ニールの明日

第二百話

「ベルベット!」
 叫んだのはティエリアであった。
「とうさま! かあさま!」
「心配したぞ、ベルベット」
 沙慈とルイスがベルベットと繋いでいた手を離してやる。ベルベットは一散にティエリアに近付き、ティエリアに抱き着く。美しい親子の図である。――ティエリアが男でなければ。
「良かったわね。ベルベットちゃん」
 ルイスがくすんと鼻を啜る。母親の気持ちがわかるのであろう。沙慈はそんなルイスを愛しく思った。
「そうだね。本当に良かった――」
(いつか僕達にもあんな風な子供が出来るだろうか――)
 それは沙慈の望みでもあった。だが、今は、この戦争を何とかせねばならぬ。平和な世界を残すこと。それが、大人達の子供達に対する仕事なのだ。
「ありがとう、沙慈にルイス。ベルベットを連れて来てくれて」
 ティエリアが礼を言う。
「いえいえ。ベルベットちゃんのおかげで僕達、楽しかったですから」
「たのしかったのー」
 ベルベットが上機嫌で言った。
 そして、沙慈は自分の気持ちに気付いた。ルイスと一生を添い遂げたい。出来れば、彼女との子供と共に。
「ありがとうございます。沙慈、ルイス」
 アレルヤがお辞儀をした。
「そ、そんな……僕達、何も特別なことはしていないですから……」
「普通に親切が出来ると言うのも、立派な美徳のひとつだぞ。沙慈」
 ティエリアに褒められて、沙慈は、「えへへ……」と照れ笑いをしながら頭を掻いた。
「じゃ、沙慈。もう帰りましょ。ここはアレルヤさん達に任せて」
「そうだね」
「ああ。君達。ベルベットはどこにいたんだい?」
 アレルヤが何気なく訊く。だが、その答えに仰天したらしい。
「――ベルベットちゃんは僕の部屋にいました」
「るいすおねえちゃまがはだかだったのー」
 ベルベットには性的なものに対するタブーというものがないらしい。――それとも、子供というのはそういうものなのだろうか。
「それは……ベルベットが邪魔をして済まない。――ベルベット、これからは他の人の部屋に勝手に入っては駄目だぞ」
「はーい……」
 ティエリアに注意されて、ベルベットはしょもんとなった。
「でも、とうさまもかあさまもはだかになっていたことがあったの……」
 娘に、沙慈とルイスの前で自分達の性事情を告白されてティエリアとアレルヤが真っ赤になった。
「そ、そうか……ベルベットは見てたのか?」
「ちょっと待って。ベルのいる前で僕達は抱き合ったことはないだろう、だから――」
「ああ、そうか。そういうことか――ベルベットの実の両親か」
「――?」
 沙慈が首を傾げた。この夫婦の言っていることがわからない。
「どういうことですか? あの――」
「ああ、ベルは平行世界から来たんだよ。きっとね。僕達にとっては天使さ」
「僕もそう思う。ベルベットは僕達にとっては実の子供のように可愛い」
 アレルヤとティエリアの説明で、何となく沙慈にも事情が呑み込めた。本当に平行世界から来たのかどうかは謎だったが。
(――不思議な娘だな。ベルベットちゃんは)
 誰の心をも暖かく和ます。沙慈は屈んでベルベットの菫色の髪をくしゃっと撫でた。髪の色は母譲り。――オッドアイは父親譲りだろうか。
 まず、出生からして不思議な娘だ。アレルヤとティエリアの娘だというのだから。ティエリアは男なのに。
 けれど、沙慈はベルベットが二人の娘だという話を信じている。だって、ベルベットは両親に似てこんなに愛情たっぷりではないか。
「おやすみ、ベルベットちゃん」
「おやすみなさい。るいすおねえちゃま。さじおにいちゃま」
「さ、行こうか。二人の仲を邪魔しては悪い。――沙慈とルイスもちゃんと部屋に帰れるよな?」
「勿論です!」
 二人の答えが重なる。
 ティエリアも随分性格が丸くなった。沙慈は眩しい物でも見るように、家族三人が織り成すカンバセーション・ピースを眺めていた。彼らの後ろ姿は光っているようだった。
「ねぇ、ルイス……」
「なぁに、沙慈」
「僕達もあんな娘、欲しいね」
「じゃあ、さっきの続き、する?」
 ルイスがいたずらっぽく笑う。
「いや……また邪魔が入ると困るから」
 沙慈も笑う。沙慈は、あの家族の肖像を思い起こしながら眠りたかった。
「私もね、今はまだ沙慈に抱かれなくてもいい。でも、ひとつのベッドで寝るくらいはいいでしょ?」
「――そうだね」
「でも、いつでも襲ってきていいからね」
「ルイス……」
 沙慈が今度は苦笑した。冗談だとわかっていたけれど。いつだってルイスの方が積極的だった。沙慈はそのルイスの求愛に対しておろおろしたりしていたが、今は違った。
「ふふ……君を抱きしめたくなったら、襲うよ」
「沙慈、大人っぽくなったね」
「嫌かい?」
「ううん。男らしくて――好き」
「好き――か、僕もだよ」
 二人は抱擁した。そこには彼ら以外もう誰もいなかった。ベルベットも両親と一緒に部屋に戻って行ったのだろう。
 ――ここが、二人きりの世界であった。

 アレルヤとティエリアは、部屋に帰るとひとわたりベルベットに注意した。
 勝手に人の部屋に入らないこと。無闇と力を使わないこと。誰にでも秘密はあるということ。そして――。
「僕達の情交を勝手に盗み見しないこと!」
 これはティエリアが特に念を押したことだった。ベルベットには情交というのが何のことだかよくわからなかったらしいが。
「まぁまぁ。ティエリア。この辺で。ベル、眠いだろう?」
「うん……」
「じゃ、着替えようね」
「はぁい」
 二人の説教から解放されたのが嬉しいのだろう。ベルベットが万歳をした。
「おや? こんなペンダントしてたんだね。今はおねんねするから外そうね」
「――いや!」
 ベルベットがアレルヤに反抗した。
「でも、寝ている間にチェーンが首に巻き付いたら危ないだろう?」
「いやったらいや!」
「ベルベット――父様の言うことはきくものだぞ」
 ティエリアも参戦する。今まで大人しかったベルベットが、いやいやをする。
「ベル――ペンダントは寝る時には外さなきゃ……」
「いやなの!」
 ベルベットは更にアレルヤに逆らう。
「ベルベット!」
 ティエリアがベルベットの頬を軽く叩く。ベルベットが目に涙を溜める。
「いや! ふたりともほんとうのとうさまとかあさまじゃない! べる、ほんとうのとうさまとかあさまのところへ帰る!」
 そして、ベルベットは姿を消した。
「ベル――無駄に力を使うなと言ったばかりなのに……」
「ティエ……あのペンダントはベルにとってとても大事な物だったんだ。誰からもらったのかわからないけれど――僕が浅はかだったよ」
「違う。アレルヤは悪くない」
 ティエリアが手を見つめた。それから呟く。
「人を叩いてこんなに手が痛く感じられたのは初めてだったよ……」

2017.4.7

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