ニールの明日

第二百五十八話

『僕の分身か――』
 立体映像のティエリアの口元が僅かに綻んだ。
「これからも、僕達を宜しくお願いします。――ベルは、僕達の子供でもあります」
『良かったな。ベルベット。両親が増えて』
「うん!」
 ベルベットは力強く頷いた。そして、こう続けた。
「かあさまはいのべいたーのこと、よくしってるんだよね?」
『む……まぁ、縁がないわけではないが……』
「あのね、べるね、しゃーろっとおねえちゃまとなかよしなの。しゃーろっとおねえちゃまのためにいのってあげるの」
『それはとてもいいことだね』
「うん!」
 ベルベットは思った。
(もうひとくみ?のとうさまとかあさまもじぶんをあいしてくれてるの――)
 ティエリアは菫の香。アレルヤは美味しいお菓子の香。二つとも自分の大好きな、愛してやまないものだ。こちらの世界のアレルヤとティエリアも、今までベルベットの知っていた香りを漂わせている。――この人達も、ベルベットの本当の両親なのだ。
「ティエリア……もう一人の僕。僕はベルベットのことでニールに詰られたよ。『お前らは贅沢だ。ベルベットがいるじゃないか!』って」
『ふん、ニール・ディランディだって生きているだけでいいだろうに――』
 ティエリアとティエリアが喋っている。アレルヤはいつの間にか端末で写真を撮っていた。後でデータスティックに落とすのだろう。――ベルベットは興味深く眺めていた。それに気づくと、アレルヤは照れ臭げに頭を掻いた。
「やぁ、あんまり見ないでくれ。ベル――」
「どうして?」
「……恥ずかしいからさ」
 ――ベルベットには、何故、アレルヤが恥ずかしがっているのか、わからなかった。いや、ぼんやりとわかってはいるのであるが。
(とうさまは、あいするかあさまのしゃしんをとってるんだ……)
 そう思うと、とても嬉しくなる。それ程、アレルヤはティエリアを愛しているのだ――。
 そして、ベルベットは、自分にもそんな風に愛してくれる存在がいつか現れることを知っていた。どこの誰とは今の時点ではわからないが。――イノベイターにもわからないことは沢山あるのだ。
「ベルも撮るかい?」
「うん!」
『やめてくれ! さっきの君の台詞ではないが……恥ずかしいだろう』
「僕のティエと同じ反応をするんだね。――ティエリア」
『…………!』
 立体映像のティエリアが真っ赤になった。
「かあさま、おかおまっかになってるー」
「こら、ベルベット! ――済まない。もう一人の僕。どうやらベルベットにはアレルヤのからかいぐせが遺伝してしまっているようだな――」
『知ってる。誰が育てたと思ってるんだ』
 二人のティエリアの間に一触即発の空気が流れた。
「どう、どう」
 それを止めたのは実体のあるアレルヤだった。
「ベル。この機械の使い方はまた後で教えてあげるね」
「えー? どうして? どうしてなの? とうさま。……べるのせい?」
 ベルベットはアレルヤを上目遣いで見上げる。アレルヤは微笑んでいた。
「取り敢えず僕はあのツンデレコンビを何とかしないと。――ベル。君は休んでいてくれ」
「べる、ねむくなんか――あれ?」
 ベルベットの足がかくんとなった。
「やっぱりおねむなんだね。ベル」
「う~……」
「さ、ベッドまで運んであげよう。お姫様」
「……ありがとうなの、とうさま」
 ベルベットはとろんとしたまま言った。急に眠くなったのである。
「でも……とうさま、ぺんだんとのつかいかた、わかるの? べるはとうさまにおしえてもらったの……」
「ああ。僕も、君の父様に教えてもらうよ」
「よかった。……じゃあ、おやすみなさい」
「――おやすみ」
 アレルヤはベルベットの額にキスをした。

「――子供を説得させるのが上手いじゃないか」
「そんな……ただ、ティエリア同士の喧嘩をベルベットに見せたくないものでね」
『僕らの世界のアレルヤと同じだな』
「てぃ、ティエリア……」
 映像の中のアレルヤが苦笑した。勿論、アレルヤ本人も――。そして、このバイプレイのおかげで些か空気が緩んだのも事実だ。
「そちらの世界のティエリア・アーデ。いずれニール・ディランディにも会わせてあげよう」
 ティエリアが指差した。
「……ああ」
 もう一人のティエリアも頷いた。そちらの世界のティエリアは、まだニールに関しての過去を引きずっているのだろうと、アレルヤは何となく感づいていた。――もし、この二人が同じ魂から生まれた存在なのなら。
 けれど、平行世界のティエリアはこの世界のティエリアとは違う。
 存在は無限にあるのだ。アレルヤだって、自分という存在が無数に広がっているのがわかる。それを感じるのは、イノベイターとしての力だけではあるまい。
(マリー……)
 そちらの世界にも、マリー・パーファシーはいるのであろうか。――アレルヤは訊いてみたくなった。
「アレルヤ――もう一人の僕。……マリー・パーファシー……いや、ソーマ・ピーリスが結婚した。こちらの世界では」
『そうか……おめでとうと伝えてくれ』
 映像のアレルヤの表情には、何の苦さもなかった。
『相手を当ててあげようか?』
「――どうぞ」
『セルゲイ・スミルノフだろう?』
「――当たりだ」
 アレルヤは頷いた。まぁ、このあてものは簡単な方だろう。あちらのアレルヤのいる世界では、二人は惹かれ合いながらも結ばれることはないであろう。――けれど、それはアレルヤの読み間違いであって欲しいとアレルヤは思う。アレルヤはマリー……いや、ソーマには幸せになって欲しかったから。
 マリーはもう一人のアレルヤにとっても、初恋の存在であっただろうから。
「アレルヤ。――リボンズが消えたのは知ってるか?」
『そちらの世界でかい? いや、初耳だが』
「そうか……ベルベットはまだ話してなかったか……」
『話そうとは思ってたらしいがね――子供だから、あまり難しい話は出来ないんだ』
「どこが難しい。リボンズが消えた。友達のシャーロット達と共に。――そう言えば済むことだろう?」
『――子供にだって、口に出せない想いがあるさ。ティエ……には子供時代はなかったか』
「どういう意味だ」
 二人のティエリアが眉を顰めた。その様がそっくりそのまま同じでおかしくて、アレルヤは吹き出してしまいそうになった。
『アレルヤ・ハプティズム! 笑いごとではないぞ!』
 ――立体映像に説教を食らってしまった。
「ごめん」
『……ヘタレなところも僕のアレルヤにそっくりだな』
 ――そう、ティエリアが続けた。
『僕のアレルヤって、それって僕のこと?』
『他に誰がいる』
『いや、いや……ちょっと嬉しくて……今夜君を抱いてもいいかな?』
『勝手にしろ。少なくともベッドの中では君はいつもと違って少しはマシな雄になるからな』
 立体映像同士がいちゃつき始めた。
「あー、おほん」
 ――実在のティエリアが咳払いをした。
「……それにしても、お前達の心はガードが固くて読めないな。僕も読心術には些か自信があるから」
『僕らだってイノベイターだ。秘密を心の中に隠しておくのなんて簡単だ』
『僕にとってはそう簡単ではないんだけど……』
 映像のアレルヤがおずおずと手を挙げた。――僕と同じだな。アレルヤはそう思った。ティエリアは明らかにアレルヤより優秀で、精神の力も強い。脳量子波を遮るのも容易だろう。けれど、アレルヤはそんなティエリアに対して嫉妬するではなく、むしろ誇らしく思った。――いや、少しは悔しく思うこともあるが、それは気持ちのいい悔しさだった。
 そういえば、ベルベットはセルゲイとソーマ達の結婚式の様子を話せなかったな――きっと、ソーマの花嫁姿がとても綺麗だったとか、ご馳走が美味しかったとか、そういうことを話したかったに違いない。――アレルヤは映像の向こうの彼らといつかもっと親しく世間話が出来るようになればいいなと思った。

2018.11.15

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