ニールの明日

第二百十二話

 ――三十分が経った。
 機械臭の漂う食堂で、イアンやダシルが直したマシンが作動する。ニールが唾を飲み込む。この話し合いはどうなるのであろうか――。その結果によって、自分達の動向が決まる。
 再びクラウスとシーリンの姿が現れた。
(アロウズが和平に応じてくれるといいが――)
(無理だろ)
 ニールの考えに刹那が水を差した。
(刹那……)
(最終的にはどうなるかわからない。でも、今の段階では無理だろう。――リボンズはちっとも救われていない)
(刹那……)
 リボンズ・アルマークを助けたい。確かに刹那はそう言った。
(リボンズを助けられたら――刹那、お前は立派なガンダムになれるな)
(――皮肉か?)
(お前に皮肉を言ってどうする。本心だよ)
(だったら嬉しい。ありがとう)
(お……お前は時々直球をかますな。くらくらするぜ)
 ニールと刹那が脳量子波で会話をしている間も話し合いは進んでいる。クラウスが何か言っていたが、ニールは聞き逃した。
『私も――マリナ姫と話をしました。王留美。私は決めました。この戦いにピリオドを打つ手伝いをします』
「わかってくださって光栄ですわ。シーリン」
『きっと姫様も――そうした方が喜んでくださると思いますわ。――私は姫様についていくだけですから』
「――マリナ姫はいい方ですわね」
『ええ。――あの時から、私は姫様についていくと決心したのです』
「何か訳がおありのようですわね」
『ええ――マリナ様と初めて出会ったあの日から……』

 ニールの頭の中に映像が浮かんだ。
 これは――誰だ。
(お父さん、お母さん……)
 シーリンの声だ。今より少し高い声の。幼き日のシーリン・バフティヤールの声。
(ここは、どこなのかしら――?)
 シーリンは誰だか知らないが、大人の女性のスカートの裾をぎゅっと握っている。――外は雨。濡れた道から漂う快くなくもない匂いまで再現されるような気がする。
「さぁ、お友達ですよ」
 大人の女性が言った。
 目の前の女の子はすぐにわかった。マリナ――マリナ・イスマイールだ。
「マリナ様」
 シーリンは目を瞠った。こんな美しい女の子には出会ったことがない。
「シーリン。マリナ様ですよ。挨拶して」
「あ、私は……シーリン・バフティヤール……」
「わたしはマリナ・イスマイールです。これからよろしくおねがいします」
 マリナはシーリンに挨拶してぺこっとお辞儀をした。
「あ、あの……」
「シーリン。マリナ様はね、このアザディスタンの第一皇女なの。とても偉いのよ」
「やだわ、そんな……」
 マリナは照れたようだった。けれど、こうも言った。
「わたしがアザディスタンのおうじょになったら、このくにをへいわでりっぱなくににします」
 そう言ってマリナはにこっ。その考えは、シーリンにも魅力的に映った。――シーリンはマリナの手を取った。
「私も――お手伝いします」
「あらあら。もう仲良くなったのね」
 女性が笑顔で言った。
「わたし、ずっとおともだちがほしかったの! ありがとう、デボラ」
「――どういたしまして」
「姫様、私なんかが友達で――いいんですか?」
 シーリンがおずおずと訊く。マリナは少し寂しそうな笑顔を見せた。
「シーリンはわたしがともだちなの、いや?」
「とんでもない!」
 シーリンが叫んだ。
「では、わたしたち、おともだちね」
「ええ――」
 そうか、これはきっと――シーリンとマリナの出会いのシーン。何故今、ニールの脳裏に再生されたのかわからないけれど――。
(ニール)
 刹那の声がした。
(なぁ、刹那――今、マリナとシーリンの子供の頃の映像が浮かんだんだが)
(奇遇だな――俺もだ)
(マリナとシーリンは……ただの主従関係じゃなかったんだな)
(ああ――それよりニール、お前はマリナ――かシーリンの心を読んだのか?)
(まさか。――勝手にイメージが浮かんだんだよ)
(俺もだ。誰かが……見せたのかもしれんな)
(ああ、そうだな――誰だか知らないけれどな)
(ニールもイノベイターとして着々と進化しているしな)
(進化? 俺がか?)
(ああ――お前は自覚していないかもしれない。けれど、俺の方が僅かに早く、イノベイターとして目覚めたからな……ニールの成長はわかる)
(俺はずっとお前の兄貴のつもりでいたが――立場が逆転したな)
 ニールがそう考えた後、くすっと笑った。
 イノベイターとしては刹那の方が先輩だ。まぁ、ちょっと悔しい思いもあるがな――ニールは思った。
(刹那も――成長してるよ。いつか、俺の手から離れる日が来るのかもしれないと思うと――少し寂しいぜ)
(心配しなくてもいい。お前はいつまでも――俺の兄貴分だ)
 ああ、刹那……。
 ニールはさっきグレンに飛びついたダシルのように、刹那に抱き着きたかった。それをしなかったのは大人としての分別と――それから、今は非公式ながらカタロンとの対談である。
『私は――アロウズが停戦の話を受け入れたら攻撃をやめることにしますわ。尤も、私達だけでは大した攻撃は出来ませんでしたけれど――』
 シーリンの声でニールは我に返った。
「それがいいですわね」
 王留美も満足そうな声を出す。
「全てはアロウズの出方次第ですわね」
『私もそう思っておりましたわ』
 ――シーリンと王留美は意気投合したらしかった。彼女達はどこか似ている。だから、すごく仲良くなるか、思いっきり反発するしかないのだ。
「あ、しーりんおねえちゃま……」
 ベルベットが言った。
『何かしら。ベルベットちゃん』
 シーリンが訊いた。
「あのね、べるね――しーりんおねえちゃまもくらうすのおじちゃまもすきなの。しんでほしくないの。せんそうしてほしくないの」
『ありがとう。ベルベットちゃん』
『ベルベットは本当にいい子だな』
 シーリンとクラウスが言う。ベルベットが照れ臭そうに笑った。
「おい、ベルベット――今は大人の話中だ」
「いいじゃないか。ティエリア」
 そう口を挟んだのはアレルヤだ。
「ほら、結局いい感じになったじゃないか。ベルは頭のいい娘だ。考えなしに僕達の邪魔はしないよ」
「む……それはそうだが……」
「私も――戦争を辞める気になったのはベルベットちゃんがいたからですわ」
 王留美は隣のベルベット・アーデの頭を撫でる。やはり、子供の影響は大きい。子供がいるから、皆、将来のことを考える。――子供がいなかったら、大人達はもっと無軌道な生活をしていたであろう。ニールはそんなデータを読んだことがある。
 ベルベットは小さな平和大使だな。ニールは心が和むのを覚えた。自分も笑みをこぼしていることだろう。 刹那の方に目を遣ると、機械から発する光に照らされた恋人は穏やか顔をして、いつもより美しく見えた。

2017.8.6

→次へ

目次/HOME