ニールの明日
第二百八十四話
フェルトが食事を持って自分のテーブルに帰ろうとした時だった。
「きゃっ」
フェルトが男とぶつかった。男はラッセ・アイオンだった。
「ああ……済まん。ごぼさなかったか?」
「……平気」
そして、二人は慌てて離れた。心なしか頬が紅潮してもいるようだ。
(あいつら――)
フェルト・グレイスとラッセ・アイオン。さっきからの様子をつぶさに見ていたニールがにんまりと笑った。刹那が、にやけた笑いを浮かべるな、とニールに言う。ニールは聞いてはいなかった。
(もしかしたらもしかすると――)
フェルトとラッセは離れた席に着く。けれど――ニールには二人の間に結ばれた赤い糸が見えたのである。
(なぁ、刹那。あの二人、好き合ってんだろ?)
(あの二人って?)
とぼけているのか、鈍いのか――。
(フェルト・グレイスとラッセ・アイオンだよ!)
(ああ、あの二人か――)
香ばしいコーヒーを飲みながら、刹那が脳量子波で話す。ニールはモカ・マタリで、刹那はブラジルだ。どちらも彼らの舌を満足させる味だ。オハラとは別に、飲み物係が用意してくれるのだろう。
因みに、ベルベットとリヒターはオレンジジュースである。
(何だ。ニール、気づかなかったのか)
(――ていうか、お前は気づいてたのかよ)
(……まぁ、恋をすると恋する者の気持ちがわかるというか……)
刹那の歯切れがいまいち悪い。ニールは、刹那の恋の相手は自分しかいないと思っている。だから、訊いた。
(なぁ、刹那。お前が恋してるのって、俺だろ?)
(――うるさい)
刹那がニールを睨めつける。けれど、はっきり嫌いだとは言われなかったので、ニールは有頂天になった。確かに、ニールの想像した通りだったのだから――。
けれど、フェルトが、自分や刹那に憧れていたことも、ニールにはわかっていた。
「なぁ、刹那。あいつら、どうにかしてやりたいな――」
ニールは口で呟いた。
「まぁ、幸せにはなって欲しいな。――で、具体的にはどうやるんだ?」
刹那も乗り気である。ニールは心の中で「よっしゃ!」とガッツポーズをした。
「つまりだな――」
(脳量子波で話せ)
ニールにこう命じたのは刹那。
(そうだな。そうだったな。つまりだな――)
ニールは作戦を話した。
(手法はクラシックだが悪くはない。それにしよう)
(おう!)
ニールと刹那は、空にしたコーヒーカップを持ちながら、グータッチをした。スメラギが、「刹那とニールって本当に仲いいわね」と、祝福するように呟いた。
(でも、決行は食事が終わってからにしよう)
(勿論だ)
(俺も腹減ったしな。刹那もコーヒーだけじゃもたねぇだろ)
(その通りだ。オハラの食事も悪くないしな。――いや、ここへ来てあの男、ぐんと目覚ましく料理の腕が上がった)
(アレルヤがコーチしているおかげだよ)
(オハラが飲み込みが早いからでもあるがな――)
こういう時こそ、肉声の出番である。
「おーい。コック長ー。刹那が、アンタの料理の腕が上がったって言ってるぞー!」
「こら、黙れニール! そう言うことは口に出して言うもんじゃない!」
こう言うことこそ口に出して言うもんだろ――ニールは言いかけたが、刹那に唇を塞がれてしまった。これでは話せない。
「んっ……」
ニールの逆襲。ニールは刹那に思いっきりディープ・キスを仕掛けてやった。その時だった。ニールの後頭部に衝撃が走ったのは――。
「だ、誰だ……?!」
「俺ではない」
落ち着いた刹那が言う。
「僕だ。食堂でそんなことをしてみろ。――ベルベットの教育に悪い」
ニールを殴ったのはティエリアであった。
「何だよ、ティエリア。お前だってベッドの中ではベルベットの教育に悪いことのひとつやふたつ――」
それに、キスして来たのは刹那の方だ。刹那はこの行為をあまり悪いことだとは思わない。少なくとも今は。ニールが刹那に愛の行為の大切さを教えてあげたからである。
「刹那。君も君だ。ニールとのキスなら唇以外のところにしたまえ。君だって、ニールの愛の技術の巧妙さは知っているだろう」
「……悪かった」
ティエリアの言葉に、刹那は素直に謝る。もしこれで相手がニールだったら、反発もしたに違いない。それだけ、刹那はティエリアよりニールの方を身近に感じているのだ。
――それを知っているニールは、黙っていた。
食事の時間が終わろうとしていた。
(あ、グレイスが食堂を出ようとしているぞ)
(ラッセもだ)
(じゃあな。刹那。また落ち合おう)
(了解)
――ニールと刹那は、しばらくは真面目に仕事をしていた。刹那もニールも、特訓で汗を流していた。ガンダムマイスターの彼らにとっては、それも仕事のうちなのである。
(そろそろいいかな)
(ああ。でも、この脳量子波というのは便利だな。いつでもお前と話せるし)
(何? いつでも俺と話せて嬉しいのか? 刹那は)
(――少しだけな)
(わかったよ。きかん坊め。――俺にもっともっと惚れさせてやるからな。このトレミーにいる間に)
(もう、充分惚れてる)
どきゅん!
ニールは刹那の言葉の弾丸で心臓を撃ち抜かれた。
(ひ、卑怯だぜ。刹那……というか、ずるいぜ。反則だぜ。今のこのタイミングでの一撃は効いた……お前にとっては何でもないことでも、俺にとっては弾丸のような言葉だって、あるんだよ――)
(? 何かまずいことでも言ったか……)
(これだ――自覚がないってのは怖いねぇ。……もしかしたらアリーの野郎もお前に惚れてたんじゃないか?)
(アリーのことはもう、何とも思っていない。あいつには家族もいる)
(そうだな――)
アリーは大悪党だが、大悪人ほど、善に目覚めると聖者になったりすることもある。ニールはそんな例を沢山見ている。
アリーのように、リボンズも改心してくれるといいのだが――。
(どうした? ニール――)
(何でもない。悪に強い者は善にも強いと言うことを考えていた。――ラッセは俺が呼ぶから、フェルトのことは頼んだぞ)
(……わかった)
ニールはラッセ・アイオンを探した。ラッセはオーライザーのメンテナンスをしていた。自分の乗る機のメンテナンスを阻むのは些か遠慮したいとこなのだが――。
でも、ここまで来たらやるっきゃない!
「ラッセ。刹那が呼んでたぞ」
「刹那が?」
「――うん。なんか大事な用みたいだ」
「でも、俺も大事な仕事中だし……」
「そうだよな……」
ニールが諦めかけた時、胴間声が聞こえた。
「その仕事、わしが引き受けよう」
「おやっさん!」
――助かった! 今のニールはそう思った。だって……ラッセにはフェルトと上手く行ってほしいし。しかし、いい時期に来てくれたものだ。
「わかりました。行って来ます」
「うむうむ」
そう言ってラッセが駆け出す。しかし――二人は上手くいくのだろうか。フェルトは大人しい質だし、ラッセは女慣れしてないし――。
よし、物陰から見守ってあげよう。ニールの純粋な好意ではあったが、これをひとは出歯亀と呼ぶ。
2019.09.05
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