ニールの明日

第二百九十一話

 トントントン、とノックの音がする。
「ヒリングお姉ちゃーん。あっそびっましょー♪」
 シャーロット・ブラウンの機嫌のいい声が聞こえる。
「開けてやれ。ヒリング」
「はい!」
 リボンズの声に、ヒリングは大喜びでドアを開けた。金髪の美少女の姿が、そこにはあった。彼女にそっくりの人形を抱きかかえて。
「わぁ……いい匂いなの。お花の匂いね。うちのママもお花に詳しいから。でもあたし、すぐに忘れちゃうの」
「シャーロットちゃんは賢い子よ」
「ほんと? ありがとう!」
「リボンズさんとヒリングお姉ちゃんはきょうだいなの?」
「――え?」
「だってそっくりなんだもん」
「キャハッ! そうだったら嬉しいわねぇ」
 ヒリングが歓声を上げた。
「そんなようなもんだろう。僕達は」
「まぁ……確かにね。同じイノベイドだもんねー。シャーロットちゃんもあたし達の仲間よ。シャーロットちゃんは立派なイノベイターですからねー」
「ねー」
「ま、まぁいい。……シャーロット。君も音楽聴くかい?」
「うん、音楽は大好きなの!」
「まぁーあたし達と一緒ね!」
「うん! パパもママも音楽好きなの」
「あー、フランクリンかー」
 いい男だけど、いまいち好みじゃないのよね、とヒリングは考える。それに、あの男には妻がいるから……フランクリンとリボンズ・アルマークじゃ、ダンチ、リボンズの方がいい男!――と、ヒリングは思う。
 エンマはシャーロットの母親なだけあっていい女だけれど……。
「何聴く?」
 ヒリングがシャーロットに質問する。シャーロットが元気良く手を挙げる。
「くるみ割り人形!」
「はいはい」
 ヒリングが音楽をセットする。――聴き慣れた軽快な音楽が流れ出す。
(僕も、くるみ割り人形は嫌いではない)
 そう、リボンズが言っていたことをヒリングは思い出す。シャーロットとも趣味が合うであろう。それが、ヒリングにとっては嬉しい。
(リボンズとシャーロットちゃんが同じ好みで良かった――)
 ヒリングは、いつか、シャーロットに似た娘を持ちたいと考えている。でも、シャーロット本人の方がいいけれど。
(あたしがシャーロットちゃんを守ってあげるんだ。リボンズのことも――)
 ヒリングは、シャーロットに夢中な自分を愧じていたことを、今だけは忘れる。
(シャーロットちゃんはイノベイターの小娘に過ぎないけれど……あたしに愛を教えてくれた存在だから――)
 そうリボンズと同じで――。
(リボンズ、シャーロットちゃん、愛してる――あたしには、そんな、愛だなんて感情、知らなかったし、知りたくもなかったけれど――)
 シャーロット・ブラウン。会いたい、と思っていた時にすぐに来てくれた幼子。エンマもフランクリンも、今はシャーロットをヒリングから取り上げようとはしないだろう。
(ブラウン夫妻もシャーロットちゃんには甘いからさ!)
 シャーロットは見た目も可愛い。でなければ、ヒリングがこんなに夢中になることはなかったであろう。
(あたしも面食いだけどさ――シャーロットちゃんは可愛いんだもん!)
 金髪碧眼なところも、ヒリングの好みにあった。
 けれど、一番気に入ったのは、その性格だ。素直で明るい性格。そして、自分を慕ってくれている!
(ティエリアのところにも子供がいるようだけど、比較にならないわ)
 ティエリアが聴いたら怒りそうな考えだ。けれど、ヒリングはリボンズに対するのと同じくらい、シャーロットのことを好きなのだ。
 それに、ヒリングはベルベット・アーデを知らない。可愛いとは聞いてはいるけれど――。
(シャーロットちゃんとティエリアの娘じゃ、シャーロットちゃんの方が可愛いわね!)
 しかも、シャーロットは自分の同類だ。
 エンマも果報者だ。シャーロットという天使を産んだのだから。
 リボンズは、天使と言うより悪魔に近いかもしれないが、見た目は天使のように美しい。
 ヒリングはアレハンドロ・コーナーをどんなに憎んだかわからない。けれど、リボンズは彼のことを冷ややかに見ていたのでそれはヒリングの救いとなった。
(死んじゃって良かったんだ。あんなヤツ)
 ふん、と鼻息を荒くしてアレハンドロの思い出をやっつけてから、ヒリングはシャーロットに笑いかけた。
「シャーロットちゃんは好きな人、いる」
「うん――パパ!」
「そっかぁ……」
 そう言えば、この年頃の娘は父親と結婚したいとか、思うのだそうな。ヒリングがリボンズを慕う気持ちもそれに似たようなものなのだろうか――。けれど、ヒリングはこう思った。
(死ね! フランクリン・ブラウン!)
 ヒリングも、余程この娘に狂わされていると思うが、シャーロットに罪はない。
「どうしたの? ヒリングお姉ちゃん……怖いお顔……」
「あ、あら、そう……」
 ヒリングは慌てて作り笑いをして見せた。シャーロットもほっとしたようだった。
「困ったことがあったらあたしにゆってね」
「えー、あたし、困ったことなんてないんだけどー」
 まぁ、シャーロットが可愛過ぎるのが困ると言えば、困ったところであろうか――。リボンズがふっと笑った。
「なぁに、リボンズ……」
「いや、ヒリングもいやにシャーロットに懐いたもんだな、と思って」
 そして、リボンズはくすくす笑う。――まぁ、失礼な。
「シャーロットちゃんがあたしに懐いてるの。そうよね、シャーロットちゃん」
「うん!」
 ヒリングはリボンズにあかんべぇをしてやった。リボンズがまた笑う。
「やれやれ……女には敵わないな……」
 そう言い残して、彼はリボンズだけの空間――リボンズだけが入れる自室に引っ込む。そこに何があるのか、ヒリングは知らない。
 リボンズの秘密を知って、リボンズに嫌われるのを恐れているから――。
「ヒリングお姉ちゃんは、リボンズお兄ちゃんのこと、好きなの?」
「――シャーロットちゃんには隠し事は出来ないわね。すごく、大好きよ。とても――好きなの」
 そして、ヒリングは消えたリボンズを目で追った。リボンズの姿は見えない。そこでリボンズはいつものようにゆったりとリラックスしていることだろう。
「それは、恋なの?」
「あら、シャーロットちゃんも恋って知ってるの? ただ好きってだけでなく」
「うん! パパもママに恋してるの」
「そうなの。熱々でいいわねぇ」
「うん!」
 恋している者同士から、こんな可愛くていい娘が生まれた――それは、女性なら誰でも憧れる御伽噺だろうとヒリングは思う。
 最初にブラウン家から挨拶された時のことをヒリングは覚えている。フランクリンは緊張していたらしく、多少固くなっていた。
(フランクリン・ブラウンです。初めまして。こっちは妻のエンマです。そしてこちらが、娘のシャーロット……)
(シャーロット・ブラウンです。よろしくお願いします)
 シャーロットは花が開いたように笑った。向日葵のようだと、ヒリングは思った。
(シャーロットちゃん、花は好き?)
(大好き!)
(じゃあ、あたしとリボンズの部屋に行きましょうね――あそこはお花がいっぱい咲いているから)
(うん!)
 ちら、とブラウン夫妻の方に目を遣ると、エンマはにこにこしていた。フランクリンは喜ばしそうな、それでいて寂しそうな笑みを浮かべていた。
(ごめんね。ブラウンさん――あなた方の娘を取っちゃって)
 そうは思うものの、罪悪感は少しもなかった。そんな無駄なもの、感じている余裕もなかった。
 リボンズやシャーロットと一緒に、新しい国を作りたい。ヒリングはそう思った。イノベイターも差別されないような、そんな世界――。
(リボンズはあたしの気持ち、わかってるのかしら――)
 リボンズ・アルマークの本当の心の声は、ヒリング・ケアでさえ読むことが出来ない。リボンズが心を開いてくれたら、ヒリングにだって慰めることが出来ると思うのに――。
「まぁ、恋は仕様がないわね」
 心の声をつい口に出してしまった。やっぱりヒリングお姉ちゃんもリボンズお兄ちゃんに恋をしてるの? ――シャーロットの声に、ヒリングは微笑みながら、「うんっ!」と力の限り頷いてやった。

2019.11.27

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