ニールの明日

第百六十七話

「ここにいたのか。探したぞ。ニール、刹那。トリニティ兄妹も来てくれ」
 イアン・ヴァスティが言った。
「勝手に入って来ないでよ。おじさん」
 ネーナが綺麗な眉を顰めた。
「済まない、ネーナ。俺が入れた」
 ヨハンが謝る。
「あっそ。ヨハン兄がしたことだったらいいや。ところでおじさん、何か用?」
「それをブリーフィング・ルームで話す。今、お嬢様が来てるからな」
「王留美が?」
 刹那が訊く。――そうか。お嬢様、ちゃんと帰って来れたのか。良かった。ニールは安堵した。
「お嬢様がここに来たのはついさっきだけど――皆に大事な話があるって」
 イアンの顔つきも厳しい。
「ついに戦争か? わくわくすんねぇ。このところ体がなまってたからな」
 ミハエルが楽しそうに言う。イアンは無言だった。
「行ってみるしかなさそうだな」
 ヨハンがぽつりと呟いた。ニールが微かに頷いた。
「行こう、刹那」
 ニールが刹那の手を引っ張った。大丈夫。これは刹那・F・セイエイだ。触った感触もちゃんとある。もし何かがあったり、或いは年を取って肉体が滅びても、俺は刹那を愛している。
(ありがとう、ニール)
(何だ、刹那。聞いてたのか)
(勝手に思念が飛んで来たんだ。――でも、ありがとう)
(止せやい、照れるぜ)
 ニールの頬が熱くなる。
「ねぇ、ヨハン兄、ミハ兄――ホモも悪くないわね」
 ネーナの言葉に、
「おいおい、ネーナ。お前まであいつらに感化されたのか? 冗談こくなよ」
 と、ミハエルが困ったように茶々を入れる。
「いや、性別がどうあれ、愛し合うことはいいことだ」
 ヨハンが言い切る。
「お前ら――まだ、そんな軽口を叩く余裕があるのか」
「俺は軽口のつもりではなかったんだがな……」
 と、ヨハン。
 ――ニールは何も答えなかった。ヨハンの言う通りだと同感はしても。
 ブリーフィングルームにはトレミーの乗組員達が集まっていた。
「お帰りなさい。ニール、刹那」
 そう言ったのは、トレミーの戦術予報士、スメラギ・李・ノリエガであった。どことなく憔悴したような顔をしている。憂いを帯びた顔をしている。
「んな心配そうな顔すんなよ。綺麗な顔が台無しだぜ」
「でも――ここまで来るともう、悪いことしか想像できなくて」
「俺達が帰って来たのは悪いことか?」
「ニール!」
 刹那の叱咤の声が飛んだ。
「いえ。あなた達が帰って来てくれたのは嬉しいわ。でも――」
「ニール、その辺にしておいてくれ」
 アレルヤ・ハプティズムが言った。
「おう――少しはこの場の空気を和ませてやりたくて――けど、失敗したな」
「お前にはジョークのセンスがない」
 刹那にまで断言されてしまったニールであった。
 扉が開いてティエリアが、
「済まない、待たせたな」
 と、短く告げた。
「ティエリア――俺達を迎えに来てくれてありがとう」
「俺からも、ありがとう」
 刹那とニールが言うと、ティエリアも首肯した。
「君達が無事で良かった」
 ティエリアが滅多に見せない、心からの笑みを浮かべた。こんな風に寛いだティエリアを見るのは、アレルヤ以外には数少ないだろう。
「兄さん」
「おう、ライル」
 ニールの双子の弟、ライル・ディランディが近づいた。ニールが喜んで手を挙げた。ニールにはライルに報告したいことがあったのだが――後ですることにした。
「皆さん、お集まりいただいてありがとうございます」
 グレンと紅龍を従えて、王留美が言った。CBの当主に相応しい、堂々とした態度であった。
「アレルヤにティエリア、ニールと刹那が帰って来たことで、CBにはアロウズに対して弱味というものがなくなりました」
 王留美の言葉に何人かは頷く。
「でも――アロウズがこのまま引き下がるとは思えません。私達は三人だけで話し合いましたが。結論は出ませんでした。そこで――皆さんに訊きます。あなた方は、アロウズと戦争することに賛成ですか?」
「賛成賛成」
 ミハエル・トリニティが嬉しそうに手を叩く。
「体が疼いちゃうわね!」
 ネーナも期待しているようだ。
「俺は反対だ」
「待ってよ。ヨハン兄」
「何が不満なんだよ。兄貴」
「俺達は戦争屋じゃない。ミハエル、ネーナ。お前達にはもっときつく対応するべきだったと反省している」
「今までやって来たこととそう変わんないじゃない」
 文句を言いながらも、ネーナは引き下がった。
「俺も反対だ」
 今度はリヒティ――リヒテンダール・ツェーリが答えた。
「リヒティ……」
 クリスティナ・シエラが夫のリヒティに寄り添った。
「俺達にはリヒターもいる」
「――そうね。リヒターに人殺しは教えたくないわ」
 リヒティもクリスも、息子が可愛くて仕方ないようだった。だからこそ、残酷なことは教えたくない。
「私もクリスの言う通りだと思う」
 フェルト・グレイスが言った。フェルトは今もクリスの無二の親友である。
「私も――リヒターに戦って欲しくない。あの小さな手は、平和を作り出す為の手――」
「じゃあ、イオリア・シュヘンベルクの理念はどうなる」
 ニールが口を挟んだ。
「だから、これからどうしようかと――」
 リヒティが途中で詰まった。自分の考えをできるだけ穏当に表そうとしているのだろうけれど。
「でも――確かに無駄な戦いはしたくないな、俺も」
 ニールの言葉に、リヒティが明らかにほっとしたような顔になった。
 ビリー・カタギリにソーマ・ピーリス。それから、不幸な物別れをしてしまったアンドレイ・スミルノフ。
 アンドレイも思い込みは激しそうだが悪い男ではない。けれど、戦争になったら殺し合いになるかもしれない。アンドレイは今でも、ニールにとっては大事な友達であった。友人として付き合った時間は短くとも。
 それに、ああ――。
(刹那を傷つけたくない)
 心も、体も傷つけたくない。ニールは思った。――刹那を守る。どんな手を使ってでも。自分はきっと、その為だけに生まれて来た。
 さっきはああ言ったが、ニールにはイオリア・シュヘンベルグの理念より、刹那・F・セイエイと言う、愛する青年の方が大事である。
 刹那の意志が、自分の意志だ。
「俺は――アロウズはこの辺でやっつけておく必要があると思う」
 ライルが申し述べる。ニールにはアロウズにも仲間がいるが、ライルはそうではない。ライルにとっては、アロウズは罰すべき敵なのだろう。しかし、アロウズにはまだニキータもいる。ニールの勘が正しければ、まだ彼女は父であり恋人であるアリーと共にいるはずだ。
「僕は――反対だ」
 沙慈・クロスロードが辛そうにそう表明した。

2016.5.10

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