ニールの明日

第二百五十話

 教会の隣の芝生では立食パーティーが催されている。料理や酒が振る舞われている。――すぐそこに迫っている夏の匂いがする。
 ――真夏の夜の夢。ニールはシェイクスピアの有名な戯曲を思い返す。今は真夏でも夜でもないけれど。
「ニール、行かないのか?」
 刹那が促す。
「そうだな。腹も減って来たしな。――でも、どこから食べたらいいかわかんねぇな」
「チーズ・フォン・デュがある」
 刹那が指差す。噴水から溶けたチーズが吹き出している。ニールは頷いてこう言った。
「チョコレート・フォン・デュもあるぞ」
「最初にチーズ・フォン・デュを発明した者は天才だ」
「はいはい」
 ――ニールも刹那と同意見であった。
「ねぇねぇ、そこのお兄さん」
 二人の子供のうちの一人に話しかけられた。顔かたちがそっくりで双子みたいだ。自分にも双子の弟がいるニールに、何とはない親近感が湧いた。
 このパーティー会場は一般にも開放されている。
「花嫁さんはどこ?」
「ほら、あそこにいるよ。あの白いドレス着た女性だ」
 ニールはソーマ・ピーリスを指さす。
「ほら、やっぱり僕の言うとおりだったろ?」
「――まいなすはえらそうなんだよ」
 まいなす?
「君の名前はまいなすって言うのかい?」
「うん。で、こっちがぷらす」
 まいなすにぷらすねぇ……。
「ぷらすはともかく、まいなすってつけられた方は可哀想だな」
 マイナスはいいイメージの言葉ではない。例えばマイナス思考とか――。ぷらす、の方だったかが口を開いた。
「何言ってのさ、お兄さん。まいなすがあるからこそ、ぷらすが生きるんだって、おやじが言ってたぜ」
「この子達の言う通りだ」
 刹那も賛同した。
「そうだったな。――わり」
 ニールがちょいっと謝った。ぷらすが明るい笑顔を見せる。
「ま、いいや。チーズ・フォン・デュ食べようぜ」
「俺達も行くよ」
 ニールと双子が歩き出す。刹那が後を歩く。
「あれ、美味しいよな」
「――ああ、チーズを絡めただけで素材の良さがぐんと引き立つ」
 さすが、俺の刹那はいいことを言う――ニールがそんなことを思っていた。
「チョコレートもだぜ。マシュマロにかけるとうまいんだ」
 まいなすだったか、ぷらすだったかが言った。
 ニール達は先にチーズ・フォン・デュの方に行った。
 ポテトにチーズをかける。
「旨いな」
「俺は思ってたよ。この世にこんな美味しいものがあったのか――とな」
 刹那は感慨深げに言った。どこか遠い目をしている。硝煙の匂いのする戦場のことでも思い返しているのだろうか。――刹那の表情はどこか切なげだった。
(そういえば、こいつは石膏も食ったこともあったんだっけな)
 そう思うと、刹那に憐憫の情が湧く。
(同情するな。ニール。俺のいた組織は――俺は、お前の家族を殺した。だから、因果応報ってヤツだ。俺は誰にも愛されなくても、構わない、そう思っていたのに――お前を愛してしまった)
(刹那。――俺も愛してるぜ)
 インナースぺースの中で、ニールが刹那を抱き寄せた時――。
「ニンジンのグラッセのチーズかけおいしい!」
 少年の声で二人は我に返った。
「ぷらすはうるさいんだよ」
「悪かったな」
 ぷらすがぶうたれる。
 ――刹那とニールは顔を見合わせ、くすくすと笑う。こんな時間があってもいい。ようやくつかみ取った平和な時間なのだから。
 ニールはサイコロステーキにチーズをかけて食べる。――旨い。
 ルイスが近づいてきた。
「おう、ルイス。沙慈と一緒じゃなかったのか?」
「アンドレイと話が盛り上がってるわ。――私、すっかり疎外感」
「へぇ……あの沙慈とアンドレイがねぇ……」
 ――少し意外な気がした。あの、頼りないところのある沙慈もすっかり成長していた。アンドレイも心優しい青年だ。お互いに通じるものがあったのであろう。――女性の好みも一緒だし。
「もう、私のことほっといて――私を何だと思っているのかしら。これだから男は」
 ルイスは拗ねているようだった。――いや、拗ねているような真似をしているように見えた。泣きたそうにしていたから……。
「こうして見るとね、思い出すわ。いとこの結婚式……」
 ルイスの頬をつぅーっと一筋の涙が伝う。
「駄目ね。もう泣かないって決めたのに……」
 ニールは思った。ルイス・ハレヴィはアンドレイと沙慈から逃げて来たんじゃないかと。
 確かにアンドレイと沙慈は楽しそうに話をしている。――邪魔しないように、離れて行ったんじゃないかと。でも、ひとりになるのも怖くて。
 白羽の矢が立ったのが、ニール達だったという訳だ。
「お姉さん。泣くときれいな顔が台無しですよ」
「おっ、まいなすのヤツ、いっちょ前に女を口説いてんな」
 ぷらすが言った。
「ち……違う……」
「そうねー、君が後十年成長してたら考えないでもなかったわ」
 涙を拭ったルイスが照れ笑いをした。
(まいなすのヤツ、ナイス!)
 ニールがぐっとガッツポーズした。
「俺、スシ食べたい。お姉さんも元気出して」
「一緒にスシ食べに行こう?」
 ぷらすとまいなすがルイスの袖を両方から引っ張る。――ルイスは少々困惑気味だ。
「ちょっと……刹那達と話がしたくって」
「ちぇっ、刹那達モテるんだ」
「振られたら俺らに言ってよ」
「何馬鹿なこと言ってるんだ。お前は――ぷらす」
「は? 刹那お前、まいなすとぷらすの区別がつくのか?」
 ニールが訊いた。
「ああ。イノベイターの力をもってすれば簡単だろ?」
「ああ、そうかい。そういえば魂の色が違うような気がするな」
「ふうん。刹那ってすごいね。お母さんでさえ僕達のこと間違うのに」
「それを逆手に取っていたずらばっかりしてたな。俺達」
 まいなすとぷらすがくすくすと笑った。こいつら――将来ろくな大人になれねぇかもな。ニールはひそかに危惧した。でも、この二人にも優しい心はあるのだから――。
(ニール、ぷらすとまいなすは立派な大人に育つぞ。お前らみたいなな)
 刹那の声がする。脳量子波だ。ニールも脳量子波で応える。
(だから心配なんだよ。こいつらが俺達のようになるのが。まぁ、俺は清く正しく育ったけど、ライルがなぁ……)
(何を言う。俺にとっては二人とも同じように見えるぞ。それに、お前のどこが清く正しく育った)
(お前が絡まなければ清く正しいの! 俺は!)
(そうか……悪かった……)
 刹那の美点は素直なところにある。そうニールは感じているのだが、(謝られても困るな)――と困惑しながら思った。ぷらすとまいなすは、これ以上ここにいても仕方がないと判断したのか、彼らなりに遠慮したのか、ぴゅーっと握り寿司のスペースへ行ってしまった。
「私、教えて欲しいの。あなた方がどうやって越えることが出来たのか――」
 ルイスが言った。ニールは思索する。そうか――ルイスも俺達と似たような環境だったよな。……人もいっぱい殺した。刹那が口を開いた。
「それを何度も自分なりに問うてみろ。そしたら、答えがわかるから。俺の場合は――愛する者が出来たからだな」

2018.08.24

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