ニールの明日
第百三十一話
「みんなー、こっちこっちー」
そう言いながら、シャーロットはソーマ・ピーリスの手を引いた。アンドレイと刹那は、その光景をとても微笑ましいものとして見つめていた。
「ここがあたしたちのおへやよ」
シャーロットの声には誇らしげな響きがあった。ソファには金髪のほっそりした綺麗な女性が座っている。
「ママなの」
「あら、こんにちは。皆さん。私はエンマ・ブラウンです。娘がお世話になってます」
エンマが頭を下げた。ソーマとアンドレイと刹那がそれぞれ挨拶をした。
「あたしはシャーロット・ブラウン!」
シャーロットの元気な声に、一同は癒された。ソーマがくすっと笑う。
「なにがおかしいの? ソーマおねえちゃん?」
「いえ――シャーロット、あなたがあんまり明るいものだから」
「あたし、あかるくなかったの。オールドマンさんがきて、あかるくなったよ!」
「そう……」
「所長が変わってここもとても風通しが良くなりました」
エンマは言った。
「ママ、またね。こんどはこっちよ」
シャーロットに振り回される三人。でも、意外とそれが不快ではない。シャーロットが天真爛漫なせいかもしれなかった。
「カールさんはね、あたしたちをぶつの。でも、もうあのひとがこないとわかったからほっとしちゃった」
随分な嫌われようだな、カールは。――刹那は思った。
けれど、それも仕方がないかもしれない。カールにはカールの言い分があったとしてもだ。
「ジョンさん」
「おお、シャーロット」
長い黒髪の男が手を挙げた。
「こっち、あたしのともだち。ソーマさんにせつなさんにアンドレイさんよ」
「よ……宜しく」
おずおずとアンドレイが。
「おー、こんにちは。えーと、アンドレイ君?」
「はい」
「ジョンさん。あたしたち、おそとにでたいの。きがえある?」
「あるとも。洗濯室においで。そっちの美人さんはもう着替えてるんだね」
「はい。服を出していただきました」
ソーマが言った。
「えーと……刹那君? 君の服も届いているよ。君が元々着ていた服とパーティーで着ていた服と、どっちがいいかな?」
「……前者の方で」
「わかりましたよ」
ジョンと呼ばれた男がウィンクした。彼らは洗濯室に行った。刹那が着ていた青を基調としたCBの制服はきちんと畳まれてある。洗い立ての匂いがする。
「ジョンさん――ペンダントはなかったですか?」
「ああ、ペンダント、ペンダントね。一緒に届いていたよ。ほら」
ジョンが洗濯台の上からペンダントを取って刹那に渡した。
「それ、だいじなものなの?」
シャーロットが訊く。
「ああ……とても、とても大事なものさ」
ニールからもらった婚約指輪をぶら下げたペンダントである。刹那は指輪の部分にキスをした。ニールが見たらさぞかし喜ぶだろう。急に抱き締めることもするかもしれない。
「あそこで着替えておいで」
ジョンは隣の部屋を指差した。――刹那とシャーロットは服を身に着けた。シャーロットはオレンジ色のワンピースを着てにこっと笑った。
(可愛い……)
子供が苦手な人間でも、シャーロットの愛らしさには敵わないだろうと刹那は思った。しかも、刹那は子供好きである。
「せつなさん、じろじろみないで……はずかしいの……」
「刹那はシャーロットがあんまり可愛いから見惚れてたんだよ。な、刹那」
アンドレイの言葉は刹那にも恥ずかしかったが、その通りだったのでこくんと頷いた。
「やーん」
シャーロットはソーマの陰に隠れた。
「あらあら」
ソーマは幼女の頭を撫でた。
「子供がいたらこんな感じかしら」
「もう母性愛に目覚めたのかい? ソーマ」
「あら、可愛い娘を可愛いと感じるのは当たり前のことでしょう? アンドレイ。エンマさんが羨ましいわ」
「ソーマおねえちゃんもあたしのママね」
「あら、ありがとう」
ソーマの笑顔には、何だか崇高なものが混じっていた。母性愛――そうかもしれない。ソーマもいい母親になるだろう。
刹那はアニューのことを思い出していた。
頭の頂から足の先まで『聖女』という名のエッセンスが凝縮された美しい女。子供を護り、育む為に生まれた存在。アニューはライルの恋人だが、時々、彼女がライルの母親に見える時がある。ライルにとって彼女は聖母に等しい存在だろう。
(アニューとソーマは……似ている)
外見だけなら、リヴァイヴという男の方がアニューに似ていたが……リヴァイヴを初め見た時、アニューの双子の兄か何かかと思ったことも思い返していた。
ソーマには好きな人がいるんだろうか。
いたとしても何ら不思議はない。だが、刹那はソーマのプライバシーを尊重して、今はソーマの心を読むことをしなかった。
――四人が外に出ようとすると茶色の髪をひっつめにした美女が戸口に立っていた。イノベイターには美男美女が多い。刹那は自覚していなかったが、彼もなかなかの美男子である。ニールは言うまでもない。
「ジーナさーん。おそとにでたいの。あけて」
ジーナと呼ばれた美しい女性は、はんなりと笑って答えた。
「シャーロット。もう私達は自由に外へ出ていいのよ」
「あ、そうでした」
ここは裏口か何かだろうか、と刹那は思った。刹那がリボンズに招かれてこの建物内に入ってきた時には、それなりのセキュリティ・システムがあったように思う。
だが、刹那はどうでもいいことだと簡単に片づけてしまった。
「あたしたちはじゆうなの」
シャーロットが言った。
「オールドマンさんもね、もっとイノベイターをじゆうにしてあげたいといってるの」
「そうか――」
刹那は答えてから頷いた。
「いまはシロツメクサがきれいよ。あたし、ジーナさんにおはなのかんむりのつくりかたおしえてもらったの」
「それはよかったわね」
「うん! ソーマおねえちゃんにもつくってあげるね。せつなおにいちゃんと、アンドレイおにいちゃんにもよ」
刹那とアンドレイは顔を見合わせて苦笑した。ソーマはともかく、刹那とアンドレイに花冠は似合いそうにない。
「ところでせつなおにいちゃん。そのペンダント、いったいだれからもらったの? だいじなものなんでしょ?」
「え?」
シャーロットのあけすけで突然な質問に刹那はどぎまぎした。さっきはシャーロットも刹那にどぎまぎしたからあいこだと思ったが。――彼女は本当はさっきから訪ねたくてうずうずしていたのに違いない。やっと刹那に慣れた幼女は知りたかったことを質問したのだ。内緒で心を読むという不作法はせずに。やはり、あの上品そうなエンマの教育の賜物だろうか、と刹那は思った。確か、セリ・オールドマンも人の心を読むことを遠回しに窘めてはいなかったか。見知らぬ者に心を読まれて嬉しい人間などいないのだから。刹那には、何故イノベイターが迫害されるのか自ずとわかってきたような気がしていた。みんながみんな、シャーロットみたいなイノベイターだとは限らないのだ。
刹那はぶら下げていたペンダントを手に取った。
「――これか」
「うん。とってもきれい」
「これは……恋人からもらったんだ」
「こいびとぉ?!」
シャーロットは目を輝かせた。女の子はこんなに小さくても恋の話が大好きらしい。刹那はまた苦笑した。
「せつなおにいちゃんには、こんなすてきなペンダントをプレゼントしてくれるこいびとがいるんだぁ」
「そうだよ」
ニール――そうだよな。俺達は恋人だよな。刹那がニールの心の中に呼びかける。
「まぁ、もらったのはこの指輪で、落ちないようにペンダントに仕立ててもらったんだがな」
「いいなぁ。あたしもこいしてみたい」
シャーロットがうっとりと刹那を眺めた。シャーロットにとっては、刹那は『恋』という未知のものを知っている勇者のように映るのだろう。刹那は恋人の為なら何でもする。そう信じているのがありありとわかった。
そして、刹那はその通りだと思った。俺は刹那を護る――ニールがかつてそう言ったように、俺も、ニールを護る。
ニールの姿が窓から垣間見えた。ニールが手を振る。刹那が応える。
シャーロットは、「あのひとね、あのひとね」と刹那の手を引っ張った。刹那は答えの代りにシャーロットを見て口の端をほんの少し上げる。彼の目は穏やかだった。
2015.4.24
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