ニールの明日

第二百八十三話

「ああ、美味しかった」
 ライルも満足したようだ。
「ああ。旨かったな。――だけど、俺達の故郷のアイリッシュ・シチューの味を、どうしてここまで再現出来たんだ?」
 ニールが訊く。アレルヤの作ったアイリッシュ・シチューは、細かいところまで、思い出の味と同じだった。――ジャガイモが少し歪に切られているところまで。アレルヤだったらもっと綺麗に切ることが出来たはずだ。
 ――食堂には、シチューの香りが残っている。幸せの香りだ。
 アレルヤがこう言った。
「ELSに協力してもらったんだ」
「なるほど、ELSか――」
「おいしかったのー。えるすさんてすごいのー」
 ベルベットがきゃふきゃふ笑いながら手を叩く。
「作ったのは僕だよ。ベル」
「とうさまもすごいのー」
「……ありがとう」
 愛娘(?)に褒められ、アレルヤが頬を染める。
「今日の料理はいつになく旨かった。ニールとライルの母親は、料理が得意だったのだな」
 ティエリアも賛辞を述べる。
「尤も、今回作ったのはアレルヤだがな」
「――ティエリアもありがとう」
 そう。ニール達の母親は料理が趣味だった。とりわけ、アイリッシュ・シチューはニールもライルも一番好きなおふくろの味だった。
「ありがとう。アレルヤ。そして――ELS」
 ニールは礼を言った。
「どういたしまして」
 そう言って、アレルヤは頭を下げる。
「あいりっしゅしちゅーって、どこのおりょうり?」
 ベルベットはオッドアイをニールに向ける。
「俺とライルの住んでいた――アイルランドという国の伝統料理さ」
「すごーくおいしかったの。にーるおにいちゃまとらいるおにいちゃまは、まいにちこれをたべていたのね」
「いや、毎日とまでは……」
 ニールは続きを言いたかったが、ベルベットがあんまり楽しそうにしているので、ふっと笑ってしまった。
「ベル。お前さんのおふくろの味は随分多そうだなぁ」
 ライルも微笑んでいる。
「ライル――ベルベットの場合はおふくろの味ではない。父親の味だ」
「とうさますごいのー」
「ああ――すごいな」
 そう言いながら、ティエリアはベルベットの頭を撫でてやる。和やかな食事会であった。
「しかし、アレルヤばかり料理の腕を認められるのは少し悔しいな。どれ、僕も今度は本当のおふくろの味ってやつを作ってみるかな」
「やめてくれ! ティエリア!」
 アレルヤが突然青褪める。
「俺からも頼む! やめてくれ教官殿!」
 ライルはティエリアの手料理を食べて、三日三晩寝込んだ時のトラウマが忘れられないようだ。
「どうしてだ。日本では母親のことを『おふくろ』とも言うんだろう?」
 ティエリアの疑問はずれている。
「なら、はっきり言うが、お前と料理は相性が悪い」
 ニールはずばりと言ってやった。
「そうなのか……?」
「僕も、今回はニールの味方だよ。ティエリア。君の食べる料理は、一生僕が作ってあげるからね」
「アレルヤ……」
 そう呟いて、しばらくしてから、ティエリアは頭を垂れた。
「……ありがとう」
「なるほど。アレルヤはこうやって教官殿の胃袋を掴んだという訳か。――よし、俺も男の料理でアニューの胃袋を掴んでみせるかな」
 ライルが言った。
「ライル……アニューはお前より料理が上手だろうが」
 ニールの言葉に、ベルベットを除いた全員が吹き出した。
「む……確かに兄さんの言う通りだな。だから、アニューはすげぇいい女なんだけど……アレルヤ、俺の料理の特訓を引き受けてくれ」
「心得ました」
「アレルヤ、何で僕は駄目でライルはいいんだ?!」
「まぁまぁ。教官殿は一生アレルヤの旨い飯が食えるんだからいいじゃねぇか」
 ライルはティエリアを宥めようとする。
「とうさまのおりょうり、すごいの。べるもとうさまみたいにつくりたいの」
「お、ベルベットは料理に興味があるか」
「きっとアレルヤ――君に似たのだろう」
 ニールもティエリアの台詞に賛成だった。アレルヤはティエリアに向かって微笑んだ。
 ニールは祈った。ベルベットの料理の腕は、父親似でありますように――と。

「パパ。あたしたち、今どこにいるの?」
「――さぁねぇ……」
 シャーロットの父、フランクリン・ブラウンが答えた。
 シャーロットは、自分の住処がどこを漂っていても、愛する父と母が一緒にいれば幸せなのであるが――。シャーロットの両親もどうやらそう思っているらしい。それはある種の理想でもあるだろう。
「まぁ、焦ったって仕方がないさ。運命に任せよう」
 フランクリンがパイプをふかした。
「パパ。それ、変な臭いなの」
「――そうは言ってもねぇ……パパはこのパイプの匂いと味が大好きなんだよ」
「世の中うまくいかないもんねぇ」
 シャーロットが賢しげに言ったのに、フランクリンはくすっと笑った。
「ママのところへは行かないのかい」
「あたし、今はパパといっしょにいたいきぶんなの」
「じゃあ、このパイプの匂いも我慢してくれるかい?」
「――がまんするわ」
 シャーロットは頷いて答えた。
「ママがいたら確実にパパが怒られるところだな。でもね。パイプの煙はこんなことも出来るんだよ」
 フランクリンは煙で輪っかを作った。シャーロットは目を瞠った。
「パパ、すごい!」
「ありがとう、シャーロット。実は、パパのパパ……シャーロットのおじいちゃんがこれが得意でね。大人になってからこっそり練習したんだよ。どうだい? パイプの煙も面白いだろう」
「すごい、すごーい!」
 シャーロットは目を輝かせている。
「あなた」
 シャーロットの母、エンマが登場する。フランクリンがゆったりと答えた。
「おまえ」
「またパイプ吸ってらっしゃるの? 仕方ないわね……禁煙はどうしたの」
「それがねぇ……どうしてもやめられなくてねぇ……」
「本当に仕方のない人ねぇ……」
 エンマは苦笑した。
「それにしても――」
 シャーロットはカーテンを開く。いろんな色の光が混ざっている。彼らは亜空間にいるのだ。
「ねぇ、パパ。外もおもしろいわよ」
「そうだね。でも、どんなことになるかわからないから、パパ達の許可なしには、窓をあまり開けないこと」
「はぁい」
 シャーロットは素直に返事をしてカーテンを閉めた。
「私達は今、どこにいるのかわからないですからねぇ。……でも、野菜畑や牧場は残っていて良かったわねぇ」
 エンマが独り言ちた。これで、亜空間を漂うイノベイター達も食料には困らないという訳だ。しばらくしてチャイムが鳴った。隣の部屋の奥さんが、野菜畑から持って来た沢山の野菜をブラウン家にお裾分けにやって来たのだ。

2019.08.26

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