ニールの明日

第百四十二話

「美味しいですわ。このビーフシチュー」
 王留美がアレルヤの料理を褒める。
「これは何だ? アレルヤ。名前はわからずとも旨さに変わりはないが」
「それはね……」
 嬉々としてアレルヤはグレンに説明する。
 ティエリアがキッチンを爆発させるアクシデントもなく(ニールと刹那がそれとなく止めたのだ)アレルヤは家庭料理を完成させることが出来た。
「ありがとうございます。アレルヤさん」
 紅龍が頭を下げた。
「いやいや、僕だけじゃなく、皆の協力があったから出来たんだよ、ね?」
「そうだな」
 こんなに大勢で押しかけて来て――とグレンは思っているかもしれない。ニールは苦笑を噛み殺した。
 ニールも刹那も、そしてティエリアも王留美とグレンに、
「おめでとう」
 と、言った。
「まぁ……少しこそばゆいですわ」
「俺もだ」
 王留美とグレンは視線を交わした。紅龍がゴホン、と咳払いをした。
「けど――世界にはこんなにも旨い料理があるんだよな。――亡くなった仲間達にも食べさせてやりたかった……」
 しん、と沈黙が落ちた。
 グレンはゲリラ兵だ。王留美と結婚したとはいえ、多分まだ足を洗っていない。
「――ねぇ、グレン。この世界が平和になれば、この世はもっと美味しい料理で満たされると思わないかい」
「むっ」
「僕達の力で世界に平和を呼ぼうね、グレン」
「しかし――この世界には敵がいて……」
「誰を敵と言うの? 敵側にしてみれば、君達こそが悪魔みたいな存在なんだよ」
「悪魔……」
 ニールはリムおばさんのことを思い出していた。リムおばさんはグレンに戦いをやめさせたがっていた。
「僕もそれは覚悟してるんだけどね――時々辛いんだよ。戦争で親を亡くした子供に会った時とかね。泣かないんんだ。彼らは。ただ、じーっと僕達を見ている」
 アレルヤが嘆息した。
「俺達の場合もそれが日常だったからな」
「俺もだ」
 グレンと刹那が答えた。
「でも、君達には帰るところがある。愛する伴侶もいる。親を亡くした子供達は、本当に、どっこにも行くところがないんだ」
 ニールにもそれはわかる。
 父さんと母さんとエイミー……失くしてしまった大切な家族。だからこそライルが愛しい。ライルがいて良かったと思う。ライルがいなかったらもっと心は荒れていたかもしれない。
 ライルにもアニューがいる。きっと将来は彼女と結婚するのだろう。
(ニール……アニューは要注意だぞ)
 また刹那の声がする。
(どうして? あんないい女いないぞ)
 ニールが青年の声に応える。
(アニュー本人はいい女だ。ただ、彼女は……人間ではない)
(イノベイターだとでも言うのか?)
(多分な。俺も同類はわかる)
(へぇ……)
(で、彼女は多分リボンズ側だ)
(リボンズか……後でライルにもそれとなく話してみるよ)
(宜しく頼む)
(ああ――)
 気が付くと、グレンは優しい目で王留美を見ている。
「留美。ニキータはどうする?」
 暖かいムードを遮るように紅龍は話題を変えた。
「そうですわね……このままにもしておけませんわね」
「やはりカタロンに帰すのか?」
 グレンが話に入る。
「それが一番いいと思いますわ」
「――それはどうだろう」
「刹那!」
 ニールは叫んだ。そして続けた。
「――まぁ、俺がニキータだったらきっと帰りたくないね」
「どうして? カタロンの基地は安全ですわよ。それに皆優しいし」
「留美。世の中の人間が全員優しさを求めているとは限らない」
 おお、言ってくれんじゃん。紅龍――ニールは紅龍を見直した。留美もそれぐらいわかっているだろう。言ってみただけだ、という風に小さく肩を竦める。紅龍が吐息と共に続けた。
「この世の中は優しさだけで救える程単純ではない。だから、いろいろな問題が起こっているのではないか」
「紅龍の言う通りだ」
 刹那が頷く。
「アリーはニキータに惚れている。それに、ニキータも……」
「相思相愛というわけか」
 グレンはテーブルに肘をついた。
「グレン……お行儀が悪いですわよ」
「おっと……すまん」
 グレンは上流階級のマナーなど習っていないに違いない。けれど、どことなく生まれながらの気品に溢れている。教養もある。バルナバのおかげだろうか。
「アロウズはダブルオーライザー、返してくれないだろうか」
 アレルヤが呟いた。
「――ニキータの身柄と交換ということにすれば」
 ニールが提案した。
「アロウズがどの程度ニキータのことを知っているのかが鍵ですわね。私だったらニキータを手放しはしないでしょう」
「たかがアリーに惚れてるだけの小娘だろ?」
 ニールが言った。
「だからこそ厄介ですのよ。あの年頃の女の子は恋の為には何だってしますわよ。二キータ、ちらと見かけただけですがこの短期間で随分綺麗になりましたし。どうしてだかいろいろ考えたのですが、恋の力と言われれば納得ですわね」
「八百屋お七か……」
 刹那は日本の古典の題名を口にした。
「グレンも恋の為にこのアロウズの領地に来たしな」
「刹那……確かに俺はクルジス兵として褒められた行為をしたとは思っていない。だが――」
「誰もお前が悪いと思ってはいない」
「ワリス辺りには怒られるかもな」
 グレンが微かに笑んだ。
「でも、長老は受け入れてくれると思う。王留美。そのうちに長老に会ってくれないか?」
「ええ。私達は夫婦ですものね。ちゃんと挨拶はしませんと」
「俺はもっとちゃんとした男のところに妹を嫁がせたかったんだがな――」
 紅龍が溜息を吐いた。小舅も大変だな――とニールは思った。でも、それも紅龍の選んだ道だ。彼は前から妹のところに付き添っていた。その時はあまり個性を出さなかったが、ここに来て小舅としての才能が開花されたようだ。
「ティエリア、これ美味しいよ」
「アレルヤ、そんな場合ではないだろう」
「いや、君達は好きなように話してくれ」
 紅龍がひらひらと手を振った。紅龍の口調は些かぞろっぺえなものになっていた。
「ダブルオーライザー……多分アロウズでも研究しているでしょうからそのデータも欲しい、というのは幾ら何でも無理かしら」
「まぁ、無理でしょうね」
 紅龍の口調が戻った。
「ダブルオーライザーは研究されていたのか」
 このニールの言葉に刹那が呆れたように話した。
「ニール、お前は何の為にアロウズに科学班がいると思う。ビリー・カタギリ……ホーマー・カタギリの甥がいただろう。あの男がトップに立ってダブルオーライザーの謎に取り組んでいたに違いない」

2015.8.17

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