ニールの明日

第百七十二話

 ニール達が士気を高め合っている頃――。王留美は味方になりそうな国や団体に連絡を取っていた。
「次はアザディスタンね――」
 その時、留美はくらっと眩暈を覚えた。
「どうした? 留美。無理はするな」
「グレン……」
 王留美を気遣ってくれたのは夫のグレンであった。
「留美……少し休まれた方が……」
 紅龍も言った。
「けれど、お兄様。これは私の最初で最後の役割なのですよ」
 王留美は凛として答えた。CBの当主として。
「アザディスタンには――私が交渉します」
「でも……」
 王留美は逡巡した。正直、兄の紅龍に任せるのは不安だ。――王留美はいつも『兄より優秀だ』と言われていたのだから。でも、兄だって決して無能な訳ではない。例えそう思っているのが留美だけだったとしても
「留美。紅龍に任せておけ」
 グレンが硬い声で言う。誰が何と言おうと揺るがない決意が見える。
「紅龍も交渉術に長けた男だ。お前が優秀過ぎるんだ。留美。アザディスタンとのことは紅龍に任せておけば大丈夫だ」
「まぁ……またお兄様を買われたものですわね。グレン」
「CBの当主に向いていないと言っても、それはお前と比べての話だ。紅龍だって一つの組織を率いる器は持っている」
「グレン、ありがとう」
「なんの。――このところの話し合いでアンタの力量もわかったよ。留美には敵わないがな」
「グレン!」
 留美の目の縁から涙が盛り上がった。そして、一筋、流れた。
「どうしました? お嬢様――留美」
 紅龍がおろおろとし出した。
「お兄様が認めてもらえて……私嬉しいんですの。そう思っているのは私だけではなかったと」
「いい妹じゃないか。大切にするんだな。紅龍」
「はい。グレン。あなたも」
「勿論だとも。留美は世界一の女だぜ」
「貴方にとっては――でしょう?」
 指で涙を拭きとった留美が口を挟む。
「いや、お前に敵う女なんている訳がない」
 そう言ってグレンは留美の手を握った。
「ダシル、留美を寝室まで運ぶ。道案内を頼む」
「グレン……私、自分で部屋まで行けます」
「いや、それがな……こう運ぶから」
 グレンが王留美をお姫様抱っこした。
「俺がその……方向音痴なのは知ってるだろう。まだ、トレミーの道順覚えてないんだ。本当は」
 グレンは恥じるように赤くなった。
「あら……そうでしたの」
 王留美がくすくす笑う。そんな妻を可愛いと思った。
「まだダシルさんから離れる訳には行きませんわね。グレンは」
「ええ。本当は結婚もされたんだし、俺から離れて欲しいんですけどね」
「お前が離してくれないんじゃないか。ダシル」
「――まぁ、そういうところもありますがね」
「ほんと、貴方達は仲がおよろしいわね」
 王留美がまた笑った。
「まぁ、一緒に育ちましたからね。リムおばさんのところで」
「ダシル。早くドアを開けろ」
「はいはい」

「――何かあったら呼びつけてくださいね」
 ダシルが王留美の寝室を後にする。
「よく出来た従者ですこと」
 王留美の言葉にグレンは眉を寄せた。
「あいつは従者じゃない。俺の――親友だ」
「あら……ごめんなさい」
「いや、いい。皆ダシルは俺の従者だと思っているし、俺もそう思っていた。けれど、ダシルが俺の面倒を見てくれていたんだ」
「……ふふっ、妬けてしまいますわね。貴方がダシルを褒める時の顔、すごく嬉しそうですわ」
「え? そうか? まぁ、自慢の相棒だからな」
「私もダシルにお世話になるようになるのかしら」
「そうだな。あいつは誰かに尽くすことに幸せを感じるタイプだからな。いつか医者になりたいと言っていた」
「――合っていると思いますわ。とても」
 王留美はベッドに寝かしつけられている。グレンが手を取って彼女の手の甲を撫でている。
「ダシルの話ばかりで済まないな」
「いいえ。貴方の知られざる一部分をあの子は知っているのでしょうから」
「あの子――と言っても、ダシルは貴方とそう変わりない年齢ですよ」
「――そうですわね」
「王留美、疲れただろう? ――今まで」
「ええ。でも……こんなこと、苦労のうちに入りませんわ」
「お前みたいな若い娘にそう言わせる環境がおかしいんだ。今までの人生、留美は重い荷物を背負って歩いてきたんだろう?」
 ああ……この人はわかってくれる。
 私は――間違ってなかったんですのね。紅龍お兄様のおかげで、男を見る目は養われましたわ。
 ありがとう。お兄様……。
 でも、グレンが王留美の苦労をわかるのは、きっと彼も同じ立場に立っていたから――。規模は違うけれど。グレンはゲリラ兵を率いていたこともあったのだから。
「俺も、戦闘に参加できればな……鉄屑同士の戦いじゃ俺の出る幕ないかな」
「――行かないでください。グレン」
 王留美が手に力を込めた。
「でも――クルジスなら俺も活躍できるかも……」
「グレン!」
 少しきつめに王留美は言った。
「私は貴方に戦って欲しくないのです。貴方に死んで欲しくはないのです」
「わかってるよ」
 グレンは溜息を吐いた。
「リムおばさんの言った通りだと思う。結婚したら男は女を守るものだと。その為には戦争なんかに出向いて妻を独りにしてはいけないと」
「ええ。その方が正しいと思いますわ。グレン……CBの当主として命令します。貴方はお兄様と一緒に私を守るのです。――私を置いていかないでください」
「承知しました。王留美殿」
 グレンは王留美の手の甲に口づけした。
「後でリムおば様という方にもお礼を言わなくてなりませんわね」
「リムおばさんに? 何で?」
 グレンはきょとんとしている。
「貴方がたみたいな素敵な青年達を育ててくださったお礼ですわ」
「素敵な青年達――ダシルも入っているのか?」
「勿論ですわ」
 ――グレンは王留美の手を離し、それから静かに抱き締めた。
「俺も――紅龍には感謝したい。留美をいつも見守ってくれて……留美をいつも見てくれて」
 私も……。王留美は思った。
 王留美は自分独りで育ってきたと思っていた。けれど、それは間違いだった。自分には兄の紅龍がいる。今はグレンもいる。
「グレン……いつまでも、傍にいてくださいね……」
 意識が飛びそうになる。グレンが王留美の髪飾りを外して頭を撫でてくれる。兄も昔、こんな風に寝かしつけてくれた。
 ――額にキスの感触があった。王留美は愛する者の胸元に頭を寄せて、安心して眠った。

2016.6.30

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