ニールの明日

~間奏曲13~または第百七十七話

 トレミーの廊下に紫色の髪のピンクのドレスを着た女の子が倒れていた。それを最初に見つけたのはニール・ディランディだった。
「おっ、おい――嬢ちゃん、嬢ちゃん、大丈夫か?」
 ニールが揺すると、女の子は気が付いたらしく目を擦った。
「とうさま、かあさまは――?」
 どうやら寝ていただけらしい。それにしても心臓の強い子だ。あんな人通りの多いところで寝ていられるんだから。尤も、今は人が少ないが。
「らいる、おにいちゃま――? おめめのくろいの、なあに?」
「俺はニールだ。ニール・ディランディ。ライルの双子の兄だよ。この黒いのは眼帯だ」
「にーる?」
「そう、ニールだ」
「にーるおにいちゃま――?」
「そう。君は誰だい?」
「べるべっと・あーでなの。よんさい」
「随分ティエリアに似てるなぁ……オッドアイはアレルヤに似てるけど」
「かあさまととうさま、にーるおにいちゃまとともだちなの?」
「うーん、友達っていうか、腐れ縁かな。ところで、さっきティエリアとアレルヤのこと、『かあさまととうさま』って言ってなかったか?」
「ゆったのー」
「どっちがかあさまだ?」
「てぃえりあかあさま!」
「そうか――あいつら、とうとうガキまでこさえたか――」
「にーるおにいちゃまはいきてるの?」
「幽霊に見えるか?」
「だって、にーるおにいちゃまはしんでもういないって――」
 そうか――ベルベットのいる世界では俺は死んだことになるのか――ニールはほろ苦く考えた。
 ニールはSF小説が好きなので、平行世界の概念にも通じている。ニールの考えが正しければ、多分ベルベットは異世界から来た女の子に違いなかった。
「アレエヤとティエリアならここにもいるぞ。連れてってやろうか?」
「わあい」
 ベルベットを見て、「これは僕の子じゃない」とティエリアに言われ、ベルベットがショックを受けるかも――とは考えないでもなかったが、ニールはこの娘をアレルヤ達に見せたかった。
 この娘はどこかの世界のアレルヤとティエリアの愛の結晶なのだ、ということを知らせたかった。
「あ、ニール。――その娘は?」
「ベルベット・アーデだ。アレルヤとティエリアの娘だ」
「二人の隠し子か? 冗談言うな」
「いやいや、ほんとにさ――」
 けれど、今の刹那の反応が普通なのだとニールは思い直した。
「だけど――まぁ、確かにあの二人に似ているな」
 刹那が仔細げにベルベットを観察している。
「みんなそういうのー」
「よし、ベルベット。肩車してやる」
 刹那はベルベットを担ぎ上げる。
「せつなおにいちゃまのかたおっきい」
「そういえば俺はまだベルベットにちゃんとした自己紹介してなかったな。……俺のこと知っているのか?」
「せつなおにいちゃま、いつもあそんでくれるもん」
「そうか……ベルベットのいる世界でも刹那はちゃんといるんだな。なぁ、刹那。平行世界って知ってるよな」
 ニールが刹那に語り掛ける。自分のいない世界が存在するといった悲哀を隠して。
「まぁな」
「このお嬢ちゃんはきっと平行世界から降って来たんだぜ」
「そうなのか――この世界の俺はベルベットとは初対面だが、アレルヤとティエリアが子供と一緒に幸せに暮らしている世界があると知って俺も嬉しい」
「――なんのこと?」
 ベルベットが首を傾げている。
「ベルベットは神様のいたずらでこの世界に来た天使ってことさ」
「べる、てんしなの?」
「――そうだよ。ティエリアの部屋はもうすぐだ。きっとべルちゃんのこと、気に入ってくれると思うぞ。アレルヤにも会わしてやっかんな」

「ティエリア、俺だ。開けてくれ。――今日はプレゼントがあるぞ」
 ニールが扉の傍で言った。すぐに扉が開いた。
「何だい? プレゼントって」
「これ」
 ニールが刹那に肩車してもらっていたベルベットを差し示した。刹那がベルベットを降ろしてやる。ベルベットがティエリアの方を向いて小さい手を広げた。
「かあさま!」
「か……かあさま?!」
 ティエリアが面食らっていると――
「どうしたの、ティエリア」
 アレルヤの声がした。二人は一緒の部屋にいた。二人が恋人同士だということを考えれば、不自然ではないのかもしれない。けれど、情事の名残りは見えない。或いはこれから始めるところだったのか――。
「アレルヤ――この娘、知ってるか?」
「どれ? ああ、可愛いね! ティエリアにそっくりだね!」
 アレルヤがたちまち相好を崩した。
「どういうことだ。ニール」
「廊下で行き倒れになってた。きっとお前らの娘だ。この世界のお前らじゃなく、どっか別の世界のお前らのな」
「ふむ、そう言えば、アレルヤに似て綺麗な目をしている」
「それにティエリアのようにさらさらの髪をしているよ」
 ティエリアとアレルヤは早速親馬鹿炸裂していた。
「この娘、帰れないんだったらここで面倒見てもいいな――皆に了承取らないといけないが」
 ティエリアは遠慮がちにベルベットの頭を撫でながらそう言った。
「でも――この娘には帰る場所がきっとあるんだ」
 刹那にはニールも知らないことがわかっているようだった。
「……眠いの……」
 ベルベットが目をゴシゴシする。
「疲れたんだろう。ここで休んでいいよ。子供は寝るのが仕事だからね。それから、目は乱暴に擦っちゃだめだよ」
「うん。わかった、とうさま」
「ティエリア聞いたかい? 僕のこととうさまだって!」
 アレルヤは喜びではち切れんばかりになっている。ニールが苦笑した。ティエリアが生真面目な顔で言葉を継いだ。
「僕が子供を作るとしたら、君以外相手はいない。えーと、名前は?」
「べるべっと……あーで……」
 ベルベットは既に船を漕いでいる。
「来なさい。ベルベット。アレルヤ――君の父様と一緒に寝るぞ。無論、僕もだが」
「わかったの。とうさま、かあさま――」
 三人は川の字になって寝てしまった。
「俺らも帰るか。刹那」
「ああ。――ニール、お前も触発されて子作りしたくなったか?」
「馬鹿――」
 だが、刹那は否定はしなかった。

 しばらくして後、アレルヤから室内電話がかかってきた。
「ニール――ベルがいなくなったんだよ!」
 ベル、か……愛称で呼ぶようになるとは、アレルヤも随分あの娘を気に入ったんだな。アレルヤは子供が好きだから。異世界のとはいえ、自分達の子供らしいと思えば尚更――ニールは答えた。
「きっと帰ったんだよ。あの天使のいる本来の世界へな」
「そ、そうか――やっぱりそうなんだよね……」
 アレルヤはほっとしたようだった。
「ティエリアもそうだと思ってたみたいなんだけど、何だか心配そうにしててさ……」
 アレルヤは続けた。ニールは微笑ましく思った。ティエリアもついに母性に目覚めたか。
 ベルベットは帰ったのだ。イノベイターの力を使わずともわかる。あの娘がいなくなったトレミーは少し寂しいな――。ニールもベルベット・アーデという天使に魅了されたようだった。

2016.8.20

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