ニールの明日

第二百九十八話

「地上の空気はやっぱり清々しい匂いね」
「ティエリアは地球の重力が肌に合わないと言ってたけれどね」
 或る日の昼下がり――。
 ルイス・ハレヴィとクリスティナ・シエラは喋りながら歩いていた。ウィンドーショッピングである。いつもならクリスの隣にいるフェルト・グレイスも、今はいなかった。
 その代わり、沙慈・クロスロードがいる。
「あ、綺麗――」
 ルイスが足を止めた。洋装店のディスプレイには豪華なウェディングドレスがある。ルイスはじっと見つめている。
「――欲しいの?」
「え? あ、うん……」
 ルイスは正直に頷いた。
「じゃあ、僕が買ってあげようか」
「いいの?! 沙慈!」
「うん。姉さんの回復は早いみたいだし、もう仕送りしなくても大丈夫なようだから――」
「だけど……」
 クリスもドレスを凝視する。決して安くない値段だ。クリスが言った。
「ルイス。私が作ってあげよっか」
「え? ――こんな手の込んだの作れるの?」
「任せて。自分のウェディングドレスを作ってから、ドレス作るのが趣味みたいになったから。でも、リヒターは男の子でしょう? 息子は可愛いけど、ドレスを作れないのはつまんないわね」
 ――そういえば、ソーマ・ピーリスの結婚式の時も、クリスがドレスを作ったらしい。
(私もあんなドレスを――)
 そんな日が来るとは、今まで夢にも思わなかった。沙慈とは敵同士だったこともあるし、ルイスと沙慈とは恋人同士ながらもどこか距離があった。沙慈が悩んでいたから――。
 姉さんのこと。戦争のこと。優しい沙慈は心をいつも痛めていた。けれど、周りの人間が沙慈の、そしてルイスの頑なな心を溶かして行った。
「沙慈、私がいるからもう大丈夫よ」
「……うん」
 ――沙慈はくすっと笑った。
「な……何……?」
「いや、その、ルイスの口調さ――姉さんに似ていると思って」
「私の方がいい女じゃない?」
 ルイス・ハレヴィはすっかり立ち直っていた。
「姉さんが聞いたら怒るよ」
「構わないわ。そりゃ、沙慈のお姉さんなだけあって絹江さんも立派な人だと思うけど――」
 絹江・クロスロードはジャーナリストだった。取材の途中で何者かに襲われた。
 その犯人も今はわかっているのであるが――。
(アリー・アル・サーシェスも死んでしまったしねぇ……)
 沙慈も、もう姉の敵討ちなど考えてはいないようだった。そんなことしても何も意味がない。それに、敵討ちをするには沙慈は優し過ぎる。例え、アリーが地獄ではなく、天国へ行ってしまったとしても――。
(絹江さんも辛い目に遭ったのに……)
 だからこそ、クロスロード姉弟のことはめいっぱい幸せにしてやろうと、ルイスは誓う。ルイスはもう、我儘なだけの何も出来ないお嬢様とは違うのだ。
(これでも、アロウズの女兵士だったこともあるものね。だから私、負けない――)
 ぎゅっと拳を握って、誓う。
 クリスがふんふんと言いながらウェディングドレスを仔細に観察している。訳を知ったら店員が営業妨害だと騒ぐだろう。
「よーし。構造は頭に入れたわ。行きましょ」
 クリスは率先して街を闊歩する。
 美女二人と美男子一人。ルイス達は街を行く人々の目を引いた。中にはルイスやクリスに見惚れ、つれに小突かれる男もいる。
 けれど、ルイスは何とも思わない。沙慈がいたから。――ルイスには沙慈しかいないし、沙慈にもルイスしかいない。二人は並んで歩いていた。
 クリスがくすくす笑った。――これはルイスも気になった。
「クリスさん? どうして笑うの?」
「――ああ、ごめんなさい。ルイスと沙慈、こうして見ると元アロウズの女兵士と現ガンダムマイスターには見えなくって」
「じゃあ、何に似てるのよ」
 ルイスがふてくされる。
「ただの――恋人同士に見えるわ。それも、うんと美形のね」
「美形なの。だったらいいわ」
 沙慈もルイスの隣で苦笑いをしている。注目を受けるのを苦手としている沙慈は、人々の視線に少々辟易しているらしい。
「あ、クレープ屋さんがある。食べない? 私のおごりよ」
 クリスがクレープ屋を指さす。
「……アイスクリームの方がいい」
「ルイスったら贅沢言わないの。沙慈も食べるでしょ?」
「いや、食べるならここは男の僕が払うべきでは――」
「沙慈ったら、なに何世紀も前の男の言うようなこと言ってんの。今はそういう男女差別なんかとっくになくなっているの!」
 参ったなぁ……と沙慈は困ったように頭を掻いた。けれど、沙慈は大人なのだとルイスは惚れ直した。
 焦げ茶色の髪の沙慈に、金髪のルイス。生まれる子供はどちらに似るだろうかと、ルイスは楽しみながら考える。やはり、遺伝の関係で髪の色は沙慈に似て来るだろうか。性格も沙慈に似て欲しい。沙慈は性格がいいから――。閑話休題。
(――おやつだったら、私が買ってもいいのに……)
 ルイスにもCBから給料が送られて来る。絹江の為に、沙慈の手助けをしようと申し出たが、沙慈には断られた。けれど、ルイスはそんな沙慈のことが好きなのだ。
「沙慈。クリスさんのご厚意に甘えましょ?」
「……うん。クリスさん。ルイスのドレスを作ってくれる上に、クレープまで……」
「いいのよ。クレープは私が作るんじゃないもの」
 クリスがウィンクする。
「ルイス。アイスのクレープがあるわよ。お兄さん。アイスクレープ三つください」
「はい……」
 店員の男性はウェーブがかった茶髪と立派な胸を持つクリスに心騒がせているらしい。その女性はもう結婚して可愛い子供もいるのよ、とルイスは言ってやりたくなった。
 言っても、どうなるものでもないのかもしれないけれど――。
(どうせ私は貧乳よ――)
 だが、そういうのが好きな男性には乙女と呼ばれたことがあるのをルイスは知らない。――それとも、忘れているかだ。
 トッピングしたアイスクリームを乗せたクレープを食べると、ルイスの機嫌は回復した。
「美味しい? 沙慈」
「うん。とっても。――クリスさん、わざわざありがとうございます」
「いえいえ。私はクロスロード夫妻の手伝いが出来ればこんなにいいことはないわ」
「夫妻だなんて――」
 ルイスも沙慈ももじもじする。初々しいわね、とクリスは微笑んだ。それは、聖母の微笑みによく似ていた。
「私、ルイス達と街角歩きたいな~、と思ってたとこなの。リヒティは仕事だし……全くもう」
 最後の方はリヒテンダール・ツェーリへの八つ当たりだった。
(リヒティも大変だな――)
 沙慈の思念が流れ込んで来た。ルイスは「うふふふ……」と笑った。
「何だい? ルイス」
「私、貴方の心の声、聴いちゃった」
「わっ、何だそれ。恥ずかしいよ……」
「聴かれて恥ずかしいことでも想像してたの?」
「そうじゃないってば……」
 結局沙慈はルイスに揶揄われる羽目になった。アンドレイがこのルイスを見たら驚くだろう。でも、以前のルイスはこんな性格だったのだ。――クリスも笑いながら言った。
「沙慈ってばすっかり形無しね。でも、結婚する前からそうだと、少し先が心配ね」
「済みません……」
「別に謝らなくていいわよ」
 クリスもとっておきの笑顔を浮かべる。夫のリヒティが見たら惚れ直しそうな――。
(沙慈は皆を笑顔にするんだわ)
 そんな男を夫に持てる自分はなんて幸せ者なのだろう、とルイスは思った。沙慈は姉の絹江のことも助けたのだ。――エクシアと一緒に。
 三人はゴミ箱にクレープの包み紙を捨てた。
「あー、楽しい。今度どこ行く? 公園の噴水でも見に行く?」
「いいわね。噴水大好き」
 クリスの提案にルイスが乗った。「僕も――」と沙慈も些か遠慮がちに言う。
「じゃあ行きましょ。あっ、ちょっと待って。二人のいい顔撮ってあげる。はい。ルイスも沙慈も笑って――。後で端末にアップするから」
 クリスがデータスティックにルイスと沙慈の笑顔を記録した。

2020.02.23

→次へ

目次/HOME