ニールの明日
第百六十二話
「ニール、朝だよ。起き給え」
ん――これは、誰の声?
あ、そうか。ビリー・カタギリと深夜遅くまで語り合っていたんだった……。ニール・ディランディはふわ~あ、と欠伸をした。
「今何時?」
「んーと……七時だよ」
「そっか――話に付き合ってくれてありがとよ」
「それはこっちの台詞だよ。ニール」
(起きたか? ニール)
刹那・F・セイエイもニール脳量子波で話しかける。
(ん、起きたよ。ビリーと話してたんだ)
(そうか――)
(ビリーはいいヤツだよ。過去のこと引き摺っていなかった。あ、本当は引き摺っているのかもしれないけれど)
(どっちなんだ。まぁいい)
(刹那――朝のキスができればな)
(できるぞ)
ニールの唇に柔らかい感触があった。へぇー、脳量子波って便利だな。ニールは思った。そのうち、体を交えずにセックスできるかもしれない。
イノベイターの存在が世に知られたら――大変だな、こりゃ。
リボンズもまた大胆な発言をしてくれたもんだ。自分がイノベイターなどと。
「ニール、どうしたんだい?」
「ああ……刹那と話していたんだ」
「脳量子波でかい? ――君達が羨ましいね。でも、イノベイターはイノベイターなりの苦労があるんだろうな」
ビリーの言葉にニールは神妙な顔をして頷いた。リボンズ・アルマーク機構でイノベイター達を実際にこの目で見たからだ。ニール自身もイノベイター化しているようだ。
リボンズ・アルマーク機構の子供達は皆明るかった。けれど――前の所長の時は? 人間不信の目をこちらに向けられたのではなかろうか。
それを思うとニールに怖気が走った。
ビリーは何も言わずドーナツを頬張り続ける。
「ドーナツばかり食ってては栄養が偏るぞ」
「グラハムみたいなこと言うんだね。大丈夫だよ。僕はドーナツとコーヒーで動いているんだ」
「でも、まともな食事もちゃんと食えよ。作ってやるからさ」
「ありがとう」
(ニール、俺の分は?)
聞いてたのか、刹那――。
(後でちゃんと作ってやるよ)
ニールの口元に笑みが浮かんだ。
(その時はアイリッシュ・シチューを頼む)
(はいはい、わかりました。――ビリーの朝飯作ってくるからな)
ボウルにレタスを淹れて水洗いをする。サラダに――パンかなぁ、やっぱり。具だくさんのサンドイッチにしよう。それなら簡単に作れる。で、後は――スープか。
朝の定番メニューが次々にできていく。
「ニール、器用だね」
「何だ。来てたのか。ビリー」
「僕だけだとドーナツで済ますからね。グラハムも朝食を時々作ってくれる」
あの男と同じか――。
「ははっ、嫌そうな顔をしている」
「あの男は刹那を巡ってのライバルだからな」
だが、ニールの方が圧倒的に有利だ。刹那はニールが好きなのだから。これは何もニールの自惚ればかりではない。自惚れといえば、グラハムも自惚れが強そうだ。
(なぁに、負けるもんか)
スープのいい匂いが漂う。食材はあるのに料理しないなんて宝の持ち腐れだ。
「ビリー。アンタ、自炊はするのか?」
「僕だって料理くらいはするよ。リーサ……スメラギと一緒に住んでいた頃は僕が食事を作っていた」
そう言えば、スメラギはあまり料理などしそうにない。
「でも、ドーナツばかり食ってたらちゃんとした食物が腐ってしまうぜ。ついでに己の体もな」
「肝に銘じておきます」
そう言ってビリーは笑った。
「いただきます」
ビリーが席に着いて手を合わせた。食前の主の祈りはしない。彼らはそんな習慣をとうの昔にやめていた。
「旨い。僕より上手だ」
「そりゃどうも」
「もしかしたらグラハムより上手いかもね」
「俺なんかよりアレルヤの方が料理は上手い」
「アレルヤ? アレルヤ・ハプティズムのことかい?」
「ああ。俺の――仲間だ」
「何か――悪かったね。うちのリボンズが」
え? 何でこの男が謝るんだろう。ニールが首を傾げていると――
「君達はアロウズの人質だ」
「知ってる」
「ダブルオーライザーもCBに還った――何だかリボンズが何かしでかしそうで僕は怖いよ」
ニールがごくんとレタスを飲み込んだ。
「それでもさ――前に進むしかないだろう?」
「違いない。何か君には慰められたよ。ニール、君は強いね」
「そんなことない。俺は弱い。弱いからこそ虚勢を張ってるんだ」
「――強いよ。虚勢を張れるだけ」
ビリーは呟いてコーヒーを流し込んだ。
「こんにちはー。皆さんのアイドル、ヒリング・ケアがやって来ましたー」
ビリーはコーヒーを噴き出した。
「ビリー?」
「僕はあの子はどうも苦手だ」
ビリーが小声で言ったのに対しニールも吹き出しかけたが、どうもそれどころではなさそうだ。それにしても、ヒリングの口調が初対面の時と違う。こっちが素なのだろうか。
「何しに来た? 朝食くらいゆっくり食わせてくれ」
「そんなゆとりはないのよ。ニール・ディランディ」
ヒリングの瞳がきらりと光った。
「GN粒子がアンタの体にどう作用しているのかじーっくり調べてあげますからね」
「ヒリング……リボンズは拷問は許してなかったんじゃないかい?」
ビリーが尋ねる。
「リボンズはねぇ……アンタのやり方に焦れて、ニールの身柄をあたしに譲り渡したって訳。でも、まだチャンスはあげるわ。ニール、アンタ達の秘密をアロウズに明け渡すこと!」
どうすればいい。ニールはCBの人間だ。それに、リボンズも目の前のヒリングも信用できない。
「嫌だと言ったら?」
「言うこと聞くまでたーっぷり可愛がってあげる」
ヒリングの表情が凶暴なものになった。
「ま、時間はあげる。二十四時間以内ね」
ヒリングは出て行った。
「全く――楽しかるべき朝食の時間を彼に邪魔されて――」
「彼? あいつは女じゃないのか?」
「ここだけの話――彼は中性なんだ」
ビリーが小声でそっと教えてくれた。ヒリング――彼もまた、選ばれし者なのかもしれない。
「二十四時間以内か――」
ニールは何かを考え込んでいた。そして――やがて脳量子波で刹那に呼びかけた。
(刹那、アレルヤとティエリアに連絡は取れるか?)
(取れるが――どうした?)
(俺達は――ここを脱出する!)
ニールが断固とした決意を表した。
2016.3.19
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