ニールの明日

第二百八十二話

 ニール、刹那、ティエリア、ベルベットの四人が席についている。他のメンバーは、それぞれ仕事に赴いている。 
 ネーナとミハエルが多少ごてたが、
「後で君達の分も作ってあげるから」
 と、アレルヤがヨハンと二人がかりで説得して、ようやく説き伏せることが出来た。それに比べると、ベルベットを納得させることは遥かに簡単だった。
「なぁに? とくべつなりょうりって」
 ベルベットが好奇心に目を輝かせている。
「ねーなおねえちゃまも、みはえるおにいちゃまも、こんどはいっしょにたべるの?」
「そうだぞ。ベルベット――でも、今回は僕達だけだ」
「とくべつ……とくべつ……」
 ベルべットは特別なのが嫌な訳ではないらしい。自分が特別扱いされることによって、傷つけられる存在が生まれるのが悲しいのだ。
 そして――。
「俺、ここにいていいの?」
 疑問を発したのは、ニールの双子の弟、ライル・ディランディ。どうもこの場にそぐわない感覚を覚えているらしい。ニールが微笑みながら言う。
「まぁ、今日はお前も特別だ」
「ふぅん」
「君もガンダムマイスターだからな」
 仕方なく、と言った態でティエリアが答える。ライルは本当はアニューといちゃいちゃしながら仕事をしたかったのであろう。どうも、世の中上手くはいかない。
 ハロが『ワーイ、ワーイ、トクベツ、トクベツ』と跳ねながらはしゃいでいる。ニールが、お前が食うことは出来ないんだよ、と苦笑しながらハロを撫でた。ハロの目がちかちかと点滅した。
「同じガンダムマイスターの誼として沙慈も誘ったけど、断られちまった」
 と、ニール。
「ネーナとミハエルに悪いと思ったんだろう……あれは優しい男だから」
 刹那が呟くように言う。確かに沙慈・クロスロードは優しい青年である。一時期ルイスと別れたり、姉の絹江が病院に入院したりして大変なのに、よくぞ頑張っていると思う。彼は優男に見えるが、意外と強靭なのかもしれない。
 いい匂いがする。この匂いはどこかで……ニールは記憶を手繰ってみる。これは――故郷の匂いだ。
 いや、故郷で嗅いだことのある匂いだ。ニールは家族のことを思い出していた。
(父さん、母さん、エイミー……この料理は、お前達と共に食ったよな……)
 ニールは、涙を流れるままにしておいた。
「兄さん……?」
「ニール……?」
 ライルと刹那がニールの顔を覗き込む。
「いや、大丈夫だ。懐かしくて……つい泣いちまっただけだよ」
「ニール。泣きたい時は泣け。涙を我慢するのは、体に悪い……」
「そうだな……フェルトもさっき、泣いてたな……」
「泣けるなら、泣く方がいい。でも、やっぱり笑顔が一番なんだろうな」
 そう言って刹那は微笑みを浮かべた。
「やっぱりお前の笑顔は天下一品だな。刹那。――前は、お前にもっと笑って欲しかった。だけど今は……充分笑えるようになったじゃねぇか。人間、やれば出来るんだな。あ、俺らイノベイターだっけ?」
 ニールが冗談ぽく答える。
「今がとても――幸せだからだ」
「わかってるよ」
(ニール……)
 刹那の脳量子波が届いた。何だ? 秘密の話か?
(どうした? 刹那)
(俺は、両親を殺した自分とリボンズを重ね合わせて見ているだけかもしれない)
(構わねぇだろ? 助けたいという気持ちが本物であるならば……)
(リボンズは助けて欲しくないと思っているかもしれない)
(そうかもしれねぇな。けれど、どんな存在もSOSのサインは出している。命は支え合わなきゃ、永らえないぜ。例えイノベイターでもな)
(ニール……)
「お、兄さんが笑顔になったぞ。今泣いた烏がもう笑った。――兄さんはイノベイターなんだよな……刹那と心で通じ合ったり出来るんだよな。羨ましいぜ」
 ライルが言う。ニールがそれを受けて続けた。
「お前もそのうちそうなるかもな。俺の双子の弟だから、素質はあると思う。一卵性双生児なんだし」
「そうか。俺がイノベイターになったら四六時中アニューに愛を囁こう」
「もう既にくどいくらい囁いているんだろう?」
「違いない」
 ライルが笑った。ライルはアニューに本気で惚れているのである。
「アニューが内心嫌がってなければいいけどな。あれは優しい女だから、俺と調子を合わせているだけなんじゃないかと疑うことが時々あるんだ」
「そこまで内省していれば充分だ。アニューもお前を憎からず思っているぞ」
「――ありがとう。教官殿」
「……きょうかんどのって、かあさまのこと?」
「そうだよ。俺、いつも言ってなかったか? ティエリアのことを、『教官殿』って」
「きょうかんどのって、えらいの?」
「ああ、偉いさ。俺にいろんなことを教えてくれるからな」
「ライル……近頃の君の射撃の命中率は上がって来ているぞ」
「どうも」
「ニールのセンスも受け継いでいるのかもな」
「まぁ、俺達、双子だしぃ?」
 ライルが隣にいたニールの肩を抱いた。
「眼帯がないと、どちらがどちらだかわからないだろうな――普通の人間にとっては」
 ニールは今、眼帯をつけている。――GN粒子のおかげで右目の傷は治ったのだが。眼帯をつけていないと、どちらがニールでどちらがライルかわからないからだ。――ニールの恋人、刹那・F・セイエイには一発でわかってしまうようなのだが。
 それは、イノベイターの能力のおかげだけではないかもしれない。
「俺は、お前らを見分けることが出来るぞ」
「そうか――愛の力かな」
 ニールが冗談口を叩く。刹那が何も言わずに微笑む。無言の肯定であるのだろう。
 好きだ。ニールは刹那がこの世で一番、好きだ。何故好きか、理由を探すのも愚かな程、この青年に参っている。
 アレルヤが鍋を持って来た。それを鍋敷きの上に置く。
「本日の特別料理だよ」
「わあ、いいにおいなの。とうさまありがとう! だいすきなの」
「いやぁ……」
 アレルヤ・ハプティズムが照れ臭そうに笑ってみせる。ニールは、アレルヤのはにかんだ笑顔が可愛いと思う。可愛いと言っても、刹那に対する感情とはまた違うのであるが。
「冷めないうちに召し上がれ」
 アレルヤが皿に料理を取り分ける。
「アレルヤ……これはアイリッシュ・シチューだろ」
「そうだよ。ニール。よくわかったね。君が僕に教えたシチューだよ」
「おかげで、故郷のことを思い出したよ。――ずっと昔の。暖炉があって、暖かかった。アイリッシュ・シチューは俺にとっては冬の料理だ」
「俺も……何だか懐かしくなって来たよ。エイミーにも会いたくなったな。イノベイターになれば会えるんだろうか……」
 ライルはイノベイターにこだわっている。ニールが才能を開花させたので、焦っているらしい。刹那もイノベイターらしいと聞いて、少しいたたまれない気分を抱いてもいるのだろう。
「エイミーはイノベイターになれたのかな……」
 ライルが天井を見上げながら言う。
「死ぬと言うのは、肉体の殻を脱ぎ捨てるだけのことだ。エイミーは天国に行って、お前達を見守っているよ」
「教官殿はクリスチャンぽいことを言うんですね……」
「何を馬鹿なことを……ベルベットはキリスト教の真髄を掴んだが、僕はまだその段階に達していないよ」
「ティエリア……お前にだって、神を敬う気持ちがあるだろう? ――人間は今ある存在の中に、全てを持っているんだ。新約聖書も旧約も。イスラム教や八百万の神も、世界中の全ての文学や哲学も。人間は可能性の塊さ」
「兄さん。……俺は、人間のままでいいと言うことだな」
「ああ。イノベイターはイノベイターで大変なんだ。『イノベイター狩り』のことは聞いただろう?」
「べる、いのべいたーかりこわい」
「――俺もだよ。ベル」
 ライルが真顔になる。
「存在には、いい面と悪い面があるんだ。完全に素晴らしい、賛美するしかない存在など、この世にはいない。イデアも、矛盾のない存在も、この世にはない」
「かみさまは?」
「俺は、神という概念そのものが諸悪の根源だと思っている」
 刹那は言う。神などいない。それが、刹那を支えている一種の哲学であるらしかった。
「神の啓示を聞きたければ、己自身が神になれ」

2019.08.14

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