ニールの明日

第二百五十七話

 ――シャーロット・ブラウンがソファに座ったまま足をぶらぶらさせていた。どこか浮かない顔をして。シャーロットみたいな美少女なら、それも絵になるのではあるが。
「シャーロット」
「ママ~」
 シャーロットが母親の方へ行く。そして、母の長いドレスに顔を埋める。石鹸のいい匂いがする。清潔な匂いだ。
「あのね、ママ……パパに訊きたいことがあるの」
「あらそう――もうすぐ来ると思うわよ。ほら」
 ドアが開いて、伊達男が入ってきた。父親は軽く香水をかけている。それが、父の匂いであることをシャーロットは知っていて、その匂いをとても好きだと思っている。――エンマは今は香水をつけていない。勿論、エンマだって必要があれば香水をつけているのであるが。どんな匂いのエンマも、シャーロットは好きだと思っている。――父親のフランクリンに対してと同様に。
 シャーロットは将来はエンマみたいな綺麗で完璧な母親になって、父親のように素敵な男性と結婚したかった。でも、今はそれどころではない。
「どうしたね。可愛いお姫様」
「――ベルちゃんに会えないの。ねぇ、パパ。どうしてリボンズさんはあたしたちイノベイターを連れ去ったの?」
「……難しい質問だね。リボンズさんにはリボンズさんの都合があるのさ」
「どうして? あたし、ベルちゃんに会いたい。――けれど、今は会えないの」
「またそのうち会えるわよ」
 母エンマがシャーロットの肩を抱いた。
「ママ……」
 シャーロットが泣いた。エンマはよしよしと背中を撫でる。
「あなた……」
「うむ。ベルベット・アーデちゃんとは、私も連絡が取れないよ。……コンタクトも何度か試みたけれどな」
「パパも?」
「ああ――ベルベットちゃんのことはシャーロット……君からも聞いているからね。是非、会わせてあげたいよ――リボンズさんは私達をどこに飛ばしたのかわからないのが現状だけど」
 けれど、リボンズ・アルマークは頑として口を割らなかった。シャーロットも脳量子波で何度か話しているのだが。
 イノベイターに対して害をなす者は許さない。僕はイノベイターの為に戦っている。――リボンズはそれしか答えてくれない。それが本当だとしても、シャーロットはどうしていいかわからなかった。リボンズの言うことが本当なら、シャーロットだってお手伝いしたいのに……。
 その脳量子波を父のフランクリンがキャッチしたようだ。
「大丈夫だよ。シャーロット。リボンズさんは僕達の味方だ」
「あなた、そんなこと言って……」
「少なくとも私はそう信じているよ」
 ――フランクリンは少し厳しい顔になった。
「パパ……」
「おやおや、シャーロットが怯えているね。もう、この話は切り上げていいだろうか」
「――仕方ないわね」
「ママ……」
 父フランクリンと母エンマがこの頃微妙に意見がすれ違うのを、シャーロットなりに感じてはいた。両親達の為に何とかしてあげたい。それにはベルベットの力も必要だと考えているのであるが――。そして。
(ニールお兄ちゃん、刹那お兄ちゃん……)
 どうしてだろう。この二人のことを思い出していた。シャーロットも憧れるような素敵な二人だったのに――もう会えないかもしれない。シャーロットはエンマのスカートの裾ををぎゅっと握った。

 経済特区・日本――。ここにもCBの基地がある。
「やっと戻ってこられたか――」
 アレルヤ・ハプティズムが安堵の溜息を吐く。
「僕は宇宙の方が好きなんだけどな――けれど、ここにもいろんな思い出が出来たからな……いい思い出も、そうでない思い出も……」
 ティエリア・アーデが独り言ちる。
「君のどんな思い出もいい思い出に変えてあげるよ。僕の力でね」
「アレルヤ――」
 アレルヤとティエリアが見つめ合う。ベルベットは嬉しくなった。
「とうさまとかあさま、なかよしなの」
「そうだよ、ベル。僕はティエリアとベルのことを愛しているからね」
「べるのこともあいしてるの?」
「勿論だとも」
 ベルベットはきゃーっと歓声を上げた。そして、部屋のベッドに寝転がる。枕を抱いて。
「――こんなに嬉しがってくれるとは思わなかったな……」
 そういうティエリアも口の端がほんの少し上がっている。ポーカーフェイスな彼の笑みを起き上がってじっと見たベルベットは、(かあさま、きげんよさそう――)と、これまた嬉しく思っている。
 ティエリアは、女に見えるが、実は男なのだ。イノベイターという種族らしい。彼の菫の香りは、いろんな人を魅了する。男でもいい、彼と結婚したいという男も沢山いるが、それは無理というものである。
 ティエリアの心は既にアレルヤに奪われているのだから――。だから、平行世界のどこかでベルベットも生まれたのである。
 ベルベットは自分の出自は自分ではよくわからないが、こうやって愛されて生まれてきたのはわかる。けれども、ベルベットには気になることがある。
 ――シャーロットと話せなくなったことだ。
(しゃーろっとおねえちゃま、どうしているのかなぁ……)
 前は頭の中にいろいろな声が聞こえていたのに、急に聞こえなくなった。ベルベットは知らないことだが、アレルヤとティエリアはベルベットにとって有害な情報はシャットアウトしている。それは、『彼ら』でもそうするだろうから――。
 彼ら――ベルベット・アーデの実の親である。
 声が聞こえないのはいいとして、シャーロットが元気かどうかは気になる。シャーロットのいたリボンズ・アルマーク機構はどこかに消えてしまった。
 ベルベットはアレルヤの顔を覗き込む。
「ん? 何だい? ベル」
「――しゃーろっとおねえちゃま、げんきかなぁ……」
「心配なんだね。シャーロットちゃんのことが」
「だって、べるのおともだちなの……」
「平気さ――無事を祈ってあげるといい。僕らも祈ってあげるから」
 ティエリアの提案に、ベルベットは、「うん!」と元気良く頷いた。
「ティエリア……その根拠はどこから……」
「僕はね、君よりも優れた人種なんだよ。アレルヤ・ハプティズム」
「人種差別は良くないなぁ……」
「冗談だ。ベルベット。もうお昼寝の時間だよ」
「まって。このこと、もうひとりのとうさまとかあさまにはなすの」
「もう一組だ。ベルベット」
「ティエリア……僕と一緒にされることを嫌がらないんだね。それどころか……」
「ふん。僕の番の相手は君しかいない」
「ティエリア……」
「いずれベルベットにも番の相手が出来る。――それはこの国の人かもしれない。だから僕は、世界中の人達が愛おしくなったんだ。君とベルベットのおかげでな――」
「ティエ……」
 感極まった風情で、アレルヤがティエリアを抱いた。その様子をベルベットが見ることはなかったが。
 緑がかった髪の男と、菫色の髪の美少年が映像となって現れる。もう一人――いや、もう一組のベルベットの両親だった。平行世界のアレルヤ・ハプティズムとティエリア・アーデだ。ベルベットにはまだ難しいことはわからないが、ベルベットはこの両親から生を受けたのだ。
『はい、ベル。僕の天使』
「はーい、なの」
『元気にしてたか? ベルベット』
「げんきにしてたの。かあさまはどう?」
『今のところ、イノベイター狩りは収まりを見せつつある――だが、君はまだそっちにいた方がいいかもしれないな』
「あのー、お話し中のところ失礼ですけど」
 こちらの世界のアレルヤが立体映像のティエリアに向かって話しかけた。
『何だ?』
「こちらもまだ安心は出来ないようでして――今は平和を保っていますが。ベルが友達のシャーロット・ブラウンのことを気にしています」
『ああ、その娘もイノベイターなんだな』
「ええ。――リボンズの組織と共に消えてしまいまして」
『……そいつは妙だな』
「でしょう?」
「リボンズは何が目的でイノベイター達を連れ去ったのか――夫はそれを懸念している」
 こちらの世界のティエリア・アーデも話し合いに参戦する。
「夫か――」
「悪いか? この世界では大切な男のことを夫と言うんだろう?」
「あ、いや――嬉しいよ」
『どうやらもう一人のベルベット・アーデが生まれそうだね』
 立体映像のアレルヤが、傍に立つティエリアにこそっと耳打ちする。ティエリアはふん、と鼻を鳴らした。こちらの世界に住まうアレルヤ・ハプティズムが言った。
「そうなったら嬉しいね――でも、ベルベット・ハプティズムじゃ駄目なのかな?」
「そんな軽口叩いている場合ではないだろう。アレルヤ――情報を頼む。そちらの世界のアレルヤにティエリア――僕の分身」

2018.11.05

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