ニールの明日
~間奏曲6~または第七十八話
アンドレイ・スミルノフは、ルイス・ハレヴィとぶつかった。
「あ、すまない……」
「いえ……」
ルイスは淋しい後姿を見せながら去って行った。
(やれやれ。彼女ももう少し笑顔を見せれば美人なのにな……)
アンドレイは溜息を吐いた。
アンドレイは沙慈と付き合っていた頃の明るくて我儘だったルイスを知らない。そんな彼女を見たらきっとびっくりするだろう。
(乙女なのにな……)
アンドレイは何とかしてルイスを笑わせたいと思っている。彼はソーマ・ピーリスのことも好きだが、ソーマは彼の父親のセルゲイ・スミルノフを愛している。
(まぁ、こればかりは仕方ないか……)
ソーマはセルゲイの養女になる。いっそのこと結婚すればいいのに、とアンドレイは思う。ソーマが義母なら、きっと歓迎できると思うのだ。
――アンドレイはその場を去った。
「マリナ様ー」
「マリナ様、帰っちゃうの?」
カタロンの基地にいたマリナは、アザディスタンの王宮に帰ることになった。
「姫様はね、お仕事があるのよ」
シーリンが諭すように子供たちに言う。
「つまんなーい。お仕事なんてやめればいいのに」
「そういうわけにもいかないのよ……」
マリナは困ったように答えたが、やがて手を打った。
「そうだわ! この子達も連れて行きましょ! ね、シーリン」
「な……姫様……!」
シーリンの眼鏡の奥の目が見開かれる。
「わーい、わーい」
「またマリナ様と一緒にいられるんだー」
「ね、マリナ様。おうた、うたってね」
「ええ、いいわよ」
シーリンはふぅ、と吐息をついた。
大した姫様。もう子供達の心を虜にしてしまった。まぁ、子供達は姫様に預けておいた方がいいかしら。
シーリンにも仕事がある。カタロンの基地に子供達を置いていては、この間のようなことが起こった時、恐怖心を植え付けないとも限らない。
まぁ、アザディスタンの王宮も完全には安全とは言えないけれど……。
「わかったわ。でも、くれぐれも姫様のお仕事の邪魔はしないこと」
子供達は元気に、「はーい」と揃って返事をした。
「できたか? ビリー」
「ああ」
ビリー・カタギリは旧友に微笑みを向けた。
「君の言う通り、かなり理想的にできたと思う。グラハム……いや、今はミスター・ブシドーだったかな」
「……そうだ」
ビリーは内心ほくそ笑んだ。
(次に君と会う時は、敵同士だな……リーサ・クジョウ……いや、スメラギ)
ビリーは確かにCBの夜襲のことについては上司達に対しては握り潰した。
それなのにどうしてあんな数のMSを稼働させることができたのか、今となってはわからない。
けれど、密約は守った。後は……。
「CBとの戦いは、君の肩にかかっている」
「ありがとう。ビリー」
「なんの。ミスター・ブシドー」
二人の戦友は握手を交わした。
「この曲も聴き飽きるほど聴いたな」
ワーグナーだ。死んだアレハンドロ・コーナーが好きだった……。
あの男もとんだ道化だった。それなのに、心の中から離れない。
僕もあの男が好きだったのだろうか。まさか。
僕は選ばれたイノベイターだ。あんな下等な人間とは違う。
あの男は、僕を愛人にすることで満足していたようだったが。
「リボンズ」
眼鏡とふわふわとした紫色の髪がトレードマークのリジェネ・レジェッタがリボンズ・アルマークを呼んだ。
「またワーグナーを聴いてたのか。趣味が悪いな」
「君に僕の趣味をどうこう言う権利はない。――どうした」
「CBが動き出した」
「ああ、そのことか」
リボンズは満足そうに頷いた。
「いずれそうなるとは思っていたよ」
「――知っていたのか」
「アレルヤを奪還された時からね」
「アレルヤは……やはりガンダムが……」
「それも知っているよ」
リボンズは紅茶のカップに口をつけた。リジェネが眉を顰めた。
「それ」
リジェネはレコーダーを指さした。
「やめてくれないかな?」
「お気に召さなかったかい?」
「嫌なんだ。こういうの」
「好きな男もいたよ」
「とにかくやめてくれ」
「――仕方ないね」
リボンズは悠然と微笑むとレコードを止めた。
「おいおい。野暮なことはなさんなよ。リジェネ」
赤い髪の男が階段から降りてきた。リジェネはその男の方を振り向いた。
「アリー・アル・サーシェス」
「何の話をしてたんだ?」
「CBのことについて話してた」
「ソランという馬鹿ガキがいる組織だな」
「ソランについては君の方が詳しいだろう」
「まぁな」
アリーは好色そうな笑みを浮かべて赤い髭を撫でた。
「しかし、とっくにくたばったものと思ってたぜ」
「あの男を軽視するのは危険だ」
ソラン・イブラヒム――今は、刹那・F・セイエイと名乗っている。
「はいはい。わかりました」
アリーの目が剣呑な光を孕む。
「俺は戦いを楽しめればそれでいいんでね」
「それから――ニール・ディランディが生きていたぞ」
「ニール・ディランディ?」
「ロックオン・ストラトスだ」
「へぇ……きっちりとどめさしたと思ったんだがねぇ……」
アリーの飄々とした態度の裏に焦りが見える。「バイ」と言ってアリーは部屋へ戻る。
「アリー……あの男、ロックオンの生存のニュースに動揺してたな」
可笑しそうにリジェネが言う。リボンズは澄ました顔をしてまた馥郁たる香りの紅茶を味わった。
2013.10.4
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