ニールの明日

第二百十五話

(そういえば、刹那は――)
 アリーに洗脳されていたとはいえ、実の両親を殺していたのだった。
 ニールは刹那に近寄って、ぽんと肩に手を置いた。まるで元気づけるかのように。原因は違えど、ニールと刹那は家族を失った者同士なのだ。
(刹那、俺がいるから――)
(……ありがとう、ニール)
(――聞いてたのか)
(ああ。お前の手が触れた肩から思念が流れ込んでくる……温かい……)
 刹那は血腥い幼少期を送って来た。そんな彼は、自分達だけ幸せになろうとするなんて――と思っていることだろう。
(ニール――心配せずとも、俺はもう幸せだ)
(また思念を読んだのか)
(――悪い)
(いや、お前だったら、許せるよ。なんせ、お前は俺の半身だからな)
(半身――)
(伊達にお前を抱いていると思うなよ。何なら一晩中抱いてだっていいんだぜ)
(馬鹿……)
 けれど、ニールは一度やってみたかった。――三日三晩刹那を可愛がることを。そんなことを言ったら刹那は怒るかもしれないが――言わなくとも、既に刹那には伝わっているかもしれないが。
(――考えとく。まぁ、この戦いに決着がついてからだが)
(刹那――)
 愛しい者がますます愛しくなる。これはその喜びか。
(お前が孕むぐらい愛してやっかんな)
 ニールは刹那の肩に置いた手を離し、その手で刹那の頭をぐしゃぐしゃにする。刹那は一応大人しくしていた。
(孕むって――子供を産むのは俺か)
(まぁ、俺だって刹那に痛い思いはさせたくないが――役割から言って産むのはお前だろ)
(そうだな……)
 刹那はニールの手をどかす。
「ニール」
 スメラギ・李・ノリエガが歩み寄っていた。
「ミス・スメラギ。アンタもコーヒーなんだな。ここにも酒はなかったという訳か?」
「少しはあるみたいだけど。――私ね、お酒を断つことにしたの」
 ニールが目を瞠る。
「それは……まぁ、アンタにはいいことだが――何でまた」
「お酒に逃げるのは辞めにしたの」
「戦術予報士の仕事に支障でも?」
「違うわよ――実は、ベルベットちゃんのおかげなの」
 また、ベルベットか――CBのスタッフ達がいい方向に変わるのは嬉しいが。
「あのお嬢ちゃんが、何か言ったのか? 『すめらぎおねえちゃま、おさけのんじゃだめ』とか――」
 ニールがやったベルベットの物真似が似ていなかったらしい。刹那は密かに腹を抱えた。
「刹那――」
 ニールはそんな刹那を見て肩を落とした。まぁ、ニール自身も似ているとは思っていないけど。
「どうしたの? 刹那は」
「いや……それより、酒断ちの理由を聞いてなかったな。もし話してくれれば嬉しいんだけど」
「――平行世界にね、私のかつての恋人……エミリオがいるんじゃないかと思うと、希望が湧いてきて……どこからかエミリオが現れた時、私が酒浸りになっていたら、彼も失望すると思うの」
 やはり、エミリオはスメラギの永遠の恋人か。――ビリー・カタギリの友であるニールにとっては、ビリーのことも考えて欲しいと思うのだが。
「ミス・スメラギ。ビリーのことはどう思っているんだ?」
「ビリーは……いい人よ。見返りを求めず私のことを家に置いてくれたんだもの」
 いい人――か。いい人で終わるのはアンドレイと一緒だ。
「――アンタら、何もなかったんだな」
「ええ」
「それだけ、ミス・スメラギのことが大事だったんだろ? 簡単に体を求めない程」
 ニールはつい抗弁する。
「ニール――」
 刹那が袖を引っ張る。もうこの話題を終わらせる潮時だという合図だ。ニールは刹那を見た。
「ああ、今行くよ。刹那――」
 けれど、ニールはスメラギに考えて欲しかった。男が体を見返りとして求めないということがどういうことか。それが、どんなに鋼の精神力を必要とするか。――相手がスメラギみたいな豊満な胸の美女なら尚更だ。ニールでさえ自制心を保てるかどうかわからない。
 ニールだって、刹那を抱けなくなったら地獄の責め苦を味わうだろう。
(ニール、気持ちはわかるが、この問題は――)
(ああ――ビリーとミス・スメラギの問題だな)
(二人が生きて会えるかどうかわからないがな)
(――縁起でもねぇこと言うなよ。刹那……)
「――どうしたの? ニール、刹那」
「あ、何でもないさ。ミス・スメラギ」
 ニールが答えた。スメラギには、ニールと刹那の二人がただ顔と顔を合わせて黙って突っ立っているように見えたのであろう。――スメラギはクリスに呼ばれて、「バイ!」とニール達に手を振ってそちらの方へ行った。その時であった。
『ロックオン!』
 聞き慣れた機械音がした。もしかしてあれは――。黄色い丸っこいボディ。パタパタさせている『耳』。
「ハロ!」
『ロックオン、ロックオン!』
「何だよ――寂しくなったのか?」
『ロックオン、アイタカッタ』
「俺はもうロックオンじゃねぇ。ほら、今のお前のロックオンはあっちだ」
 ニールはアニューと歓談していたライルを指差す。正確に言えば、ライルが一生懸命アニューの気持ちを盛り立てようとしているところだが。ハロがライル達のいる方へ向かう。
(ニール……アニューをライルに近づかせて大丈夫か?)
 刹那が訊く。ニールが答える。
(さぁな。――だが、ライルはアニューに惚れてる。ライルに任せろって。ああ見えてライルは大人だ)
 そう――先程思い知らされた。ライルは双子の弟だが、それ以前に一個の男なのだ。ライルはアニューの支えになることだろう。
(心配じゃないのか? 兄として)
 刹那は驚いたような声音の思念を送る。
(心配は心配だけどさ――いいじゃないか。裏切られて傷ついたって。それが愛の為ならば。……死ななければ、生きていれば何とかなるんだよ)
(ニール……お前、変わったな)
(そうか? ――ま、今までは随分過保護だったと思うが)
(そうだったか? 過保護なのは俺に対しては変わらないようだけどな)
(それはまぁ――)
 けれど、それは刹那を愛する故で――。
 今度は刹那の自主性も認めてみるか。俺に出来る範囲で。
 例えば、刹那に他に好きな人が出来たなら――。
 その時は、その相手に刹那は渡さない。そう思うだろう。――やっぱり俺には無理だ。刹那を構うのをやめたり、況してや見放したりすることなんて。見守っていることは出来ても。刹那だけは誰にも渡したくない。それは束縛じゃないだろうか。
(ニール――俺も同じだ。お前を誰にも渡したくない)
(あ――刹那。また心を読んだんだな)
(お前は許すと言った)
(――確かに言ったな。なぁ、刹那。俺らは、愛し合い過ぎてるんじゃないだろうか。こんなに愛して――最後はどうなってしまうんだろうな)
(それは今考えることじゃない)
(――そうだな)
 ハロはアニューとじゃれ合っている。アニューの心も上向いたらしい。ライルも笑っている。
 この場面だけを見ていると、とてもアニューが危険人物だとは思えない。
 ――王留美が宣言する。
「皆様方、午後二時よりアロウズのホーマー・カタギリとの会談が始まりましてよ。参加はさっきの通り自由です。皆様のご参加をお待ちしておりますわ」
「なぁ、どうする?」
「決まってるだろ? CBの男どもの心意気をアロウズの野郎らに見せつけてやるんだ!」
「おおーっ!」
 さながら出入りの決行前である。
 全く、仕様のない奴らだぜ――ニールはこっそり呟いたが、そんな彼らは嫌いではなかった。無頼の迫力はあるが、腹は綺麗だ。王留美も優しく微笑んでいた。

2017.9.5

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