニールに心を読まれたような気がして、沙慈はびくっとした。確かに、ニールは沙慈の心を読んだのだ。
『三国一の幸せ者はこの俺だ。――刹那・F・セイエイの恋人に選ばれた、このニール・ディランディだ』
『ニール!』
 刹那は怒鳴ったが、満更でもないらしい。男同士なんて――と、ルイスが眉を顰めるかと思ったが、彼女は綺麗な笑顔のままだ。そこに愛があるのなら、男同士でも構わない――そう、今のルイスは思っているのかもしれない。
『俺達も豪華な結婚式挙げような。刹那』
『――そのうちな』
「あら。一緒に結婚式したっていいのよ。私は」
『俺は嫌だ』
 刹那が渋面を作る。
『――そうだな。やっぱり結婚式は個別でしたい』
「わかったわ。結婚式はやっぱり地上でね。――トレミーでもいいけど。沙慈はどっちがいい?」
「僕はやっぱり地上で挙げたいと思う。宇宙も好きだし、ここで挙げる結婚式もロマンチックだとは思うけれど――ルイスとは地上で出会ったのだから……そういえば、地上に帰るのはクリスマス以来だね」

2020.02.11

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