ニールの明日

第百六十一話

「ルイス……」
 沙慈はルイスの髪を梳いてやった。
「良かった、本当に……」
 まだ問題は山積している。それがわからない沙慈ではない。けれど、今は幸せに浸っていたい。
 あれ? でも、そういえば、ルイスは左腕を失ったはずでは……。ということは――。
 義手……?
 沙慈はルイスの左手を露わにした。その精巧な義手の薬指には――
「指輪!」
 沙慈が贈った婚約指輪が嵌められていた。
「ルイス、ルイス……」
「なぁに、沙慈……」
 ちょっと舌っ足らずなルイスの声。
「あ、ごめん、起きちゃった?」
「――いいの。それより見たのね。これ」
「……僕は嬉しいよ、ルイス!」
 起きたルイスに口づけをする沙慈。
 バサバサバサッ。
 柔らかい物が落ちた音。
 ピンク色の髪の少女――フェルト・グレイスが立っていた。
「あ、ごめんなさい……」
 フェルトが落としたタオルを拾い始めた。沙慈が歩み寄る。
「手伝うよ」
「ありがとう」
 フェルトがにっこり笑った。ルイスの視線が突き刺さってくるような気が沙慈にはした。
「沙慈、ルイスが起きてるならルイスの体拭くから、ちょっと外へ出てて。あ、あの――ルイス、でいいですよね?」
「いいです」
 ルイスもさっきの悋気も忘れたように微笑んだ。
「あ、ご、ごめん……」
 沙慈は赤くなって外へ出た。ルイスにくすりと笑われたような気がした。

「ルイス、どう? 気分は」
 フェルトに体を拭いてあげているフェルトが訊いた。
「いい……です」
「良かった。カプセルにいる間は下手に動かせないもの」
「沙慈は……ずっとCBにいたの?」
「――ずっとじゃないわ」
「そう……」
「彼が来たのは最近ね。彼が来てからトレミーも随分変わった」
「どんな風に?」
「明るくなったわね。今はトリニティ・チームも加わっているけど」
 トリニティ・チーム。その名前を聞いた時、ルイスはざわりと背筋を悪寒が走るのがわかった。
 それを誤魔化すかのように。
「沙慈は……新しい恋人いたりしない? ミレイナもアニューもいい女だし、フェルトもいい女だから――不安になってしまうわ」
「ありがとう。でも、アニューはライルの恋人だし、ミレイナはお父さんが煩いし」
「ミレイナはお父さんに愛されているのね。いいわね。そういうの。そして――アニューはライルの恋人なのね。お似合いだものね。あの二人」
「あら。ルイスもそう思った?」
「うん。思った。フェルトは――好きな人いるの?」
「――いるわ。叶わない恋だけど」
「叶わない恋?」
「私、刹那とニールが好きなの。けれど、あの二人は好き合っているから――」
「まぁ……」
 刹那とニールも確か男同士だ。でも、どちらもとびっきりのハンサムだ。
「あの二人には――割って入ることはできないの。あの二人は運命の恋人同士だから」
「…………」
 ルイスは言葉を失った。
 ……沙慈はルイスを見ている。そんなルイスは幸せなのかもしれない。――昔は自分より他に不幸な人間はいないと思っていたけれど。
「気にしないで。私は恋より仕事の方が楽しいの。――クリスのことは羨ましいけど」
「クリス?」
「クリスティナ・シエラ。私の親友でリヒターの母親なの。クリスは自慢の親友」
 そう言ったフェルトはどこか誇らしげだった。小さめの唇の口角が上がる。
「クリス達にはそのうち会えると思うけど――それよりもまず休まなくてはね」
 そういえば、まだ体がだるい。アロウズに行ってから体調が優れているということはまずなかったが。
 今は――気分がいい。
 フェルトのおかげだろうか。彼女には人の心を和ませる何かがあった。
(クリスにもきっと――フェルトは自慢の親友だわ)
 ルイスにはそれがわかる。女性同士の友情なんてルイスにはわからない。昔は女の子の友達もいたけれど、本当の友情というものはわからなかったような気がする。皆、どこか張り合っていた。
 ルイスにはフェルトのような親友はいない。
「……いいな」
「何が?」
 フェルトがルイスの体を優しく拭き続ける。
「クリスさんにはフェルトのような親友がいて」
「あら。――ルイスだって私の親友よ。もし、ルイスが嫌でなければだけど」
「フェルト!」
 ルイスはフェルトに抱き着いてわんわん泣き出した。昔のルイスに戻ったように――。
 フェルトは何も言わず、ぽんぽんとルイスの背中を叩いた。
(辛かった、辛かったんだよぉ……!)
 アロウズに行ってからのルイスはいつも気を張っていた。ガンダムにいつか復讐しようと――。でも、復讐をしようとしていたルイスの心の中は空洞だった。復讐なんて――下らない。
 それよりもフェルトみたいな友達ができた方が嬉しい。
「フェルト……あのね、私、わがままよ」
「お金持ちのお嬢様だったのでしょう? お嬢様はわがままなもの」
「フェルト……ありがとう」
「でも、今のルイスはわがままって感じはしないけど」
「だって――いろいろなことを経験したもの」
 本当にいろいろなこと――人殺しもやった。
「私、殺しもやったのよ」
「でも、本当は殺したくなかったんでしょう?」
「うん……」
 ルイスが殺した人間にも家族や恋人や友人がいる。それをルイスは改めて理解した。
「あなたは沙慈の彼女だから――優しい人だと思うわ」
 沙慈は相変わらずかしら――ルイスは思った。
「私は……殺したくなかった……」
 ぽたり。涙の滴が手の甲に落ちた。
「あのね、ルイス……CBは楽園ではないの。いろんなことが待ち構えていると思うわ。この先にも――でも、その涙を忘れないで」
「あ……うん」
 ルイスは涙を人差し指で拭った。
「綺麗な涙ね」
「え……?」
「私、早く平和な世界が来るといいと思ってるわ。クリスやミレイナや――そしてあなたが笑って暮らせる世界が。それをね、天国のお父さんやお母さんに誓っているの」
 自分は失ったものばかり数えて、仇を討つことばかり考えていたのに、フェルトは残された者の幸福を考えている。ルイスは思った。フェルトには敵わない。でも、せめてこれだけは伝えようと言葉を紡いだ。
「あのね、フェルト――私も何かあなた達の為にできること、ないかしら……?」

2016.3.9

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