ニールの明日

第二百八十六話

 良かったな、ラッセ――。
 ヒュー。パチパチパチ。
 イノベイター達の歓喜の声が聴こえて来るようだった。彼らもラッセとフェルトの恋の行方を見守っていたのである。彼らが上手く行ったのだ。これ以上喜ばしいことがあるだろうか。
 土の匂いと緑の匂いと、刹那の果実めいた匂い――。
 ニールが体勢を変えようとすると、さわさわと木の葉が鳴った。
「そこにいるのは誰だ!」
 さしものラッセも気づいたようだ。――彼が叫ぶ。
「いやー、どうもども」
「ニール……それに刹那か……」
 やっぱり、と言いたげにラッセは肩を竦めた。ラッセだって、キスシーンを見られたぐらいで狼狽える程、初心ではないようだ。それとも、もう覚悟を決めたか。
 ――純情に見えても、ラッセもフェルトも大人なのだ。
「済まねぇな。――でも、こうでもしないとお前らいつまで経ってもくっつかねぇだろ」
「まぁ……な……」
 ラッセはフェルトの方を見た。フェルトは、「そうね」と頷いてから言った。
「まぁ……チャンスをくれてありがとう、というところかな」
(見ました、見ましたよ――)
 ELSが綺麗な声で言った。或いは音で言った、という方が事実に即しているだろうか。ELSには口がない。
(あれが、人間の恋、というものなのですね――)
 ELSも結構俗っぽい。ニールが苦笑した。
「何にやけているんだ? ニール。いい男が台無しだぞ」
 そう言って、刹那がぺしっとニールの頭を叩いた。ニールは更に脂下がった。――ニールは刹那にベタ惚れなんだから仕方がない。
「やぁ、嬉しいねぇ。刹那にいい男と言ってもらえて……」
「あの……ニール……刹那……」
 フェルトがおずおずと口を出す。彼女も、キスシーンを見られて恥ずかしくて狼狽える、という感情は覚えていないようだった。仲間のニールや刹那であっても――。
「刹那、ニール……私はあなた達にもそれぞれに恋をしたことがあります。……初めてこの恋のことをあなた達に告白しました。何故なら――」
 フェルトがラッセの方を見た。ラッセが笑顔で頷いた。
「あー、馬鹿馬鹿しい。刹那、一緒に来い」
「な……何だよ……」
「それにしてもフェルト。アンタも大胆だな。――あそこでキスシーンするなんて」
「私は、あなた方が見ていることを知らなかったから……」
 そう言って俯く。可愛いピンクの可憐な女性。男らしいラッセ・アイオンにぴったりだ。ラッセ・アイオンは顔立ちも整っている。美人のフェルトとの子供はさぞかし美しかろう。
(気が早いな、ニール)
(だって、俺、子供好きだもん)
(俺は子供を産めない。悪かったな)
(子供を産めなくても、俺は刹那が好きさ。――それに、アレルヤとティエリアの例もあるしさ。……刹那、俺の部屋に来ないか? お前さんだったら大歓迎だぜ)
(今はグリニッジではまだやっと昼下がりだろ)
(関係ねぇさ。ここでは)
(――悪いが、イアンの手伝いをしたい……その後なら、いい)
(刹那――)
 ニールの頭の中でチャペルの鐘の音が鳴った。忘れるなよ。刹那。俺がお前を悦ばせて、満足させてやる――。その想いが届いたのか。刹那の日焼けした頬がほんのり朱に染まったように見えた。
 そして、刹那は、どん、とニールの腹をどつく。手加減してはたいた。
(馬鹿……)
「どうした? ニール、刹那――)
「あ……そか。俺ら、脳量子波で話し合ってたんだよ」
「ふぅん。イノベイターはいいな。すぐに考えることが伝わって」
「――人間にとって、秘密は大事です」
 フェルトは言い切った。どうせ、俺達は人間ではない。イノベイターもいいけれど、人間だった時代のことを思い出して、ニールにはそれが懐かしく思えた。だが、もう戻れない。
 リボンズに相談出来ればな――ニールは初めてそう思った。
 リボンズ・アルマークは敵だとばかり思ってたのに……尤も、リボンズも彼らよりもっと大きな存在の掌の上で踊っている、哀れな道化師かもしれない。
 アレハンドロ・コーナーと同じように――。
(コーナーね……)
 だが、リボンズはアレハンドロよりは頭があるかもしれない。
「今度こそ、行こうか。刹那――」
「ああ」
 その後ろでは、ラッセとフェルトが深い口づけをしていた。ニールはくるりと後ろを向いた。

「――おやっさん」
「おう、ニール。オーライザーのメンテナンスは終わったところだ。後でエクシアのメンテもやっておく。――だが、その前に、ちょっとだけミレイナの顔を見たい」
「……じゃあ、俺はガンダムを磨いておく。エクシアのメンテも手伝う」
「忙しそうだな。刹那。――……それにしても、俺はすぐに刹那とベッドインしたいと思ってるのに……」
 ニールが情けない声を出す。刹那がニールを軽く睨んだ。――俺は、夜の方がいい。刹那は脳量子波でそう言った。そして、バケツとタオル、その他諸々を持って来て、キュッキュと拭き始める。
 全く。うちのきかん坊はガンダムにすっかり心を奪われているんだからな。ニールも手伝うことにした。手持ち無沙汰だということもあるが、ニールは刹那の傍にいたかった。
 イアンは愛娘のミレイナの元へと鼻歌交じりに向かって行った。
「なぁ、刹那……」
「――何だ」
「俺とガンダム、どっちが大切?」
「ガンダム」
 刹那は間髪を入れずに答えた。
「あー、そうかい。でもよぉ……ガンダムとはいいことできねぇぜ。ベッドで愛の交歓したり出来ねぇぜ」
「またそんなことを……お前はお前でちゃんと好きだ」
「そっか……ありがとな。刹那」
「……自分の気持ちを言ってみたまでだ。礼を言われるようなことは言ってない」
「でも、俺は嬉しかったから――」
「フェルトを見て、思ったんだ。どんな好意も、口に出さなければ意味がないと――。口に出さなくても、脳量子波でも何でもいいから早く伝えないと。ニール・ディランディ。俺はお前が好きだ」
「――え?」
「もういい」
 刹那は拗ねたようだった。けれど、さっきの刹那の言葉が、ニールの頭の中でリフレインしている。刹那・F・セイエイ。俺もお前が――好きだ。好き過ぎてどうしようかと思うくらい……。
 時々現れる刹那の素直な気持ちは、ニールにとってはまともに面を上げられない程、眩く、美しい。
 ニールは刹那をこの場で押し倒したいと願ったが、そんなことをして刹那に嫌われるのはお断りなので、諦めた。
(それにしてもこいつ――宝物みたいに磨いてやがんな)
 自分の体については鴉の行水の刹那だが、ガンダムのことは大切な銀器みたいに磨いている。ニールも刹那に付き合って機体を磨く。機械油の臭いがする。
 ダブルオーライザー……あれは、ガンダムも喋れるのだと言う証拠を見せてくれた。――いや、声を聞かせてくれた。
 この世界は今、一見平和だ。アロウズもホーマー・カタギリの指示の下、刷新した。
 けれど、リボンズ・アルマークが見つからない限り、この平和もまやかし物に思える。ガンダムマイスターも仕事がない。宇宙海賊とは小競り合いがあるのだが――。
「あー、ヒマだなぁ」
「俺達が暇なのは良いことじゃないか。それに、今はガンダム磨きと言う作業もある」
「それを含めてヒマなんだよ。でも、そうだなぁ……俺達のやることがないってのは、戦争の火種がないってことだもんな……アロウズが統治してっから。グレンの手伝いもしてやりたいところだが……そういえばお嬢様はどうしたかなぁ……」
 それに今は、刹那といいことも出来ないもんなぁ……ニールは刹那の後ろ姿を見ながら、不埒なことを考える。刹那が急にぐりんと振り返った為、ニールは驚いた。
「お嬢様……王留美のことか」
「おう。男との愛に生きた、伝説の女性だ」
「まだ伝説になってないだろ」
「これからなるんだよ。王留美は死なないよな。死んだとしても、グレンが看取ってくれるよな……グレンも幸せ者だぜ。好きなだけ戦って、好きなだけ王留美抱けて――」
「お前は王留美が好きだったのか?」
 ――何でそんなズレた質問を返すのか。だが、そんな刹那のズレさえも、ニールにとっては愛おしい。
「ん? そんな訳ねぇだろ。俺の恋人は刹那・F・セイエイただ一人!」
「昔は嫌という程遊んでいたくせに――」
「まぁな。否定はしないぜ。この面でこのプロポーションだろ? 女だけでなく、男にもモテて大変だったぜ」
「――ふん」
「でも、これからは――俺は刹那だけのもんだ。お前がピンチの時は、俺は必ず助けに行く」
 刹那も、「俺も、お前のものだ」と宣言した。ちょうど、ラッセが仕事をしに戻って来た時であった。

2019.09.29

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