ニールの明日

~間奏曲15~または第二百十六話

 私は、ニキータ。
 親は死んだ――と聞かされてきた。でも、お母さんはいつもアリー・アル・サーシェスの写真を見せてくれた。写真の中のアリーはとてもかっこよかった。
 ――私が惚れる程。
「このひとが、わたしのおとうさん……」
「そうよ」
「かっこいい……」
「そうね。確かにアリーは格好良かったわ」
 そうしてお母さんは遠い目をした。在りし日の思い出を追っているかのように。
「彼は硝煙の匂いを身に纏っているような男だったわ。だから、私は惹かれたのね」
「おかあさん……」
 ――その後、お母さんは死んだ。私はアリーの写真を大事にした。どうしてもお父さんだとは思えなかった。――恋人だと思っていた。
 クラウスに拾われた時も、私は助かった、とか、有り難いとかも思わなかった。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「――ニキータ」
「姓は?」
 私は静かに首を横に振った。
 クラウスは、
「そうか」
 としか言わなかった。
 この地域には、姓を持たない人間が結構いる。――グレンやダシルのように。
 話を戻す。
 私はカタロンの基地にお世話になった。アリーのことは、それはそれとして、私はクラウスにも恩は感じていた。
 しかし、運命は私とアリーを結びつけることになる。そして――私は父アリーに処女を捧げた。――その結果として、私は妊娠した。
 だが、私はアリーを庇って死んだ。後悔はなかった。死ぬこと自体は怖くなかった。死はいつも私の傍にあったから。戦争で死ぬのは嫌だな、とは漠然と思ってたけれど。でも、アリーとの愛の為に死ねたんだから、今は、本望だと思っている。
(アリー……)
 私はアリーと一緒にあの世へと旅立った。今までの記憶や、私が知らなかった事実と共に。
 あの世は――私の想像とは随分違うところだった。私達は薫風に包まれる。
 小奇麗な家。それを見て、アリーは一筋涙を浮かべた。
「アリー? ――泣いてるの?」
「ニキータ――俺の涙を見て笑うか?」
「ううん。笑わないわ。アリー」
「俺はな――愛する人と共にこういう家に住むのが夢だったんだ……本当に、夢だったんだ……」
 私はアリーの手をぎゅっと握った。
「笑わないわ。アリー。――私もそうだったんだもの」
「ニキータ?」
「――私、戦争で死ぬの嫌だったの。結局死んじゃったけど……でも、今はアリーが一緒にいるから。――お腹の赤ちゃんも」
「そうだ! ニキータ、お腹は平気か?」
「平気よ。――心配してくれてありがとう。お父さん」
「そのお腹の子供も俺の子なんだよな。俺は親父でじいさんか。何だろう。……悪い気しねぇな」
「ご飯作ってあげる。この家には何があるかしら」
「ニキータ!」
 アリーは私の手を解く。どうしたのかと思った瞬間、彼は力強く私を抱きしめた。
「ありがとうな……ありがとうな……お前のおかげで俺は……」
 アリーは滂沱の涙を流している。――私は彼が落ち着くまでじっとしていた。アリーが、頑是ない子供のように思えて。私の頬や父親譲りの赤い髪や肩口が濡れるのなんか気にしない。――しばらくしてからアリーは言った。
「お前の話を聞かせてくれ――。イゼベルのこととか、カタロンの基地のこととか」
 私の胸はちくりと痛んだ。私が触れて欲しくない話題ばかりだったのだ。
「――私の話なんて……聞いてもつまらないでしょ」
「いや、お前のことなら全て知りたい。お前はどうだ?」
「私も、アリーのこと知りたい。――けれど、知らない方がいいこともありそうな気がする」
「そうだな。俺は――悪党だったからな」
 拘束が解かれる。私はアリーの顔を見た。泣き止みはしたようだがまだ涙の跡の乾いていないアリー。彼は鼻を啜る。濡れた頬が日光に反射している。口元は笑みの形に歪んでいた。私はハンカチをアリーに差し出す。アリーは礼を言って使ってくれた。
「まぁ、俺のことはおいおい話すことになるだろうな」
「ええ――私達はここで、ずっと一緒よ」
「ニキータ。お腹の子は男か? 女か? どっちだ?」
「わからない。まだ――」
「女だったらイゼベルってつけようぜ」
「そうね――」
 私は複雑な気持ちだった。イゼベルは愛する母であると同時に、アリーの恋人だった――私のライバルだ。
 でも、その他にいい名も思いつかなかった。
「じゃあ、男だったら何てつけようかしら。ゲイリーなんてどう?」
「おいおい。それは俺の偽名じゃねぇか」
「だから言ったのよ」
「ニキータ――幸せな、家族になろうぜ」
「ええ」
「今まで俺達が手に入れられなかった幸福を、手にしてやろうぜ。俺達は、世界一幸せな家族になるんだ」
「宇宙一でしょ」
「ははっ、一本取られたな」
 アリーは、私の頭をよしよしと撫でた。私は、今までの分も含めてアリーに思いっきり甘えようと思った。今度は私がアリーの胸元に思い切り頭を擦り付けた。――ずっと、こうしていたかった。私はアリーに寄り添って、アリーの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。アリーが私の腰に手を回した。
「俺の娘は甘えただな。俺も人のこたぁ言えねぇけどな」
「だって――アリーは最愛の男だもの。それにアリーだって、さっき泣きながらしがみついたというか……抱きしめて来たでしょ? 私を頼ってくれるのは――嬉しかったけど」
「お前はいい女だよ。ニキータ。今まで会ったどんな女より、ずっと」
「だって、アリーのこと宇宙で一番愛してるもの。出会えたのも運命ね」
「お前――俺のこと、初めからわかってたのか?」
「勿論」
 私は即答した。
「ずっと会いたいと思ってたんだもの。アリーのこと、すぐにわかったわ。カタロンの基地であなたを見た時から」
「あなた――か。何かくすぐってぇな」
「だって、私はあなたの妻だもの」
「違ぇねぇ。――ハンカチ返すぜ。ニキータ」
 私が笑顔を浮かべハンカチを受け取ってポケットにしまうと、アリーは豪快に自分の目元を手の甲で拭って、私をお姫様抱っこした。ああ、アリー……私、嬉しい……。アリーは私の体に負担がかからないようにゆっくりと運んでくれる。
「ここで、ずっと暮らしていていいのよね。私達――」
「ああ。神なんていねぇと思ってたが……こんなささやかな幸せをくれるんだったら、生前、ちょっとは信じてやっても良かったなとは思うな」
「やだ……神様信じるアリーなんてアリーじゃない……」
 私の言葉にアリーが一瞬笑み崩れたように思えた。
「そうだな。――俺は神の名を利用した。そのせいで……両親を手にかけた子供もいる」
「――刹那のこと?」
「まぁな。でも、お前は俺の娘にしては上等だ」
 玄関に着くと、アリーは私の体を下ろした。
「立派な家じゃねぇか」
「私達には勿体ないぐらいね」
「馬鹿。俺達も苦労してきたんだ。これぐらいの環境、与えられて当然だろ」
 私達は見つめ合う。
「入ってみましょうか」
 私はそう言ってドアを開けた。鍵はかかってなかった。
「ほう――内装も俺の理想そのままじゃねぇか」
「アリーはこんな家に住みたかったのね」
「お前以外の誰にも言ったことはなかったけどな。さっきは当然だと言ったが、本当は俺には過ぎた褒美かもしれねぇな。愛する家族と共に食事したり遊んだり――俺はずっと、そういう環境に憧れていた。戦場で暴れ回るのも好きだったがな」
「今のアリーだったら、いい父親になれるわよ。――私もいるし」
 だが、私は――アリー・アル・サーシェス、この梟雄に首輪をつけて飼い犬にしてしまったんじゃないだろうか。今の穏やかなアリーも好きだけど……傲岸不遜で殺意を纏いつけているアリーも好きだったから。
 そう――私はどんなアリーも愛していた。ううん。過去形じゃない。愛しているのよ。少しずつでいいから、アリーのことをもっと良く知りたいと感じる程に。

2017.9.15

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