ニールの明日

第百四話

「遠回りするぞ。ティエリア」
 刹那が言った。
「ああ……」
 ティエリアも肯った。窓の景色は見たこともないものに変わっている。
「どこか行くあてでもあるのか?」
 ティエリアが訊くと刹那が答えた。
「――海だ」

 二人は車を降りた。海は潮くさいけれど、訳もなく懐かしい。刹那がそう思っていると――。
 一条のオレンジの光が水平線を照らした。大きく丸いオレンジの光の塊が水面を照らす。
(ニール……)
 刹那の思い出が呼び覚まされる。
「昔――」
 刹那はティエリアに語りだした。
「ニールに海に行こうって言って誘われて――断っても、しつこく食い下がって――『海行こう、刹那。海から見える日の出は綺麗だぞ』って」
「ニールらしいな」
 ティエリアはくすっと笑った。
「俺は、その時はくだらないと思ったが――ニールがいなくなって……どんなに大切な思い出だったかがわかって――」
 ニール……。
 好きだ、ニール。言葉で表せないくらい、大好きだ。
「刹那、泣いてるぞ、お前」
「え……あ、ああ……」
 ニールのことを考えると、涙が止まらなくなって――。
「わかってるよ。お前達、考えてみればずっと離れ離れだったものな」
「ティエリア……」
 ティエリアこそ、アロウズの陰謀のおかげでアレルヤと離れ離れだったはずだ。それなのに、刹那のことを思いやって言っている。
「今度は僕もアレルヤと一緒に来てみるかな」
「そうだな。喜ぶと思うぞ。アレルヤも」
「うん……」
 頷いたティエリアはどこからどう見ても恋する美女で。だから、応援してやりたい。
 みんな、上手くいくといい。スメラギも。ビリーと引き離した格好になってしまったのだから。
「もう少し走る。体調はいいか」
「万全に整っているぞ」
 美女の口から男の声が。刹那は思わず笑ってしまった。
「何がおかしい」
「ティエリア……悪いがまだ声色使っててくれないか?」
「? ……何でだ?」
「俺はな、そのう……女とデートしたことがないんだ。今はそのつもりでいさせてくれ」
「お前もニールに似てきたな、……いいよ」
 しかし、ティエリアにもアレルヤという恋人がいる。
「じゃ、帰るか。俺は――もう少し走っていたいのだが」
「構わない」
 ティエリアの紅唇から出てきたのは、妙なる女性の声だった。
「――ありがとう」
 それにしても、ティエリアの声色は上手いな、と刹那は感心した。ティエリアが普通の人間でないからかもしれない。
(ニールが聞いたらどういうかな)
 俺もティエリアとデートがしたかったぜ、と言うかな。それとも、俺のことで妬いてくれるだろうか。ニールはあれで一途だから……。
(すまん、ニール。でも、俺の一番はお前だ)
 アリーに会う前にニールに会っていたら、惚れてた。絶対、惚れてた。
 傷だらけのロールスロイスが街中を走る。すれ違う人は皆びっくりした目でそれを見ていた。

「――ご苦労様」
 トレミーでは王留美が出迎えてくれた。そして、刹那とティエリアを自分専用の部屋に連れて行った。
「王留美……」
「アリーは来てたでしょう?」
「ああ」
 ティエリアが答えた。
「俺は見なかったが」
「お前がいなくなった時、ちょうど入れ違いに大広間に来て、僕をダンスに誘った。一曲踊った」
「へぇ……アリー、ティエリアと踊ったのか。いいなぁ」
「アレルヤ……そういう場合じゃないでしょう」
 羨ましがるアレルヤを王留美はたしなめた。
「後で君とも踊ってやる」
 ティエリアが公約した後、
「会わせたい人がいると言って、リボンズの部屋に連れてこられた。リジェネ・レジェッタという男もいた」
 と言った。
「リジェネ・レジェッタ――初耳ね」
 王留美が首を傾げた。
「僕と同じ、イノベイターだと言っていた。俺の正体を知っていた風だった。僕は――リジェネに銃を向けられた」
「それで、どうなさったの?」
「窓の鍵を壊して逃げた」
「随分乱暴な逃げ方ですわね。――まぁいいわ。裏は取れたし。リジェネ・レジェッタという男のことをもう少し知りたいんだけど、ティエリア、話相手になってくれるかしら?」
「いいですとも」
「ここじゃない方がいいですわね」
 ティエリアと王留美は部屋を後にした。
「アレルヤ、ニールは?」
「心配し過ぎて疲れて寝てるよ。君のことをね」
 アレルヤは刹那の肩をぽんと叩いた。
(そうか――ニールは俺のことを心配してくれたのか)
 一方通行の恋ではない。両思いだ。
 感激が胸の奥から込み上げてくる。
「刹那!」
 着替えたニールが部屋に飛び込んできた。当主、王留美のトレミー内のプライベートルームだと言うのにノックもせずに。
 刹那はさすがに眉を顰めた。
「おい、ニール、少しは静かに――」
「刹那、刹那――」
 大の男のニールが泣いている。けれど、まあいい。刹那も泣いたのだ。
 刹那はぎゅっと抱き締め返した。まるで、そうしないとニールが煙のようにぽーんと消えるかのように。
 いや、事実、消えたのだ。
 中東の砂漠で彼と会った時は、夢かと思った。
 もう離さない、刹那。
 ニールがそう囁いたような気がした。
 俺も――と、心の中で呟いてみる。ニールのいない人生において、刹那は半分の存在でしかない。ニールは刹那の半身なのだ。
「ニール、刹那」
 アレルヤが苦笑しながら言った。
「無事帰って来たお祝いとして、身内でパーティー開かないか? マイスターだけで」
「――え? いいのか?」と、アレルヤの方に顔を向けたニールが訊いた。
「ああ。僕も心配だったしね。ティエリアが襲われやしないかとね」
「大抵の人間になら、ティエリアは負けないと思うけどな」
 王留美にいいかどうか訊いてこよう。そう言ってアレルヤは室内電話をかけた。

2014.7.21

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