ニールの明日

第二百九十五話

「姉さん……」
 窓際の沙慈・クロスロードが溜息を吐いた。彼の実姉、絹江・クロスロードのことを思い出していたのだ。絹江は今、地上の病院に入院している。精神を病んだ者を看護している病院だ。
(姉さんは、元気にしてるんだろうか――)
 宇宙から、地球に伸びている軌道エレベーターを眺めながら沙慈は思った。地球の、日向の匂いが懐かしい。
 ブー。ブザーが鳴った。誰だろう。
「入っていいよ」
 ――訪ねて来たのは沙慈の彼女のルイス・ハレヴィだった。
「ルイス……」
「突然来て、ごめんね」
「いや、いいんだ、いいんだ。俺だけだと暗い考えにはまって出られなくなってしまうところだったから――」
「うん。私も……気持ちわかる。誰のことを考えていたの? 沙慈は。――訊いてよければ」
「……姉さんのこと」
「絹江お姉さんね。どうなの? 調子は」
「――取り敢えず、体は生きてるみたい。点滴はしてるみたいだけど」
「ということは、精神は……」
「……まだ、あっちから戻っていないみたい」
「沙慈」
 ――ルイスが沙慈の手を握った。元気づけるみたいに。
「絹江さん、早く良くなるといいね」
「……うん」
「あ、そうだ。沙慈。あなたイノベイター化してるって、この前言わなかった?」
「うん……少しなら脳量子波も使えるしね。段々人間離れして行くのが不安なんだけど――」
「沙慈。私もイノベイターよ」
「……そうだったね。ごめん」
「ううん。いいの。謝らなくて――脳量子波で絹江さんと話が出来ないかしら」
「……やったことないけど、出来るかも……」
「私も力を貸すわ」
「――ありがとう」
 そう言って、沙慈はルイスに口づける。――甘い味がした。
「もう……沙慈ったら大胆なんだから……」
「こんなことしてる場合じゃなかったけど、ついね……」
「いいのよ。私も嬉しかったし。――沙慈のアシストは私がするわ」
「――頼むよ」
 そして、沙慈はルイスと共に意識を地上へ飛ばす。――沙慈は絹江にコンタクトを求めた。絹江は、苦しそうだった。何か、暗い……と言おうか、真っ黒な空間に閉じ込められているようだ。これが、絹江の精神世界なんだろうか。
(姉さん……)
(誰……?)
(僕だよ。沙慈・クロスロードだよ。……ルイスもいる)
(絹江さん……)
(……ここは寒いわ)
(姉さん。どうしたら姉さんを助けることが出来るだろう……)
『我の力を使え』
 低い男の声が割って入った。
(な、何者?!)
『我の名はガンダムエクシア』
 沙慈はびっくりしていた。ガンダムに意識があったなんて! しかも、脳量子波を使えたなんて……!
『そう驚かなくとも良い。我の力を使えば、絹江・クロスロードの意識も戻る』
(ガンダムエクシア! 姉さんのことを知っているのかい?)
『ああ。――さぁ、乗れ。沙慈・クロスロード』
 いつの間にか、沙慈とルイスは見知らぬ空間に浮いていた。――ガンダムエクシアも。
「ルイス……行ってくるよ」
 沙慈は口に出して言った。
「うん……」
 ルイスが頷く。彼らの意識の中で、唇が合わさった。沙慈はエクシアに乗り込んだ。
(絶対、姉さんを助けるんだ)
「エクシア、どうすればいい?」
『GNソードを使え。空間を切り裂くんだ』
「わかった」
 沙慈はエクシアを操作する。もう慣れたものだ。それに、エクシアが力を貸してくれることが嬉しかった。コックピットの匂いにも馴染んで来た。沙慈はガンダムエクシアを自由に操れる。
 エクシアが大きなGNソードを振り上げた。
 ピキッ。
 空間に亀裂が走り、暗闇が崩壊する。――絹江の姿が見えた。
「ガンダム……」
 そう言った絹江は呆然としていた。
(僕だよ。姉さん)
「沙慈……?」
(僕、ガンダムエクシアのパイロットになったんだ。この空間を切り裂けたのは、エクシアの力だよ。――エクシアのおかげだよ)
「まぁ、本当に……沙慈もこんなに立派なガンダムに乗れて……」
 絹江が近寄って行って、エクシアの機体をさする。
「姉さん……帰ろう。姉さんが失っていた故郷へ……」
「ええ……」
 絹江が沙慈の言葉に答えたように思う。絹江の目に光るものを見たと思ったのは、沙慈の気のせいだったろうか……。沙慈とエクシア、そして絹江は、明るく輝く道を進んで行った――。

「ん……」
 絹江が目覚めると、そこは白い部屋だった。カーテンから日の光が差し込む。
(私、何をしてたのかしら……今までのは、夢? ――確か、沙慈とガンダムエクシアが、私を暗くて寒いところから連れ出して――)
(姉さん……)
 沙慈の笑顔が浮かんで消えた。
「沙慈……」
 沙慈が元気でいるといい。ルイス・ハレヴィという恋人と一緒にいるといい――。きっと、ルイスはまだ、沙慈と付き合っているはずだから。あれからどのぐらい時間が経ったのか、絹江にはわからなかった。
「絹江さん」
 女の看護師が絹江の名を呼んだ。絹江は「はい」と返事をした。
「まぁ、絹江・クロスロードさん……! 気が付いたのですね」
「はい……」
「……さぁ、栄養をつける為に、少し間を置いてから食事にしましょうね。……でも、まずは検査をしてからですかね……」
 そういえば、胃がぺちゃんこになったような気がする。
「私は……いつからここに?」
 看護師の喋ったことについて、絹江は驚いた。
「そんなに時間が経ってたんですか……!」
 長いこと、絹江の意識は暗い、牢獄のような空間の中に閉じ込められていた。それが、明るいところへ急にばっと出たのだ。――絹江は頭がくらくらした。
「そうですか。そんなに……」
 そういえば、意識に流れ込んだ弟の沙慈の声も、随分しっかりして男らしくなったように思う。沙慈もいろいろと大変な目にあっただろう。けれど、人間としてはそれで練られて来たのだ。
「でも、絹江さんの意識が戻って、良かったです。……一生このままであっても不思議ではないと思ってましたから――。本当に、良かったです。神様は……いるのですね……」
 看護師が泣き出した。まだ若いのだ。――絹江は頭を撫でてやりたくなった。
(私の神は……ガンダムかしらね)
 刹那が聞いたら喜んで賛同してもらえるかも知れない台詞を、絹江は心の中で呟いた。それに、沙慈も。
 ガンダムは、今もいろんな人を救っている。自分のような者をも。
(ガンダムエクシア――私はあなたを忘れない)
 絹江は、そっと胸に手を遣った。
 ガンダムエクシア、愛している。
 ――それは恋に似た感情だった。もし、ガンダムエクシアが人間だったら、恋に落ちていただろうと、絹江は自分の心を分析した。――その頃、沙慈とルイスも、夢を通して絹江の思いを感じ取っていた。

2020.01.16

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