ニールの明日

第百二十八話

「――と、その前に君達の服を用意させてもらいたいんだが」
 リボンズがそう言った。
「この服じゃダメなのかい?」
 刹那とニールはソレスタル・ビーイングの制服を着ている。ニールは自分の服の襟元をつまんだ。
「駄目とは言っていない。だが、もっとパーティーに相応しい恰好をしてもらいたいんだよ」
「――わかったよ」
「幸い、贔屓にしている店がこの近くにあるから。ホーマー・カタギリ邸でスーツを見繕ってもいいんだけど」
「俺はどっちでもいいぜ」
「俺もだ」
「決まった」
 リボンズはパキン、と指を鳴らし、運転手に店名を告げた。
「承知しました」
 と、運転手から答えが返ってきた。

 ホーマー・カタギリ邸――。
 そこには、着飾った多くの人々が談笑していた。
「このスーツはどうにも窮屈だな」
「似合ってるぞ。ニール」
「そうか?」
 刹那に褒められ、ニールは相好を崩す。刹那は今もニールからもらった指輪で作ったペンダントをしている。
「どうぞ」
 ニールはシャンパンを勧められた。刹那もシャンパングラスを受け取る。綺麗に気泡が立っていた。
 二人はグラスをチン、と合わせた。
(まさか、毒入りじゃないだろうな)
(考え過ぎじゃないのか? せっかくだから楽しもうぜ。刹那)
 傍からは、二人で微笑み合っているようにしか見えないに違いない。だが、刹那とニールは心の中でそんな会話を交わしていたのだ。
「ニール、刹那」
 涼やかな女の声がした。まさか、と思いながらニールは後ろを振り向いた。
「お嬢様! 紅龍!」
「貴方がたもホーマー・カタギリのパーティーに出席なさってるとは思わなかったわ」
「リボンズに連れられてな――」
 ニールは仕方なさそうに頭を掻いた。
「私もホーマー・カタギリに招待されたんですの。何考えているのかわからないけれど――リボンズ・アルマーク!」
「やぁ。王留美」
「私達の知り合いをとても可愛がってくださったわね」
「貴女が僕達と敵対するのをやめれば、僕も貴女がたを傷つけずに済むのですがね」
「まぁ――仕掛けたのはそちらのくせに」
 王留美は笑った。
(ニール。気をつけろ。王留美、目が笑ってない)
(だろうよ――なんつったって、敵同士だもんな)
(いや……王留美は、事が上手く運べばアロウズと和平条約を結ぼうと考えている)
(アロウズとか!)
(――ああ)
(お嬢様――俺達を裏切るつもりか?)
(多分……そういうわけではないと思う……)
(カタロンを裏切ることにもなるだろ? グレンだって……)
(――簡単には行かないだろうな。けれど、平和への道を王留美は選んだ)
 ニールは王留美とリボンズの方を見遣った。彼女達はにこやかに話しているように見える。
 リボンズはシャンパングラスを二人分取ると、片方を王留美に渡した。
「王留美。貴女の美貌に。乾杯」
「美貌はいつかは萎むものよ。――乾杯」
 グラスの合わさる快い音が響いた。紅龍は相変わらず王留美の傍に控えている。
「君も飲むかい?」
 リボンズは紅龍にもシャンパンを勧める。紅龍は断った。紅龍も酒は強いらしいが、今は仕事中だと戒めているらしい。
 交響楽団が音楽を奏でている。華やかな男女が見事にダンスのステップを踏む。
「踊ろう。刹那」
「王留美とリボンズは――」
「俺はあいつらほっとくことにした。大丈夫。お嬢様達なら何とかしてくれるさ」
「ニール、あ――」
 ニールはバランスを崩した刹那を抱き止めた。ニールのリードで刹那が舞う。ほうっと、女性陣が溜息をついた。美青年同士のワルツである。音楽と笑いさんざめく声で多少の音は掻き消えてしまう。
「ニール――」
「ん? 離して欲しいか?」
「いいや、ただ――」
「刹那。お前、ダンス上手いな」
「アリーの組織にいた時――上層階級の男を暗殺する時にダンスのひとつもできなくちゃ、ターゲットに近付けないからな」
「そうか――夜のダンスも上手いぞ。刹那。それもアリーに習ったのか?」
 ニールが耳元で囁く。刹那がどん、とニールを突き飛ばす。
「おい、どうした? 刹那――刹那!」
 ニールは刹那を追ってバルコニーへ出た。
「悪かった。つい、冗談が口を出た」
「ニール……アリーの名前は、お前からは聞きたくない。それも、あんな形では――」
「刹那……」
 刹那はアリーにそんなにも酷い目に合わされたのだろうか。ニールだって、嫉妬しないわけではない。むしろ、嫉妬しているからこそ――。
(――アリーが憎いからこそ、俺は、あんなことを言ったんだ。本当は、俺はアリーを殺してやりたい)
(ニール……)
 ニールは刹那を抱き締めた。
「落ち着いたか?」
「…………」
「刹那、ニール」
 アンドレイがやってきた。彼も正装をしている。
「アンドレイ――」
「刹那の様子が変だったんで、気になって来てみたんだ」
「ありがとう。でも、もう落ち着いたから――」
「そうか。みんな待ってる。彼らは男同士でも美しいものなら是非とも目の保養にしたいという人々ばかりだから――」
「戻ろう。刹那」
「ああ――」
 刹那はニールの手を取った。二人がホールに戻ったその時だった。
 ――大きな歓声が上がった。
 階段から、白い豪奢なドレスを着た赤毛の女が降りてきた。ニキータ!
「あいつ――あんなに綺麗になれる女だったのか!」
 刹那も息を飲んでいる。
 カタロンの基地にいた頃は、あんなに目立たなかったのに――醜いあひるの子が白鳥に化けたのだ。
 アリーが――髭を剃って装いを新たにしたアリーがニキータに近付いて肩を抱く。ニキータがアリーに笑いかける。美しい情景だ。ダンスホールの客達、特に若い男性達はうっとりと見つめていた。
「ニール。ニキータは、今までで一番生き生きしているな」
「そうだな――」
 カタロンにいた頃のニキータはどこか不幸そうだったな、と、ニールは思い返す。ニールは思い出の中の昔のニキータと今のニキータを比べていた。
「悔しいな――」
 刹那が呟いた。気持ちはわかる。アリーはニキータを幸せにした。たとえ、一瞬でも――。俺達では、あんな幸せそうな笑顔を彼女から引き出すことはできなかったんだ――。
「すみません、遅くなりました――」
 開いたドアから銀髪の女性が飛び込んできた。だが、皆の視線はニキータとアリーに向いている。その中で、ニールと刹那が闖入者に目を遣った。可愛い娘である。だが――ニールが注目したのはそんな理由からではなかった。

2015.3.25

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