ニールの明日

第二百十三話

「俺もだよ」
 その時――ライルが声を張り上げた。ニールは何も言っていないのだから。ニールはライルの方に視線を向けた。
 きっと、さっきの王留美の台詞を聞いての発言に違いない。
「俺も――戦闘そのものは嫌いじゃない」
 そういえば、こいつはアロウズと戦争になるかもしれないという時、結構ノリノリだったな――ニールは思い出した。自分も人のことは言えないかもしれないが。アリーとニキータの命を奪ったのだから。
「俺は、戦争も必要悪だと思っていた」
 思っていた。過去形だな。
「でも、そんな俺の考えを変える存在が現れた。――アニュー・リターナーとベルベット・アーデだ」
「べる……?」
 ベルベットが言った。
「アニューがいても俺は戦争を続けただろう。だが――ベルベットが『せんそうはやめて』と言ったなら……俺は万難を排して戦争を辞める道を探しただろう」
 ライルにとっては、アニューが妻で、ベルベットは子供だろう。――ベルベットは、アレルヤとティエリアの娘、そして、CB全員の娘だ。ベルベットがいなくなったら、ここは随分寂しかろう。
 そして、アニュー・リターナー。この、花の香りをいつでも纏っているような女性の心をライルは射止めようとしている。――いや、既に射止めたのかもしれぬ。
 ――グレンがそっぽを向いたのに、ニールは気が付いた。
 グレンにとっては、アニューは王留美を殺そうとした女だ。例え、操られてであっても。

 三十分間の休憩中のこと、アニューがグレンと王留美に謝罪しに行ったのを、ニールは見ていた。
「王留美さん――あの時は……ごめんなさい」
 すると、グレンが、
「留美を殺さなくて良かったな。もし留美が死んだら、俺はアンタを一生恨んでいた――」
 と、王留美の代わりに答えた。王留美は何も言わなかった。言えなかったのだろう。
 アニューは、ごめんなさい、ごめんなさい――と泣いていた。どうしたもんかな、と、ニールが迷っていると――。
「そんなに考え込まなくたって大丈夫だぜ」
 ライルが横合いから口を出す。泣いているアニューの肩を抱いて。
「グレンもアニューにどう言ったらいいのかわかんないのさ。――ガキだからな。けれど、俺もグレンの気持ちはわかる。ただ――留美は今のところ無事だから、いつかはアニューのこともわかってくれるさ」
「ライル……」
 ライルも大人になったな。双子の兄であるニールが、ライルの成長に舌を巻いた。
 ここはライルに任せよう――ニールがその場を立ち去った。その時、刹那と目が合った。
(何だ――)
 ニールはにこりと笑った。お前も見てたのか。心の中でそう言って。――刹那は首肯した。
 ここはライルのステージだな。アニューは弟の……ライルの、女だもんな。
 ――ニールは思った。そして、カッ、と足音を鳴らしてその場を離れた。
(兄さん……?)
 ライルらしい声が聴こえたが、ニールは敢えて振り向かなかった。
(偉いぞ。ニール)
 刹那の褒める声もした。ニールは、今度はゆっくり刹那の方を見た。
(もうすぐ話し合いが再開される。――その前にジャーマンポテトでも食うか。刹那)
 刹那は、(ああ)と、思念で答えた。

『では、俺達もアロウズとの停戦の方向に考えを纏めるということで』
「カタロンのクラウス・グラード、ならびにシーリン・バフティヤール。わかってくれたようで何よりです」
 王留美が優雅に宮廷風のお辞儀をした。
『いえいえ。俺達もベルベットの言葉で目が覚めましたよ――こんな言葉遣いで失礼しました。正式な会談の言葉使いなど、俺はわからないので』
「私達は気心の知れた仲ですから」
 王留美はさぞ、綺麗な笑みを浮かべたであろう。美女と評判の彼女である。グレンは、今度は王留美のことを愛し気に見つめていた。
 ――王留美も愛されているな。
 ニールの口元が笑みを噛み殺そうとむずむずとしている。
 パンパンパン。
 手を叩く音がした。スメラギ・李・ノリエガだ。
「素晴らしかったわ。王留美。クラウス・グラードさん」
「スメラギさん……」
 王留美が呟く。
「ミス・スメラギ……」
 ニールもスメラギの方を見た。――機械のスイッチが消され、電灯が辺りを照らす。
「ミス・スメラギ、アンタも戦争は反対か?」
 ニールが訊くとスメラギは顔をそらした。
「エミリオだって、無駄な戦いは望んでいないと思うし……」
 エミリオ・リビシ――既に故人となった、スメラギのかつての恋人である。彼女は未だに、その恋人を想っている。
「でも、いいのか? 戦争がなくなったら、アンタの仕事もなくなるんだぞ」
「それはそうだけど――でも、私の仕事なんて、なくなった方がいいのよ」
「スメラギさん。私は戦術予報士という仕事がなくなっても、CBは貴女を必要としていますわ」
 王留美の言葉に、スメラギは少し嬉しそうな表情をその美しい顔に浮かべた。
「ありがとう。王留美」
「これからも――宜しくお願いしますわ」
「ええ」
 そして、王留美はスメラギの前に立つと、相手に手を差し出した。王留美とスメラギが握手をする。――良かった良かったとニールは頷いた。
 だが、喜んでばかりもいられない。
 今度はアロウズ――そして、リボンズ・アルマークと対談しなくてはならないのだ。尤も、リボンズは表に出てくるかどうかはわからないけれど――。
「はなしあい、まだあるの?」
「そうよ。ベルベットちゃん。戦争をなくす為にね」
 不思議だ――王留美がベルベットを対等に扱っている。敬意を現わしていると言ってもいい。
「王留美。アンタはベルを子ども扱いしないんだな」
「ええ。この子は私の命の恩人でもあるし――それだけでなく、この子はCBには必要な子供ですもの。ねぇ、ティエリア、アレルヤ」
「ははっ。そう言われると嬉しいですね」
 アレルヤはすっかり脂下がっている。ガンダムマイスターとしての威厳もない。ベルベットにかかっては、アレルヤもただの一児の親である。――ベルベットは、違う世界からやって来たのであるが。アレルヤもティエリアもベルベットの存在に馴染んだようである。
「ベルベット。疲れたんじゃないか? 大人の話は」
 ティエリアが訊く。ベルベットとっての――「かあさま」。
「うん。だいじょうぶなの。かあさま」
「おい、ベル。今度は俺をお兄様と呼んでくれないか」
 髭もじゃの男が言った。えーと、この男は名前は何だったかな。ニールが記憶を辿っていると――。
「バルドゥル、お前はお兄様と言うよりオッサンだって」
 彼の友人――確かコールリッジと言った――のその声に皆はどっと笑った。あー、そうだ。バルドゥルだ。ニールがぽん、と手を叩いた。
「ニール、俺に訊いてくれたら教えてやったのに」
「あ……悪かったよ。刹那」
 笑いながらニールは刹那の頭をかいぐりかいぐりした。
「バルドゥルおじちゃま……」
「ベル……お前まで俺をおじさん扱いするのか……ショックだぜ。こう見えても俺も昔はすんげぇいい男だったんだぞ。そこにいるニールやライルとタメ張れるくらいにな」
「ためはれる……?」
 ベルベットが疑問に思ったようだ。
「ああ、まぁ、つまり、バルドゥルは、昔はニールやライルと同じくらい男前だったということだ。――そう思ってるのは本人だけかもしれんがな」
「ひでぇなぁ。ティエリア。お前さんだって女性と間違われるような顔しているくせに」
「でも、アレルヤはこの顔が好きだと言っていたぞ」
 ティエリアの台詞には得意げな響きが混じっていた。
「べるもかあさまのおかおすきー!」
「ありがとう。ベルベット。――もう二度とこの顔にコンプレックスなど持たないぞ。僕は」
「そうだな」
 ニールが言った。アレルヤとベルベットに愛されたティエリアの顔。ティエリアは昂然と頭を上げ、「これが僕だ」と主張していくことだろう。
 それも、ティエリアを愛する者が与えた魔法。
「ベルベットが来てから、CBは明るくなったな。――前からそう暗い連中ではなかったかもしれないがな」
 刹那がニールに言った。ベルベットはCBの厄介者どもの心をひとつにした。――セルゲイがコーヒーを持って来てくれた。ニールと刹那に。

2017.8.16

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