ニールの明日

第二百八十九話

(エイフマン教授……)
 レイフ・エイフマン。ビリーや、当時はまだリーサ・クジョウだったスメラギ・李・ノリエガも世話になっている。彼は謎の変死を遂げた。
 誰でもいい。――スメラギ・李・ノリエガは忙しいようだから、誰かと話したい。
 ビリーは、彼がいることを願って、ノックをしてドアを開けた。果たして、目当ての人物はいた。
「グラハム……いや、今はミスター・ブシドーかい?」
「……グラハムでいい。今まで何をやってた」
「リーサやニールと話していた」
「ふん。ニールか。少年の恋人だな」
 グラハムは面白くなさそうに言った。――妬いてるんだな。ビリーはそう思った。
 グラハム・エーカー。ビリー・カタギリの仲間だ。
「ドーナツ買って来たけど、どう?」
「お前はいつもドーナツとコーヒーの匂いをさせているな」
「――どうも。ただ、今回はコーヒーは持って来なかったな。これから用意しようかい? ご要望とあれば。――君はキリマンジャロとブルーマウンテンが好きだったね」
「ああ。でも、そんな気を使わなくていい」
「気なんて使ってないさ。ただ、僕が飲みたいだけ」
「今から持って来るのか?」
「いや――急に君と話がしたくなってね。……仕事の方は順調かい?」
「順調だ」
 良かった――ビリーはそう思い、胸を撫で下ろした。
「あ、でも、喉乾いたな」
「そこの棚にインスタントコーヒーがある。生憎と、コーヒー豆は切らしている」
「インスタントコーヒーか……今日はインスタントコーヒーの気分じゃないんだよね。例えば、部屋に戻ったら本格的なコーヒーを自分で淹れたい気分さ。……まぁ、ないよりゃいいから飲むけど。お湯さえ注げば簡単に出来るし」
 グラハムは窓を眺めていた。雷が落ちる音がする。
「この頃、天候不順だな」
「異常気象だよ。環境破壊のせいじゃないかな」
「環境破壊は昔からだ。太古の生物だって、環境破壊をしていると言えば、そう言えるんじゃないか? ――尤も、ビリー。お前の言いたいことはわかる」
「そりゃどうも」
 ビリーはポットからコーヒーにお湯を注ぐ。
「ふー、あちあち」
「お前、猫舌だったか?」
「いいや。そう言う訳でもないんだけど……」
 グラハムの部屋のインスタントコーヒーは高いらしい。インスタントでもかなり美味しかった。ビリーは美味しいコーヒーとドーナツがあれば生きていける。スメラギが酒があるから生きているように。
 ビリーはドーナツをぱくっ。これも美味しい。
「よく、そんな甘ったるい菓子が食えるな」
「グラハムもどうだい?」
「いいや、私はいい。――少年はニールといるのだろうか……」
「さぁ、そこまでは……僕はイノベイターじゃないからね。……なれるのならなってみたいけど」
「この頃、イノベイターになる人間の数は増えているらしいが――」
「僕がイノベイターになったら、僕は自分で人体実験をするよ」
「――もの好きなヤツだ」
 グラハムはくっくっと笑った。
「僕みたいなのは案外多いんじゃないかな。科学者だから、好奇心は旺盛な方だと思ってるよ。いつもはこんなこと、変人扱いされるから言わないだけで」
「大丈夫だぞ、ビリー……お前はとっくに変人だ」
「でも、そんな僕に付き合ってくれる君も変人じゃないかい? ニールの恋人だと言うのに、刹那・F・セイエイの後を追っかけまわしているし」
「ふ……刹那・F・セイエイ……面白い少年だ。この俺を本気にさせた」
「刹那ももう少年じゃないと思うけどね……青年かな?」
「私にとっては少年と変わらん」
「相変わらずだな。グラハム。――刹那とガンダムが君の心を煽ったんだね」
「ああ。あの少年ぐらい人を夢中にさせる男は滅多にいない。――俺はすっかり骨抜きにされたよ」
 グラハムが頬を赤らめながら溜息を吐く。――ニールに殺されないといいけど。コーヒーのほろ苦い香気を楽しみながら、それでもビリーはそんなことを思う。少ない友人だ。大切にしなくては。
「せいぜいニールにボコられないよう、気をつけてくれよ」
「――ふ、私の心配をしてくれてるのか……けれど、いつかはあの少年……いや、青年を私のものにしてみせる」
「まぁ、頑張れ。表立って応援は出来ないけどな。――ニール・ディランディも僕の友だ」
「そうか……」
 グラハムはまた溜息を吐いた。
「お前はニールが好きなようだな」
「友達としては、あんなに面白くて、男気があるヤツは少ないと思うね。尤も、これは恋じゃないけど。お宅と違って」
「ふん。お前、馬鹿にしてるだろう。だが、私はあの少年に心を繋がれている。男色家と笑わば笑え」
 刹那はどう思ってるんだろうと、ビリーは思った。グラハムのことなど、眼中にないのではないだろうか。ニールがいるから。
 ――ニールがいなかったら、まだわからないが。
「リーサ・クジョウ……いや、スメラギ・李・ノリエガは何と言っていた?」
「ニールと刹那のことを?」
「――とぼけるな。彼女とも話したんだろう?」
「ああ、そうか。急に話題を変えられたもんで、ついて行けなかったんだ……うん、端末で話したけど、元気そうだったよ。ただ、お酒はやめてないみたいだけどね」
「……止めなくていいのか? ビリー……人間の体はアルコールを摂取するようには出来ていない。そう言ったのはお前ではなかったか?」
「スメラギはきっと酒に強いからねぇ……もう、立派なアル中かもしれない。今度会った時は注意しとくよ」
「そうしたまえ」
 グラハムが顔を引き締める。――またどこかで雷が落ちた。
「ところで……リボンズ達はまだ見つからないのかい?」
「見つからないな」
 グラハムの答えは簡潔だった。
「このまま姿を現さなければ、僕としても楽なんだけどねぇ……」
「何を言う、ビリー。私はあの男については訊きたいことが山程ある」
「そうだねぇ……リボンズはいろいろ秘密を知っているみたいだし。僕も彼には興味あるんだ」
「お前まで男に目覚めたか」
「冗談じゃないよ僕の好きな人は――知ってるだろ? ニールやリボンズについては、純粋に科学者として興味あるんだ」
「お前のことを、これからはマッドサイエンティストと呼んでいいか?」
「やだなぁ、これでも人道的な方だと思うよ。……自分ではね」
 そして、ビリーはまだ湯気の立つコーヒーを啜る。
「なかなか旨いコーヒーじゃないか。どこで手に入れた?」
「――そのコーヒーは地球産だ。コロニー産の方が安いんだが」
「なるほどね。道理で懐かしい香りがすると思ったよ。――グラハム。ドーナツいらないのかい?」
「――いらん。お前の持って来るドーナツは、見ただけで甘くなる」
「美味しいのになぁ……」
 ビリーはまたドーナツをぱくっと口にする。コーヒーとドーナツは昼のおやつの最高の組み合わせだと思っている。インスタントでも、このコーヒーなら飲んでも飽きないだろうと思う。
「このコーヒーはどんな銘柄のヤツだい?」
「コロンビア産のコーヒー豆を挽いたものだとか言ってたなぁ……」
「そうかい。ご馳走してくれてありがとう。お礼に何かしたいんだけど」
「そうだな……ガンダムの謎を解いてくれ」
 ビリーはふっと笑った。
「それは僕達の仕事じゃないか」
「お前は自分の仕事をしているのが一番だ。この頃何だか生き生きしてるじゃないか」
「まぁね。――ニールと言うガンダムマイスターの友達も出来たしね。彼なら、僕の研究に協力してくれると思うよ。僕は、カール・リーガンのような、非人道的扱いをイノベイターにはしないつもりだし」
「……つもり、か」
「いや、あんなことは絶対にやらない」
「それにしたって、リボンズ・アルマーク機構が消えたんじゃどうにもなるまい」
「あれは謎なんだよねぇ……どうして土地ごとごっそり消えたか……探求に値するテーマかもしれない」
 ビリーは考える。ニール・ディランディ……確かあの男もイノベイター化していなかったか。
 けれど、自分は平凡な人間だ。あまりそうは見えないかもしれないが。多分、イノベイターになっても、それは変わらない。ニールだって持って生まれた性質などは人間の頃とそう変わらないだろう。――結局、エイフマン教授の話題は出なかった。
「コーヒーご馳走様。今度は僕が君に絶品のコーヒーを用意しとくから」

2019.11.06

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