ニールの明日

第二百九十二話

『こんにちは――』
『お久しぶりですわね』
 ニール・ディランディは、空調設備の整ったモニター室でマリナ・イスマイールと王留美と会談をしていた。非公式にだが。それにこれは、井戸端会議と言った方がいいかもしれぬ。ニールは口を開く。
「二人とも――お元気でしたか?」
『ええ。……ありがとうございます』
『まぁ、そう固くならなくていいんですのよ。マリナ・イスマイール』
 王留美は砂漠にいた。ニールは懐かしい匂いを思い出していた。砂漠の風、テント生活――沢山の愉快な仲間達。
 グレン……Dr.モレノ……ワリス……ジョシュア……。ニールは軽く目を瞑った。
 因みに、マリナ姫はアザディスタンの王宮にいる。――別々の地域の人達とモニターで一度に話せるようになったなんて、今は便利な時代だ――と、ニールは思った。
『どうしたんですの? ニール』
 王留美が怪訝そうに訊く。いやいや、何でもない――と、ニールは手を振る。
 ショートカットの王留美もなかなかいい、とニールは思う。男装の麗人みたいで。
『ニールさんはお元気でしたの?』
 マリナが訊く。ニールは大きく頷く。
「元気ですよ。俺は、いつでも元気です。それしか取り柄がないものですから」
『そんなことはありませんわ。マイスターとしての活躍は聞いてます』
 マリナはやはり優しい。ニールを立ててくれる。
「いやいや。しょぼい宇宙海賊と戦うという、シャリコマな仕事ですよ」
『宇宙海賊ねぇ……あれにも本当に困ったものだこと。ゴキブリみたいな連中ですわ。いや、ゴキブリの方がマシかもしれませんわね。後から後からどんどん現れて来て――』
 王留美が溜息を吐いた。
「ま、でも、そんなヤツらでもいなきゃ、俺らの存在の根幹がぐらつくんでな――イノベイド達も今は大人しいし。ところで、お嬢様。グレンとの生活はどうだい? 砂漠にはもうだいぶ慣れたかい?」
『とても――』
 王留美は間を空けて再び言った。
『とても楽しいですわ』
「そうか――良かったな。お嬢様」
 ニールは苦笑している。マリナも二人を祝福しているらしく、艶然と微笑んでいる。そして彼女は言った。
『王留美様は今、とても充実してらっしゃるのですね』
『王留美でいいですわ。――ええ。毎日がとても楽しいんですの。グレンも村の皆さんもとても優しいですし。私、この砂漠の生活の方が性に合っているみたいですの。どこかの高級料理よりリムおばさんの作ってくださった鳥鍋の方が美味しいと思うし』
「そんな台詞がお嬢様からの口から聞ける日が来るとは思わなかったな」
 ニールは心安立てに揶揄う。
『嫌だわ――よしてよ。お嬢様だなんて。私はただの留美。ただの女ですわ』
『愛に生きる生活って、いいですわね。羨ましいですわ』
『あら、マリナ様にも現れますよ。愛するに足る男が――刹那は、まぁ、仕方ないわね。刹那にはニールがいますもの』
「お、お嬢様……いや、留美」
 急に名指しされて、ニールは戸惑った。刹那との関係は隠している訳ではないけれど。それどころか誇りに思っているけれど。
 ――マリナが微笑んだ。
『幸せなんですね。ニール様も』
「俺もただのニールでいい。マリナ姫は俺なんかよりずっと偉い立場にいるんだから」
『私は――皆様に支えられているだけです』
「何の。ご活躍の噂は聞いてますよ。――素敵な歌を歌ったり」
『私には……歌しかないものですから』
「それから、子供達の面倒を見たり」
『私は子供達が大好きなだけですから』
「子供……そういや、お嬢様……じゃなかった。留美にも子供は出来たかい」
『ニール……?』
 ニールのあけすけさに、マリナが目を瞠った。
『いや、出来たっておかしくはないだろ? ラブラブなんだろ? グレンと』
『ええ、まぁ、その……でも、まだ子供出来ておりませんの』
「何だ。残念だな。二人の間に子供が生まれれば、どちらに似ても美人に成長すると思うぜ」
 ――それは、ニールの本心だった。それに、二人に子供が出来れば、グレンのささくれだった心も少しは落ち着くんじゃないかと考えたのだ。
『Dr.モレノには、この間診察してもらったばかりなのですがねぇ……女の常のものもまだ来ていますし』
「なぁに。これから授かるさ」
『ありがとう。ニール――子供が生まれたら、男だったらニールや刹那みたいな子に、女だったらマリナ姫みたいに育ってくれると嬉しいわ』
『俺は男と恋に落ちたんですよ。留美。そんな子に育って欲しいんですか?』
『グレンと私や、ニールと刹那みたいに愛に生きて欲しいんですの』
「……私は、自由に殿方と恋したりしたりは出来ませんが……」
『でも、マリナ様はお優しいですから』
「ありがとうございます」
 マリナは深々と頭を垂れた。王留美はグレンの故郷の村から電話で喋っているらしく、さっき、いたずらした子供を叱りつける母親の声まで聴こえた。――それを思い出すと、ニールは吹き出しそうになる。
(良かったな。王留美――幸せそうで)
 後は、あの兄貴か……紅龍の顔がちら、と脳裏に浮かんだ。
 あの男にも、好いた女はいる。それは、何とマリナ・イスマイールなのだ。
(まぁ、俺が傍からあれやこれや口出しする問題やないな)
 ニールは紅龍のことをあっさり片づけた。
『ニールは? 刹那とは宜しくやっているの?』
「おっ。留美もなかなか話がわかるじゃねぇか。――そうだよ。俺と刹那はいつだって仲良しさ」
 だからマリナ。お前は紅龍と幸せになれ。俺らのことなんか忘れて――ニールはそう念じた。ニールは、マリナの刹那への淡い恋心を知っていたのだ。そしてその恋心を押し隠そうとしていたことも。
 だが、マリナも紅龍を憎からず思っているらしい。二人の為を思って、ニールは祝福した。
『ダシルは元気かい? 留美』
『ええ。夫と戦いに行っておりますわ。案内役として』
 王留美も軍人の妻か――ニールは複雑そうに唇を曲げた。こんなことになるだろうとは、一体誰が予想していたであろう。
 ニール・ディランディがクルジスの少年と恋に落ちたことも、一体誰が想像し得ただろう。
 神のみぞ知る――とはよく言ったものだ。全てを知っている者は、神様だけかもしれない。――そういや、刹那は神を信じていない。少なくとも、本人はそう言っている。
 けれど、神に代わる、信じるに足るものはずっと探していたのだろう。刹那の場合、それはガンダムだった。
 ガンダムマイスターになれた刹那は、幸運だったと思う。――それは、ニールにもわかった。ニールも、ガンダムマイスターになれて幸せだった。――刹那と出会えて幸せだった。
 例え、CBやリボンズの掌の上で踊ることになったとしても――。
 CBとリボンズ・アルマークは敵対している。傍目からはそう見える。けれど、根底に流れるのは同じではあるまいか。
 だからこそ、彼らは戦うのだ。まるで近親憎悪の如く。
 それは、グレン達が行っている戦争とは別種のものだ。――いや、戦争というものは、どれもこれも案外大差ないのではあるまいか。
 グレンは今はどんな敵と戦っているのだろう。ニールと一緒にいた頃戦っていた敵とは、どうやら別の組織らしい。グレンのように、戦いに身を置かないと生きていけない男もいる。
 でも、ダシルはどうなんだろう。――グレンも、本当はダシルのことは戦いに巻き込みたくなかったのではあるまいか。
「ダシルは、今でもグレンの世話をしているのかい?」
『まぁ、ニールったら……その通りですわ。ダシルも恋をしていて、その娘と幸せに暮らして欲しいと思う反面、まだまだ手元に置きたい気持ちがあるように思いますの』
「ダシルは留美の恋敵か」
『まぁ――!』
 王留美はモニターの向こうでくすくすと笑った。
『王留美。貴女は戦いで命を落とさないでくださいね』
 心配そうに眉を顰めながら、マリナは言う。王留美が笑いやめた。――どうやら、本気の話らしい。
『それはどうなるか、わかりませんわ。私はグレンと共に戦う為に、この国に来たのだし……グレンが本物の戦士であることを知って、ついて来たのも私だし――でも、この選択については後悔はありませんわ』
『今は何をしてらっしゃるの? 留美は』
『そうですわね。銃と剣の扱い方は随分上手くなったと褒められましたわ』
『…………』
 王留美にとっては冗談のつもりでも、マリナは真面目に取ったらしい。――返事に困っているようだった。留美もマリナの困惑に気付いたらしい。
『まぁ、平和主義者ですものね。マリナ様は』
『主義という訳ではありませんが――戦争は嫌です』
『軍人の妻としては、耳に痛い台詞ですわね。……私も今は具合が悪くて、村に帰ってたんですけど、回復したらグレンの元へと戻るつもりですわ』
『――留美。私のこともマリナと。……それから、お話があります』
『何でしょう』
『決して、死なないで。戦いなんかで命を落とさないで。――約束出来ますか?』
 ええ、わかったわ――と王留美が優しく笑って答える。女梟雄とは言われても、王留美も子供を産み、育てる性なのだ。一方、マリナは生まれながらの母性の塊という感じで、自分の子供はまだ持たないながらも、既にアザディスタンの聖母として国の子供達の面倒を見ている。

2019.12.08

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