ニールの明日

第百六十四話

(脱走か――そう言うと思って俺達はセリ・オールドマンに掛け合って車でアロウズ本部に向かう途中だ。もうすぐ着く)
 刹那が脳量子波でそう伝えると、ニールはふるふると体を震わせた。そして叫んだ。
「刹那・F・セイエイ! お前は天才だ!」
(お前の考えそうなことを読んだだけなのだが――)
(ほう、刹那は俺の未来の心も読めるのか)
(少しだけだが)
「ニール、ニール」
 ビリーの声がした。
「あ、すまん。どうした、ビリー」
「少しは周りの状況に目を配り給え。今の君はどこからどう見てもおかしな人間だぞ。目の焦点だって合ってなかったし、急に大声出したりして」
「そ……そうか?」
「今、イノベイターと話してたのか?」
「あ、ああ……刹那とだ」
「ふぅん。まぁ、どっちにしろ気をつけ給え。この世にはまだイノベイターより人間の方が多いんだからね」
 俺達はマイノリティという訳か――ニールは思った。自分は人間だと思っていたのだがなぁ。
「ビリー。イノベイターと言っても人間とそう変わらんぞ」
「そうかね。まぁ、僕もあまりイノベイターのことについては詳しくないからね」
 ビリーはコーヒーをカップに注ぐ。
「セリ・オールドマン氏は僕を煙に巻いて肝心なところは教えてくれないし。さて、どうしたもんかな」
 ビリーはコーヒーをこくん、と飲む。
「ビリー……」
「いいんだよ。君達が何を企もうと、僕には関係ない――というか、いずれ何とかなるんだから。まぁ、今、僕は君達の邪魔はしない。協力もしないがね」
「いろいろ言いたいことはあるが、これだけは伝えておきたい。ありがとう、ビリー」
「なに。君がいい人だったってだけの話さ、ニール。僕は何にもできないが、君と別れの握手くらいはできるぞ」
「ああ」
 ビリー・カタギリとニールはがしっと手を握った。
「また会えるといいな」
「そうだな」
(ニール、着いたぞ)
 刹那の声。
(Aポイントで落ち合おう)
 そして、建物のイメージがわっとニールの頭の中に広がった。
 Aポイントの位置が矢印で差されている。そこは赤く光っていた。
(ティエリアもアレルヤも一緒だ)
(わかった。俺もそこへ行こう。今、ビリーの部屋だからな)
(知ってる)
「じゃあな、ビリー・カタギリ」
 ニールはひらひらと手を振りながら出て行った。

 Aポイントと言ったな――。
 ニールは急いでいた。談笑しながら通り過ぎるアロウズの軍人がいる。自分とは何と縁遠い人達だろう。
(ニール、ティエリアが話したいって)
(――え)
 ニールは少し困惑した。ティエリアの暗黒を垣間見た時以来、軽いトラウマに陥っていたのだ。ティエリア自体は好きだし、大事な戦友だと思っている。だが、あの暗黒に近付くのは――。
(あの暗黒の持ち主がティエリアでなかったなら、関わるのはごめんだと思っていたろうな――)
(そう思うなら今後人の心を読む時にはもう少し慎重になることだな。ニール・ディランディ)
 ティエリアの美声がニールの脳内で響いた。まるでハンドベルのように。
(ティエリア!)
(大丈夫。僕も自分の根幹は無闇に見せたりしない。君だから――君を信じたから見せたんだ。ニール)
(そうだよ、ニール。そして、僕も君を信じている)
 今度はアレルヤの優しい声。まるで天国にいるみたいだ――。
「どうした? ニール。ぼうっとして」
 アンドレイ・スミルノフが声をかけてきた。
「ああ、いや、何でもないんだ。お前だってあるだろ? 訳もなくぼーっとしてしまうこと」
「そうだな。流石に任務中は目の前のことに集中しているが」
 アンドレイが訝し気に首を傾げたが、やがて言った。
「君は、ルイス・ハレヴィ准尉のことを知っているだろう」
「ルイスか? 何でだ? 俺は昨日はビリーと話してばかりいたが――」
「マネキン大佐から訊いたんだ。ハレヴィ准尉をソレスタル・ビーイングに引き渡したと――ニール、ハレヴィ准尉を……ルイスを返してくれ!」
「返してくれってったって――」
(ニール、アンドレイの言っていることは本当の話だ)
 刹那の声がする。
(わぁってるよ。ルイスがCBにいるだろうということは。それに、アンドレイは嘘を吐くようなヤツじゃない)
「君もソレスタル・ビーイングだろう?! 君は何も知らないのかい?!」
 アンドレイに揺さぶられてニールは我に返った。ニールはまだ呆然としていた。
「し、知らない……俺は詳しいことは何も……」
「そうか……」
 ルイス・ハレヴィがCBにいる。彼女はアロウズの実験台であった。それ以上のことはビリーから聞いた事実に毛の生えたことぐらいしか知らない。ニールは嘘はついていない。だが、一瞬落胆したアンドレイが今度は怒りの彩りを表情に乗せた。
「お前は――ルイスと僕を会わせない気だな!」
 そこで、ニールは次のアンドレイの行動が読めた。
 ――エマージェンシー・コールを押す気だな!
 まさか、ニール達がここから脱出しようと考えているとは、今のアンドレイも知りはしないだろうが、(不味いことになったな――)とニールは思考した。
 こんな偶然に出会うとは思いもしなかった。
 やがて、錯乱したアンドレイによってコールボタンが押される。逃げなければ!
 ニールは駆け出した。
「待てっ!」
 ニールとアンドレイの追いかけっこが始まった。
 アンドレイもなかなか足が速いが、ニールにも体力と脚力がある。
 だが、アンドレイ以外の人間もこちらに気付く。
「その男を捕まえろ!」
 アンドレイが叫ぶ。ニールは懸命に走る。俺は――こんなところで捕まる訳にはいかないんだ!
 その時、にゅっと暗がりから手が出て――ニールを引っ張り込んだ。
「わぁっ!」
 男がニールの口元を手で押さえた。
(な……刹那!)
「ニール、無事で良かった」
 そう言うなり、刹那は体勢を立て直し、ニールの手を取ってそこを走り去る。オートマトンはアロウズ本部にはいないようだ。それだけでも有り難かった。
「それにしても何をやってるんだ! お前は――」
 刹那がニールを叱る。
「はっ、確かに今回は俺のドジだったぜ!」
 Aポイントは小型艇乗り場だった。
「アレルヤとティエリアは先に行った」
「はぁ……でも……足元の男達は?」
「アレルヤとティエリアの二人がやっつけた」
 刹那は事もなげに答えた。ニールは祈った。
「残念だったな、お前ら。恨むなら自分の運の無さを恨めよ……」
「ニール、小型艇を操縦したことは」
「小型艇よりお前を操縦していた方がいい」
 刹那がニールの尻を蹴った。
「もういい! 俺が運転する! ニール! 後ろに乗れ!」

2016.4.10

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