ニールの明日

第九十七話

「じゃ、俺達はこれで。基地の皆に宜しくな」
 ニールが言った。
「はい、わかりました」
「また来いよ」
 ダシルとグレン達に見送ってもらうニールと刹那。
「カタロン支部まで送ってくださってありがとうございました」
 グレン達に同行していたマックス・ウェインが礼を述べる。
 ニール達は基地の武器庫に収納させてもらっていたダブルオーライザーに乗ってカタロン支部を後にした。
「楽しかったな、刹那」
「浮かれるな……任務中だ」
「それもそうだな――おっ、来たぞ。敵さんが」
 ダブルオーライザーはとにかく目立つ。敵方のMSが何機かオーライザーに向かってきた。ニール達も迎撃する。

 ところ変わって、アロウズ本部――。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 ルイス・ハレヴィが震えながらナノマシン剤を口に含み、ぐっと水を飲む。
「准尉!」
 アンドレイ・スミルノフの声がする。セルゲイ・スミルノフの息子だ。
「アンドレイか……私のことは、ルイスでいい……」
「ルイス……」
 アンドレイの瞳に気遣いが浮かぶ。こういうところは沙慈に似ている。普段は全然違う二人なのだが。
(沙慈、どうしているかな)
 ルイスは笑おうとした。アンドレイの目がますます心配そうになる。
「准尉。マネキン大佐がお呼びです」
「大佐が……」
「どうします? 断ってきますか?」
「いや、いい。体調が悪いとはいえ、上官の命に逆らうのは軍人にあるまじき事……」
 ルイスはふらふらと立ち上がった。
 現在のルイスを見れば……元の我儘だが優しいルイスを知っている沙慈が今の彼女を目にしたなら、一体何と言っただろうか。
(いや……そんなことはどうでもよい……)
 気分が治ったルイスは、
「アンドレイ、伝言感謝する」
 と言った。
 本当はアンドレイにも階級で挨拶すべきなのであろうが、最初に彼に、
「私のことはアンドレイと呼んでください」
 と、言われた時からアンドレイと呼んでいる。それに、今はプライベートの時間だ。アンドレイといるとほっとする。
(沙慈……)
 ちくっと後ろめたさが心の小さな棘となる。
(マネキン大佐、何だろう)
 ルイス・ハレヴィはアンドレイに敬礼した後、さっきまでとは違うしっかりした足取りで部屋を出て行った。
 アンドレイが密かに頬を染めているのを知らずに。そして――
「乙女だ」
 という彼が言ったことも、ルイスは知らない。

 アンドレイ・スミルノフにも用事がある。イノベイターの調査機関に呼ばれているのだ。ここの長はまだ若い。眼鏡をかけた見過ぎ世過ぎに長けていそうな白金色の髪の男だった。
「ようこそ。所長のカール・リーガンです」
「アンドレイ・スミルノフです。父の代わりに来ました」
「これはどうも」
 二人は握手を交わす。
「こちらへ」
 リーガン所長の差し示したところにはたくさんのイノベイターがいた。
 泣き叫ぶイノベイターの子供。自分の世界に浸っているイノベイター。諦めきった顔つきのイノベイター。
「これは……」
 もしかしたら、ここのイノベイターは実験材料――つまりモルモットにされているのではないか。そういう疑惑がアンドレイの中に起こってきた。
「どうしました?」
「いえ……」
 アンドレイは所長が訊いてくるのへ頭を横に振った。
「イノベイターの研究は、これからますます進歩していくと思います。私はここの所長になれて誇りに思います」
 リーガンが得意そうに胸を張った。
(だったらもっと待遇を良くしたらどうだ)
 アンドレイの胸元に酸っぱいものが込み上げてきた。アンドレイは我慢したが。
「父に……ここのことを伝えておきます」
 セルゲイなら、何とかしようとしてくれるはずだ。子供の頃、母が死んだ時から、アンドレイはセルゲイを頼るようになっていた。
(もし、あの時、父が俺を呼んでくれなかったら――)
 アンドレイは父に対する信頼もなくしていただろう。そして、父に故のない敵愾心を抱いていただろう。
 だが――。
(父に頼らず、そろそろ自分で何とかすべきかな)
 とも思った。父にはいつも世話になってばかりだったから。
「あの……所長はイノベイターをどう思っていますか?」
「我々の進化を助けるものです」
「なら、もっと彼らとわかり合おうと努力したらどうですか?」
「わかり合う? 努力?」
 リーガンは意外な言葉を耳にしたように目を見開いた。
「我々は彼らにとって如何に快適に過ごせるかを日夜考えていますが」
 とてもそうは見えませんね――アンドレイは思った。
「私にはここは大規模な実験場に見えますがね」
 アンドレイの言葉に、
「まぁ、見慣れないうちはそう思うでしょうね」
 と、リーガンはやんわりと反駁した。
「――父に話しておきます」
「アンドレイ様、お父上にはここのことは何と?」
「大規模で良質な調査機関だと――」
 勿論、そのまま話すはずがない。リーガンは言った。
「ここはね、別名をリボンズ・アルマーク機構と言うんですよ」
「リボンズ・アルマーク機構?」
「ええ。リボンズ・アルマーク様の作られた機関です」
「リボンズ・アルマーク……知らないね」
「ここだけの話ですが――このアロウズのお偉いさんの一人ですよ」
 リーガンはにんまりと笑った。
(そう言えば、俺が態度を変えると思っているのか? この狸め――)
「そうですか。では――」
「待ってください! お父上には是非とも宜しくお伝え願いたいのですが――。もう少し、ご見学を……。あなたはここのことを誤解しています。だから、もっと本当の姿を知ってもらいたいのです。私もあなた方に対して便宜を計りますから……私にはアルマーク様との伝手がありますから。困ったことがあったら執り成すことができますから――」
 アンドレイが気分を害したことをリーガンは悟ったらしい。何とかしてアンドレイを引き留めようとした。しかし、言っていることは支離滅裂である。
「見るべきものは既に見たかと――」
 そう言いながら、アンドレイはぎょっとした。
 表情のないイノベイター達の目。しかし、まるで救いを求めているような光を微かながら湛えている……。
 何とかしてやりたい。
「父には、リーガン、あなたを更迭することを考えてくださるよう進言します」
 極力父の名を使って脅迫したくはなかったが仕方がない。リーガンは青褪めていた。アンドレイは身を翻した。
 その頃、セルゲイ・スミルノフ――ロシアの荒熊はある人物に呼ばれていた。

2014.5.7

→次へ

目次/HOME