ニールの明日
第百二話
「わぁ……!」
扉から出てきたティエリアの姿を見た時、皆が感嘆の声を上げた。刹那ですら黙って目を瞠るぐらいの――美女がそこに立っていた。
ルビーの瞳。長いバイオレットの髪。厚めのセクシーな紅い唇。上げ底の胸のイブニングドレス。しかし、上げ底とはわからないくらい自然であった。
「綺麗だよ。ティエリア」
「アレルヤ……」
ティエリアがアレルヤをぼうっとした様子で見ていたが、やがてそっぽを向いた。
「こんな服……もう一生着ないからな!」
「どうして? 綺麗なのに」
「アレルヤ、君が女装プレイを望んだとしても、俺は一生やらない!」
「え……? 女装プレイなんて、王留美さんの前で言っていいの?」
アレルヤ言うと、スメラギがくすくす笑い、王留美が怒ったように眉を吊り上げた。
「まぁまぁ、お嬢様。そんな怖い顔しなさんな。世の中には、こういう世界もあるんですよ」
ライルが冗談めかして言った。
「わかってますわ。わかってますけど……グレンなら絶対にそんなことは致しませんわ」
「どうだかねぇ……グレンも男だから」
「ん」
ニールもライルに加担し、刹那も頷いた。
「ま、グレンならお嬢様の他の人間には、男でも女でも見向きもしないんじゃねぇかな」
「もういいですわ。ニール。それにしても、ティエリアがこんなに女装が似合うとは思ってもみませんでしたわ。前から綺麗な顔だとは思ってましたけど」
「いいか。これは任務の為だからな。お遊びでやってるんじゃない」
「ひえー。口から出るのが男の声だと倒錯感が……」
ライルが自らの口元を押さえた。
「馬鹿を言ってるんじゃない。――これでいいか?」
今度出た声はソプラノのそれ。
「わー。完璧に女だわ。教官殿、今度はその声で優しく指導してくださいね」
「この馬鹿め! 調子に乗っているのなら貴様は万死に値する!」
ティエリアはどすの利いた声でライルに向かって叫んだ。
「うーん、やっぱりティエリアはどんな姿になっても素敵だなぁ」
アレルヤはやに下がる。ニールと刹那は何となくお互いを見遣った。
「おい、刹那。ティエリアがどんなに美人でも、俺だってお前一筋だからな」
「――わかってる」
刹那の頬に赤味が差したような気がした。
「行って来い、刹那」
ニールがどん、と刹那の肩をどやした。
「それから――死ぬなよ」
「言わずもがなだな」
いつもの浅黒い頬に戻った刹那は、にやっと口角を上げた。
「第一おまえに言われるまでもない」
リボンズ・アルマーク邸――。
シャンデリアの下の豪華な装いに身を包んだ紳士淑女が笑いさんざめく。
刹那はそっと客の様子を見ていた。彼は、ティエリアのお付きという名目で潜り込んだのだ。
ティエリアは数人の男性客に囲まれながら、華やかに艶然と笑っている。
(何だ、すっかり乗り気じゃないか……)
刹那は少々呆れている。例えそれが仕事上の笑顔であってもだ。
(まぁいい。こちらとしてもその方が仕事がしやすい)
その時、刹那は女に声をかけられた。
「あなた……刹那・F・セイエイですよね」
「――あなたは?」
「ルイスです。ルイス・ハレヴィ」
「――――!」
刹那は声を失った。ルイスがあまりにも面変わりしていたからである。
長い髪を下ろした、めくるめくようにわがままを沙慈にぶつけていた少女。あっけらかんと、「あんたが嫌い」と刹那に感情をぶつけた少女。
その明るさが、今や見る影もない。何か悪いものに取りつかれているようでもあった。
刹那が何と答えようか思案していると――。
「沙慈はどこ?」
と、頑是ない子供が親に甘えるように言った。そうすると、確かに昔の面影が出て来る。
「――ここじゃ何だ。外、出られるか?」
「――ええ」
「うー、刹那のヤツ、上手くやっているかなぁ」
ニールはトレミーの談話室をうろうろとうろつき回っている。
「兄さん……檻に入れられた熊みたいだな」
「うっせ!」
ニールがライルに向かって舌を出す。
「ニール……心配はわかるけど、刹那なら大丈夫だよ。もっと厳しい試練も耐えてきたんだよ。僕達は」
ニールは立ち止まり、アレルヤの方を向いて口笛を吹いた。
「――だな」
今まで刹那の心配ばかりをしていた男はひょいと肩を竦めた。アレルヤもティエリアを心配していないわけではないのに。
「何だか、慰められちまったな」
「――いえいえ」
「久しぶりだね。話すの」
アルマーク邸の噴水の近くのベンチに刹那とルイスが腰かけた。
「――そうだな」
「あたし――沙慈に会いたいの。でも、もう無理……」
「嘆くことはない。沙慈は元気でいる」
「本当? でも、そんなこと、どうしてあなたにわかるの?」
「――ただの辻占として聞いてくれ」
「……いい辻占ね」
さらさらと噴水の流れる音が聞こえる。二人は何となくぼんやりと互いを見合っていた。
傍から見れば仲の良いカップル同士。しかし、二人には別に意中の相手がいる。
刹那にはニールが。ルイスには沙慈が。
「ハレヴィ准尉」
たったっと青年が駆けてきた。
意志の強そうな力強い瞳が印象的である。刹那は、
(誰かに似ている……)
と、思った。
「アンドレイ」
ルイスは言った。
「心配しましたよ。急にいなくなるから」
「あ……あたしなんていなくても、パーティーはできるでしょ?」
「俺が寂しいんです」
(あけすけによくもまぁ……)
刹那だったからいいようなものの、他の――例えば、ルイスの本当の恋人が相手だったら――その男が気が強ければ喧嘩を売られても文句は言えまい。
「あなたは――ルイス・ハレヴィ准尉の恋人ですか?」
刹那は黙って首を横に振った。
「そうですか――俺はアンドレイ・スミルノフ。今日はルイス・ハレヴィ准尉の――護衛に来ました」
アンドレイ・スミルノフ――ロシアの荒熊、セルゲイ・スミルノフの息子か。
これが、後に刎頚の友となるアンドレイ・スミルノフと刹那・F・セイエイの初めての邂逅であった。
2014.6.29
→次へ
目次/HOME