ニールの明日

第二百九十話

「リボンズ……」
「やぁ、ヒリング」
 リボンズ・アルマークは心安立てにヒリング・ケアに返した。リボンズ達は花の匂いが立ち込める秘密基地で悠々と休んでいる。
「あたし、何かすることない?」
「じゃあ、レコードでもかけてくれ。――でも、ワーグナーは止してくれよ」
「はぁい」
 ワーグナーを断った理由を、ヒリングは知っている。リボンズはアレハンドロ・コーナーのお小姓だったのだ。少なくとも、昔はそう見せかけていた。――そのアレハンドロはワーグナー狂だったのだ。
(アレハンドロなんて、あんな男――あたしのリボンズを好きにして……死んでくれて本当に良かったわ)
 ――無難なところでモーツァルトにした。リボンズが目を閉じる。
 いつになったらリボンズは動き出すのだろう、とヒリングは思う。ヒリングはリボンズを慕っているが、彼の行動はどうも読めない。だからこそ、ヒリングは付いて来たのだが。
(アニューは裏切った)
 ヒリングは唇を噛んだ。リジェネ・レジェッタは、ヒリングとは別の意味でリボンズに従っている。リヴァイヴ・リバイバルも――。
 けれど、ヒリングは彼らにはない感情をリボンズに対して抱いている。ヒリングはリボンズに恋をしているのだ。
 それなのにリボンズは、刹那にしか関心を向けていない。
 リボンズはよく刹那のことを話題にする。まるで、片想いの相手のことを話すかのように。……恋する者だからこそ、わかるのだ。
 リボンズ・アルマークは、刹那・F・セイエイに恋をしている。
 でも、刹那にはニール・ディランディという恋人がいる。リボンズは時々憂い顔をするが、そんな表情でさえ、ヒリングにとっては愛しい。
 リボンズの全てを自分のものにしたい。自分の全てをリボンズに捧げたい。
 音楽の波にたゆたいながら、ヒリングはそう思う。
 ――ああ、そうだ。茶碗を洗おう。
「リボンズ、あたし、さっきの食器洗ってくる」
「ああ、頼むよ」
 ヒリングだって、誰かにその雑用を押し付けても構わないし、全自動食器洗い乾燥機もあるのだが、今は考えることを放棄したかった。
 食器の汚れを落とす。悩みも綺麗になって行くように願う。「急に癇癪を起こしてカップなどを割るのは止めてくれよ」と、リボンズに笑われながら念を押された。
(あたしだって、皿洗いくらいちゃんとやれるわよ――)
 けれど、ヒリングはリボンズに対して面と向かって逆らうことなど出来やしない。それに、リボンズの台詞だってあながち冗談には受け取れないのだ。――ヒリングは時々、癇癪を起こす。
 リボンズ――……。
 単純作業をしていれば少しは気が紛れるかと思ったが、考えるのはリボンズのこと。皿洗いは嫌いじゃなかったし、水切りかごも一応ある。だが、ヒリングは機械で食器を乾燥させる。
(リボンズ……あたしじゃ、ダメなの? 刹那じゃなきゃ、ダメなの……?)
 ヒリングは珍しく気落ちしていた。癇癪を起こす危険性もない代わり、どうも気勢が上がらない。ヒリングは溜息を吐きながら、ふるふると頭を横に振った。
 あたしの方が、リボンズのこと、よく知ってるのに――……。リボンズだって、あたしのことよく知ってるじゃない。
 だが、よく知っているからこそ、リボンズの恋愛対象にならないことも、ヒリングは感じている。それに、刹那・F・セイエイは、アレハンドロとは比べ物にならないくらい、いい男だ。リボンズが夢中になるのも、わかる。
(あの男、リボンズを救うとか言っていたわ。救える訳ないのに……救われないからリボンズはリボンズでいられるのよ。刹那に救われたリボンズなんて――そんなのあたしのリボンズじゃない)
 ヒリング達は刹那達のこともよくわかっている。こっちの姿は見せないが、情報が入って来るようにしてあるのだ。
(刹那……アンタにはニールとか言う男がお似合いよ。そりゃ、ニールだっていい男だけどさ――)
 そう考えるヒリングは、刹那にちょっと焼きもちを焼く。何でいい男はみんな刹那の方が好きなのだろう。いつもならここで怒りを爆発させるところだが、今は違った。
 リボンズも刹那に魅了されている。自分じゃ気付かないかもしれないが。
(岡目八目ってヤツね――)
 ヒリングは再び溜息を吐いた。24世紀になって改良に改良を重ね性能がぐんと上がった食器洗い乾燥機は、食器をすぐに乾燥させる。ヒリングもいつもは食器洗い乾燥機で食器を洗うこともするのだが。
 でも、気持ちを鎮めたい時は、手で食器を洗う。
 乾いた皿などを片付けたヒリングは、小さなじょうろで植物に水をやっている。
「リボンズ。そんなこと、あたしがするのに――」
「いいんだ。僕がやりたくなったんだよ。花は好きだ。人間のようにやかましくない。……本当は花や植物にも感情はあるはずなのに、黙って耐えている」
「リボンズ……」
「まるであの男だな。運命に身を任せ、黙って耐えている――」
 あの男とは、刹那のことであろう。
 けれど、刹那のどこが黙って耐えているのだろう。刹那は自分の考えのままに、自ら運命の渦に飛び込んでいる。
 リボンズにもわからない刹那の顔がある。それがヒリングを得意にさせ、彼――か、彼女か――は、にやりと笑った。
「どうした? ヒリング」
「べーつーにぃ。ただ、刹那はリボンズが考えるより食わせ者かもよ」
「それならそれで構わないさ」
「――ちぇっ」
 ヒリングはリボンズを出し抜いたと思ったのに、リボンズは刹那が食わせ者でもいいと言う。リボンズも油断のならない男なのは、ヒリングも知っている。
 刹那に同情する気はないけれど、リボンズのことは気にかかる。――刹那・F・セイエイは性根は真っ直ぐなのだろうが、ただの心優しい青年ではない。厄介な男に惚れたわね。リボンズ。
 アリーもあの世へ行ってしまった。ヒリングはあまのじゃくなのか、悪役と言われそうな人物にばかり惚れる。アリーには何の興味もなかったが。
 だが、アリーが亡くなってから、リボンズは少しおかしくなってしまったように思える。――多少、センチになったように思うのだ。刹那のことを繰り返すのもその現れだ。
(リボンズ・アルマークは簡単に救われちゃいけない)
 それは、ヒリングの確固たる信念だった。
 刹那もリボンズのことを考えてくれている。けれど、それはヒリングにとってはずれた考え方だ。刹那がどんな考えを持っていようと、ヒリングは構わないのだけど。
(ねぇ、リボンズ。昔のあなたに戻って。――アレハンドロ・コーナーやアリー・アル・サーシェスを掌の上で転がしていた頃のあなたに戻って……)
 それが、ヒリング・ケアが恋した、冷酷無比の男、リボンズ・アルマークなのだから――。
 ヒリングはリボンズの外見も好きだ。
 若草色の髪、白皙の美貌、野心に輝く大きな瞳、すらっとした体つき――。
 その頭脳の中には、リジェネやティエリアも驚く程の情報と策謀が渦巻いているに違いない。
(ああ、リボンズ・アルマーク……あたしはあなたの虜……)
 だから、ずっと――ティエリアやアニューがリボンズを裏切っても、ヒリングは彼をずっと追い続けていた。
 当然、閨だって、リジェネがいなければ、自分が慰み者になってもいいと思う程――。
 イノベイドは無性だが、ヒリングは一応女性としての役目を果たせる。
 けれど、やはり、リボンズには自分などが手に届かない孤高の存在であって欲しい。それはただの我儘だろうか。少なくとも、花の水やりをしている姿はリボンズには似合わない。
 ああ、だけど――……。
 花を愛でるリボンズなら、それはそれで絵になるかもしれない。リボンズは花のような美貌だ。それとそっくり同じ顔をヒリングは持ち合わせている。
 ヒリングは自分の似姿に恋をしているだけかもしれない。――いや、リボンズと自分では、能力が段違いなのだ。
 もっと、リボンズの役に立ちたい。リボンズの隣で戦いたい。そして――。
 最期はリボンズの為に死にたい。
 リボンズに殺されてもいい。ヒリングはうっとりと目を閉じた。花に水をやり終えたリボンズは、じょうろを所定の場所に置く。
「ヒリング……今日はいつにも増して綺麗だね。この花々の美しさも色褪せて見える程さ」
「じゃあ、抱いてくれる?」
「――冗談を」
 リボンズはくすくす笑う。質の良くない笑いだが、その姿も品があって様になる。
 ヒリングは、リボンズのような美しい存在が世界を統べることを夢見ている。あんな、クルジス生まれの薄汚い青年ではなく――。
 ヒリングはリボンズと同じ顔であることを心の底から誇りに思う。そして、リボンズには言わないが、ヒリングは彼を神と崇めている。神の命令だったら、どこへでも行く。――きっと地獄へも向かって行くだろう。
 何故なら、リボンズはヒリングの神なのだから。
 けれど、どうして刹那・F・セイエイなのか。この世の底辺とまでは行かぬまでも、なまぬるい現状に幸せを感じているらしい刹那。リボンズにもそのなまぬるい幸福とやらを与えてくれるつもりなのか。
(はっ、何よ。刹那・F・セイエイなんて――)
 ヒリングにとっても、CBは敵だ。何故なら、刹那がいるからだ。
(刹那・F・セイエイ。アンタはあたしの恋敵よ。どこからでもかかってらっしゃい)
「リボンズ。いつ、CBに戦いを挑むの?」
「まぁ、待て。このままイノベイター達と戯れるのも楽しいことだとは思わないか? 僕達には時間はいっぱいあるんだ」
「そうね……」
 ヒリングは、シャーロット・ブラウンのことを考えていた。
 ――リボンズと同じく、ヒリングが守りたいと思った、数少ない存在。
(シャーロット……会いたいわ。今すぐ)
 あの娘は、ヒリングの母性本能をくすぐる唯一の存在であった。そして、そのことをヒリングは密かに愧じてもいた。
(あんな小娘に夢中になってしまうだなんて――)
 リボンズの為なら地獄行きも厭わないけれど、シャーロットに泣かれたら、ヒリングは戦いを辞めてしまうかもしれない。――そんな自分をヒリングは愧じる。
 シャーロット・ブラウン。あの娘がいなかったら、リボンズに忠誠を誓い続けられていたものを――。リボンズの手足として動けていたものを。人をそれは何と呼ぶのか。
(もしかして――これが愛?)
 ヒリングの頬に血が上った。リボンズがまたくすっと笑った。そして、ヒリングの頭を抱いて、ヒリングの髪をかき乱した。
「ヒリング……今はキスだけで我慢してくれるかい?」
 これが他の男だったら、ヒリングは相手が再起不能になる程の暴言を吐いたに違いない。けれど――相手は自分の神、リボンズ・アルマークだ。ヒリングは力なく、「うん……」と呟いた。

2019.11.16

→次へ

目次/HOME