ニールの明日

第二百八話

「そんな……せっかくこれからも暴れ回ろうと楽しみにしてたのに!」
「おい、ヨハン兄貴! 何とか言ってくれよ!」
 ネーナとミハエルが騒ぎ出す。ヨハンは二人を睨みつける。
「黙れ」
 そう言ってヨハンは続けた。
「私達はアレハンドロ・コーナーにいいように使われて来た。アロウズに一矢報いるなら、手伝わないでもないが、もし、CBにそんなつもりがなければ、私達にも考えがある」
「ヨハン・トリニティ……アロウズがそう簡単に和平に応じるとは思っておりません。結果的に私達がアロウズを怒らせる形となってしまいましたからね。私達に罪がない訳ではありません」
「王留美……」
「けれど、話し合うことが無駄だとも思いません。まずはカタロンから説得を試みようと思います」
 王留美の目がかっと見開いた。
 全く、これからパスタのお代わりをしようと思っていた時に――。ニールは少々困惑していた。ニンニクと香辛料の香りがおいでおいでをしている。
 けれど、話の糸口を与えたのはニール本人なのだ。まだ時間はあると思っていたのだが。
(気を逸らすな。ニール)
(わかってる。話を持ち掛けたのはこの俺だよ)
 ああ、でも、俺のペペロンチーノ……ペスカトーレ……。
 このラグランジュ3は、食べ物も豪華であった。自給自足で食物を賄っているからだろうか。
(後で、何かつまめるものをアレルヤに作ってもらおう)
(――だな)
 刹那の提案にニールは同意を示す。刹那とて、あれだけの料理で満腹になった訳ではないのだ。
「私達はこれからカタロンのクラウス・グラードと話し合いをします。参加は自由です」
 ダシル達がホログラフィの機械の準備をしている。
「やぁ、あれは、グレンと一緒にいた坊やじゃないか」
「そうだな。王留美とどういう関係なんだろうな」
 一部で話し声が聞こえる。ダシルは作業に熱中している。イアンが言った。
「この少年はダシル。グレンのお小姓みたいなもんだ」
「イアンさん! でたらめ言わないでください!」
「ダシルは、俺がアロウズから連れて来た。アロウズに置いとくといろいろ危険だと思ったのでな」
 グレンが説明する。
「それから――俺の案内がないとグレン様どこ行くかわからないですし」
「あの世に迷い出ると困るとでも思ってたのか?」
 グレンが真顔で冗談を言う。
「もう、グレン様ったら――ほら、出来ましたよ」
「よし、じゃあカタロン基地に繋ぐぞ」
 グレンが言うと、ダシルが言う通りにした。
 目の前にシーリンの知的な美しい姿が大写しになった。整備員は、おお、と歓声を上げた。
「結構上玉じゃねぇか」
「目の保養になるねぇ」
 この基地には荒くれ男も大勢いる。だが、悪い人間ではない。皆、根はいい奴そうだ。ニールは、宇宙のコロニーを思い出していた。
 ――ああ、喉が渇く。ラム酒でもラッパ飲みしたい。ニールはそんな欲求に駆られた。
 ラグランジュ3には何でも揃っている。昨日のバーにラム酒はなかっただろうか。
 ニールが大きく息を吐いた。緊張しているのが自分でもわかる。カタロンはこちらの要求をのんでくれるだろうか。アロウズとはどうなるのであろうか。
 自分が深く関わっているだけに、ニールはプレッシャーと責任感を覚えた。刹那がちらりとこちらに視線をくれる。
 その紅茶色の目は、大丈夫だ、と言っているようで。
 それだけで、ニールは元気になれるのだ。
『王留美、何の御用ですの?』
 映像が喋った。
「シーリン・バフティヤール。クラウスを連れて来てくれませんこと?」
『クラウスを?』
 シーリンが綺麗に整った眉を顰めた。
「ええ。出来ればシーリンにも同席していて欲しいのですけれど」
『少々お待ちいただけますか?』
「わかりましたわ」
 シーリンの姿が一時見えなくなった。落胆の溜息があちこちから洩れる。
 やがて、クラウスがシーリンと一緒にやって来た。
『俺に何か用ですか? 王留美』
「それよりまず訊きたいことがあるのですけれど――マリナ・イスマイールはどうしていますか?」
『彼女だったら、アザディスタンの王宮にいるよ。俺達は今朝も話していた。というか、マリナ姫から聞いてないのかい? 彼女、紅龍とも随分距離が近くなったようだけど』
 クラウスが答えた。
「お兄様と?」
 王留美が紅龍の方を見遣る。紅龍の表情はここからはわからない。
(マリナと紅龍がいい感じなのを知ったら、お嬢様、どう思うかねぇ)
(ニール、うるさい)
 刹那が脳量子波で叱る。
(おー、こわ。でもな、刹那。これは、俺達の身の振り方にも関わってくる問題なんだぞ)
(そんなこと――お前に言われなくともわかっている)
「くらうすのおじちゃま」
 菫色のセミロングの髪の毛の幼女が映像に近付く。
『君は――?』
「べるべっと・あーでなの」
「ベルはいい子だぞ」
 赤いバンダナの男が保証した。クラウスが頷く。
『なるほど。ティエリアに似ているな』
『クラウス、姫様から話を聞いてませんこと? アザディスタンの王宮にもベルベットという赤ちゃんが来たことを――』
『ああ。そうだったな――シーリン』
「――べるってたくさんいるの?」
「おい、難しいことは沢山だぜ。ベルはアレルヤとティエリアの娘。それでいいじゃねぇか」
 宇宙海賊然とした逞しい、さっきとは別の男性が言う。
『そうですわね。ベルベット・アーデのことは一先ず置いておきましょう』
「だ、そうだ――。さ、ベルベット、おいで」
「くらうすのおじちゃま、せんそうしてるの?」
「クラウスのいるカタロンとソレスタル・ビーイングの連合軍がアロウズと戦争しているんだ。わかったらおいで」
「はぁい」
 ベルベットはティエリアに手を引かれた。沢山の手がベルベットの頭を撫でる。ベルベットの可愛さはラグランジュ3の荒くれ男達の心をも溶かしてしまったようだった。
(そうだ。ベルも守ってやんなきゃいけないんだったな)
(かえって俺達の方がベルベットに守ってもらうことになるかもしれん。あの娘は底が知れない)
 ニールと刹那が脳量子波で喋る。
(様子を見ていると、普通の幼児とそう変わらないんだがな――)
(ベルベットは普通の人間ではない)
 硬い女性の声がした。ソーマ・ピーリスだった。
(ソーマ……)
(どうやら、ベルベット・アーデは王留美だけでなくアニュー・リターナーも救ったようだ。他にもいろいろ話を聞いたが――。ニールさんは知っていますか? イノベイター達は宇宙にもネットワークを張っていることを)
(俺もそれは聞いている)
 ソーマの言葉を刹那が横合いから受け継いで答える。ニールが続けた。
(――ベルは大した女勇者だ。残念ながらネットワークのことは知らない。今知った)
(私も今朝になってイノベイターのネットワークのことを知らされた。彼らからも貴方のことを聞いている。ニール・ディランディ。貴方も勇者だと言うことだが?)
(いやぁ、照れるねぇ。んな改まらなくていいって――イノベイターとしては目覚めたばかりだよ)
(カタロン、CBの連合軍とアロウズの戦いが、人間対イノベイターの戦いにならなければ良いのだが。――私の考えるところでは、ベルベット・アーデの存在が鍵だ)
 そうか。そういう考えもあるか――。人間とイノベイター。持たざる者が持てる者へ果たし状を突きつける場合もあるというわけか。ニールは訳もなくビリーが懐かしくなった。リボンズ・アルマーク機構のイノベイター達も。
 その時、俺はどっちに付くのか。ベルベットはどうなるのか――ニールが考え込んでいると。シーリンの上ずった声が聞こえた。
『そんな! とんでもない! 今更アロウズと和解なんて――!』

2017.6.27

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