ニールの明日

第百六十話

「ということは、ハプティズムさんもアーデさんもアロウズの人質になったのですか?」
 ミレイナの言葉にイアンは不承不承頷いた。
「そんなのってないですぅ」
 ミレイナが泣きそうな顔で言った。優しい娘なのだ。
「畜生! アロウズのヤツら!」
 ライルはゴミ箱をガンと蹴飛ばした。中身の紙ゴミが散らばった。
「ライル、物に当たらないで。足も痛めるし散らかるわ」
 彼を気にするアニューも憂い顔だ。ライルの気持ちがわかるのだろう。アニューはライルの肩に手を置いた。ライルの息が荒い。彼は黙ってしまった。
「…………」
「――お嬢様が……王留美が俺に謝った。ガンダムマイスターのことについて」
「当たり前だろう?」
 ライルの言葉にイアンは静かに首を横に振る。
「それが当り前じゃなかったんだ。――今まではな。王留美はもっと傲慢なお嬢様だと思っていたけど……変わったんだろうな。きっと。グレンのおかげかもな」
 沙慈にはグレンがどんな男かよくは知らなかったが、王留美がいい方に変わったのだとすれば、良かったな、と思った。
「あっ」
 カプセルを覗き込んだ沙慈が言った。
「今度は何だ?」
 ライルの声がする。
「ルイスの瞼が……動いた」
「何だって?!」
 ライルは驚愕したようだ。
 ルイスの瞼がぴくぴくと痙攣した。ルイスが――目覚めようとしている。
「ルイス!」
 沙慈が呼びかけた。
「沙慈、少し下がってくれないかしら」
 ――アニューが静かに言う。そして、カプセルを開ける。カプセルの蓋が開いた後、アニューが少々遠ざかると沙慈がルイスに近寄った。ルイスが目を覚ました!
「ルイス!」
 もう一度、沙慈が叫んだ。
「沙慈……?」
 ルイス・ハレヴィの目の焦点が合ってきた。
「そうだよ、僕だよ、沙慈・クロスロードだよ」
「あ、私……」
 ルイスの目の縁に涙が盛り上がってくる。
「沙慈……どうして助けたの? 私なんかを――」
「馬鹿っ!」
 沙慈がルイスの頬を張った。これには一同驚いたらしい。イアンが毒気を抜かれたように言う。
「沙慈……お前が女を殴るなんてな」
「あ、ごめん。ルイス……痛かったよね」
「ううん。私が聞き分けのないことを言うから……だよね?」
「まぁ、そうなんだけど……手を上げるつもりはなかったんだ」
「いいの。間違った時は殴られても仕方がない。それに、沙慈は手加減してくれたし」
 イアンが笑った。沙慈はついイアンの方を見遣った。
 見直したぜ。沙慈。その目はそう言っているようだった。
「そう皆……皆君のことを心配してたんだよ。皆、ルイスの為にいろいろ動いてくれたんだ」
「私の為に……ごめんなさい。そしてありがとうございます。でも、私はアロウズに……」
「関係ない! 君は今日からCBだ」
「CB……ソレスタル・ビーイング?」
「そう」
「でも、私はあれがないと――」
「あれって?」
「ナノマシン剤」
「それは……」
「いつも持ち歩いているけど……これがなくなったら私は終わりだから……」
「ルイスさん――ルイスでいい?」
 アニューが優しく声をかける。
「あなたは……?」
「アニュー・リターナーよ。ナノマシン剤を見せてくれる?」
「はい……」
 ルイスは薬をポケットから取り出した。
「これね。なるほど……これからは私が調合するわね」
「え……?」
「アニューは薬にも詳しいんだ。ただ美人であるだけでなく、さ」
 ライルが割り込んだ。
「でも、ちょっと時間をくれない? ひとつあれば充分だから」
「はい……」
 ルイスは素直に答えた。アニューは残りの薬を返した。ルイスは何が起こったかわからないがすっかり気落ちしているようである。沙慈の知っているルイスはもっと明るい娘だったのに――。
「ルイスさん、自己紹介します。私はミレイナ・ヴァスティですぅ」
「ミレイナ――さん?」
「はいですぅ。ミレイナと呼んでください」
 ミレイナにはその場を和ませる不思議な力がある。イアンも少々苦笑した。まさか、こんなにミレイナがしっかりしてきていたとは思わなかったからだろう。
「ほら、パパもライルさんも自己紹介するですぅ」
「わかった――俺はイアン・ヴァスティ。MSの技師で、ミレイナの父親だ」
「ミレイナの?」
 ルイスはイアンとミレイナを見比べた。
「似てない……ですね」
「そうかぁ? 顔がいいところなんかそっくりだと思うけどなぁ」
「ミレイナはママ似なんですぅ」
 ミレイナが口を尖らせると、イアンは、
「くそっ!」
 と独り言ちて髪を掻き上げた。アニューがくすくす笑う。
「ライル・ディランディだ。宜しく。ダブルオーの操縦士、ニール・ディランディの弟だ。兄さんとは双子で、よく間違われる。まぁ、俺の方がいい男だけど」
「お前ら、ニールが眼帯外したら同じ顔じゃねぇか」
 イアンが茶々を入れる。ルイスの顔に微かな笑みが点った。
「宜しくお願いします」
「――ルイスはいい子だな。沙慈」
「ええ」
「ハレヴィさん、ミレイナがついてるですぅ」
「――はい。親切にどうもありがとう」
「えへへ」
 ミレイナが照れ笑いをした。
「沙慈がな、ずっとルイスについててくれてたんだよ。俺はここから離れていた時もあるけど――多分ずっとアンタの傍にいたんだと思う」
「イアンさん!」
 沙慈がムキになって叫んだ。イアンがにんまりと笑った。
「青春だよなぁ」
「沙慈……こんな風にまた会えるなんて夢にも思わなかったけど……」
 ルイスが起き上がって沙慈の頬に手を当てた。沙慈もその上から手を重ねる。
「沙慈、男らしくなったみたいよ……」
「そ、そうかな」
「だって、以前なら私の頬をはたいたりしなかったでしょ? 頼り甲斐のある男に……成長したね」
 イアン達はいつの間にかいなくなっていた。二人きりにさせてくれたらしい。沙慈はルイスが眠りに着くまで傍にいた。

2016.2.27

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