ニールの明日

第九十二話

「お初にお目にかかります。私はマックス・ウェイン。技師です」
「ふうん、そうか……」
 グレンは興味ない風なところを見せたが、つい好奇心に負けたのか訊いてしまった。
「アンタも訳ありってわけか?」
「――アロウズの技師でした」
 マックスが穏やかに答える。グレンには、人の答えを誘導させる、そんな力がある。
「アロウズか、なるほどね。で、今度はこっちに寝返るって訳か」
「グレン様!」
 ダシルが叱責する。
「別段悪いたぁ思っちゃいないさ。俺達も訳ありでね――俺はクルジスのゲリラ兵だ」
 グレンは胸を張って答える。そのことに誇りを持っているのだ。些かの後ろめたさもない。
「そこにいるダシルは俺の部下だ」
「せめて相棒って言ってくださいよ」
「部下と相棒とはどう違うんだ?」
「んもう」
 ダシルが頬を膨らませる。微笑ましく思ったのか、マックスの表情は和らいだままだ。ニールも刹那と顔を見合わせて笑う。
「すまん、すまん。会議が踊っちゃって。あ、ウェインさん、来てたんですか」
 茶がかった短髪に青い目。カタロン支部の長、クラウス・グラードがやってきた。
「直接会うのは初めてですね。グラードさん」
「クラウスでいい。その代わりこっちもマックスと呼ぶから」
「宜しく」
 クラウスが手を差し出したので、マックスもその手を握り返した。これが世界を変える握手であることは、ニール以下数人以外、誰も知らない。
「ところで、グレン、ダシル。何しに来た」
「クラウス……まさか俺達が遊びに来た訳でないことは知っているだろう?」
「違うのか?」
「当たり前だ!」
 グレンは激昂した。
「冗談だって。相変わらずユーモアのセンスのない奴だなぁ。おい、マックス。ちょっと別室へ行っててくれ」
 クラウスはマックスを十年の知己のように呼んだ。マックスも特に否やはなかったらしく、ロードの案内で隣の部屋に入った。
「誰がユーモアのセンスがないだって……」
 グレンがブチブチ小声で文句を言っていた。
「俺達も席外そうか?」
 ニールが言った。刹那も頷いた。
「そうだな……」
 クラウスは考えているようだった。
「おまえ達はいていい」
 グレンがぼそっと喋った。
「そうだな。おまえらは信用できるし、グレンとの繋がりも深いだろうからな。――で、何だ? グレン、話があるんだろ?」
「ああ」
 一拍置いてグレンが口を開いた。
「アリー・アル・サーシェスという男を知っているか」
「うへぁ……」
 ニールは口元を歪ませた。
「どうした? ニール。変な顔をして」
 グレンが当然の質問をする。
「二度と聞きたくない名前、その2だぜ」
「――因縁浅からぬようだな」
「まぁね」
 アリー・アル・サーシェス。あの男に殺されるところだったのだと思い出すと、背筋を寒気が走る。
 刹那がぎゅっとニールの服の裾を掴んだ。
(大丈夫か。おい)
(ああ……)
 ニールと刹那が小声で対話する。柄にもなく刹那も不安になったのかと、ニールは思った。無理もない。刹那はアリーに騙されて戦争に駆り出されたからだ。彼はあの男の為に両親も殺した。
(アリーめ、許さん)
 しかし、何故ここでアリーの名が出て来るのであろうか。
「アリーは何をやった」
 刹那は直截にグレンに訊いた。
「ニール。おまえは俺達とアザディスタンのゲリラ達の小競り合いは知っているよな」
「ああ……」
 仲間であるはずのアザディスタンのゲリラ兵。一部だが、数そのものが多いので、一部と言っても油断はできない。
 クルジスのゲリラ兵と一部のアザディスタンゲリラ兵の不仲は、ニールがグレンと共に戦っていた当時から将来の懸念材料となっていた。
「あいつ……もしかしてアザディスタンのゲリラ兵に力を貸してたのか?!」
 ニールは合点が行ったように手を叩いた。
「クルジス兵の中にもあいつの仲間がいた。俺達は一介のゲリラ兵だが、一応節度はあるつもりだ。それを破った奴は――始末するしかなかった……」
 グレンが涙を堪えるように拳を握りしめながら震えている。
「…………」
 刹那が――赤い大きな瞳に怒りを露わにしていた。
 グレンにとって仲間を殺すことがどんなに辛いか、いや、誰にとっても辛いことだ。ニールも人を殺めたことがあるが彼らにも仲間や家族がいる。相手が敵だと思えば割り切って片付けられるが、一人の人間の血を流すことの罪は重い。その血の汚れは一生この手に纏いつく。グレンは……きっと自らの手で身内を葬り去らなければならなかった。どんな人であれ、命の重さに違いはないが、敵をやっつける時よりその重さが身に染みたであろう。
「アリーが黒幕か……」
 ニールが呟いた。
「いや……黒幕は別にいるそうな」
「誰だそいつは!」
「――わからん。アロウズの手の者らしいということしか知らん」
 グレンはゆっくり首を横に振った。
「あまり参考にならなくてすまない」
「何を言う。おまえは充分責任を果たした。それに、アロウズに黒幕がいるらしいことがわかっただけでもめっけもんだ。それ以上余計なことを考えることは――ない」
「優しいな。ニール。――セツナ、おまえが羨ましい」
 グレンにそう言われ、刹那はきまり悪げに俯いた。照れ臭いのもあったのかもしれない。
「グレン様。グレン様には俺がいます」
「――そうだったな。これからも頼むぞ。ダシル」
「はい!」
 グレンにはダシルがいて良かったとニールは思った。
(俺とおまえのようだな。刹那)
 グレンとダシルはニールと刹那のような恋愛関係ではない。だが、誰よりも信頼している――きっと。
「アリーは今どこにいる」
 ニールは声を張り上げた。すると――
「今朝アロウズの本部に向かったようです」
 と、ダシルが応答した。それを聞いたニールが呟いた。
「アロウズの本部に舞い戻ったか――アリーはアロウズに飼いならされたのか? まるで牙を抜かれた猟犬だな。それともただの傀儡か」
 そんなチンケな男のせいで、クルジスとアザディスタンは戦争に陥るところだったのだ。ニールは皮肉げな笑みを浮かべた。そして、ダシルに向き直った。
「ダシル。何でアリーの動向を知っている」
「えーと……これ言っちゃっていいのでしょうか、グレン様……」
「構わん。俺達もスパイを身内に飼っている。いいか悪いかは別として。アリーの居場所を見つけた奴は俺達に忠誠を誓っている。誰だか知らんがアリーを操っている存在がアロウズの中枢にいる、と我々は考えている」
 そうなるとかなり絞られてくる。クルジスのゲリラ兵に手足となるスパイがいるとは知らなかった。己は目標を狙い撃つのみだったから。考えてみれば別に驚くほどのことでもない。グレンのカリスマ性に惹きつけられる人間は存外多いのかもしれないのだから。だが、ニールには、刹那しか見えない。それがいいことなのか悪いことなのか……。
 しかし、ニールが本当の明日の意味を掴む為には、多分刹那の存在だけでは足りない。CB、カタロン、トレミーのみんなに直接の仲間であるガンダムマイスター……。
「おまえらはアリーを殺さないのか?」
 刹那がずばりと切り込む。グレンが生真面目な顔で応じた。
「――殺してやりたいのは山々だがなかなか尻尾を出さなくてな。それに恐ろしく用心深い。もうしばらく泳がせておく」
「話は済んだか?」
 クラウスが口を挟んだ。ニールは、クラウスが声を出すまで彼の存在を忘れていた。

2014.3.15

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