ニールの明日

第百七十話

 ニキータは思った。
 もしかして、赤ちゃんが、できた――?
 それは女の勘だった。
(アリーとの子供が出来たら産むか?)
 刹那の声が聴こえてきたような気がした。ニキータははっきりと幻聴に答えた。
(産むわ――!)
 取り敢えず、後で医者に見てもらおうと、ニキータはアリーの残り香のするベッドに身を横たえた。

「ルイス……!」
 アニューがぱたぱたとルイス・ハレヴィの元へ駆けて来た。
「アニューさん……?」
 そういえば、この人にはお世話になったんだっけ。
「アニューさん、ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして――って、そんな場合じゃなかったわ。あなたにこれを渡そうと思って」
「――何ですか?」
「ナノマシン剤の改良版よ。あなたの服用していたナノマシン剤にはいろんな副作用があるのがわかったから」
「はあ……どうも……」
「頑張ってね、ルイス。それから――沙慈の為にも絶対生き延びて」
「はぁ……」
 ルイスは間の抜けた返答しかできなかった。
「ごめんなさい」
 アニューが謝った。
「何で謝るんです?」
「返答に困ったような顔してたから」
「…………」
 この人は何者だろうとルイスはまじまじと凝視した。只者でないのはわかっていた。有能な女性。でも、多分それだけではない。
 アニュー・リターナー……この人はアロウズに捕らえられてはいけないような気がする。ライル辺りが守ってくれるだろうか。
 この人がにっこり微笑めば、大抵の男は骨抜きになるだろう。
 沙慈もかしら……?
 ルイスはちょっとムッとした。
 でも、アニューはライル・ディランディと噂になっていた。だから、大丈夫だ――多分。
 そして沙慈と自分の恋を応援してくれている。
 アニューは見本を見せるように微笑んだ。つられてルイスも笑顔になる。
「絶対死なないわ、私」
 沙慈や絹江の為にも――。
 それから、パーティーで命を落とした両親の為にも。
 世界の悪意に立ちはだかってやる!
「嬉しいわ」
「――え?」
「ナノマシン剤ね……副作用でちょっとだけど脳量子波が使えるようになるの。どうしてか、私には、あなたの考えていることがわかる。……あなたは世界を変える決断をしたのね」
「私もアニューさんといて悪い気はしないわ」
 むしろ、母なる者に抱かれているような――。その母性がライルを惹きつけたのだろうか。ニールとは違うが、長い孤独と戦ってきた彼を――。
「さぁ、行きましょう。一緒に」
 ルイスはこくんと頷いてアニューの手を取った。

「ついにCBも動き出しましたか――」
 今はカタロンに匿われているマックス・ウェインが言った。
 クラウスがマックスに対して頷いた。
「王留美との話は一応決着がついた。お、ジーン1からだ。もしもし、ジーン1?」
『電波が良くねぇな』
「砂嵐が来てるからな」
『オンボロ機器め、何とかなんねぇのかよ』
「そんな文句を言う為に連絡したんじゃないだろう」
『ああ。王留美とかいうお嬢様な、大したタマだぜ。俺もうっかりアロウズに転んだとばかり思ってたんだ』
「女梟雄と呼ばれるだけのことはある――か」
『と言う訳で、俺達は堂々とアロウズに敵対できるわけだ』
「嬉しそうだな、ジーン1。それに、敵対しないならしない方がいいだろう」
『今の台詞、グレンが聞いたら笑うぜ。きっと。そうだなぁ――男は戦う為に生まれて来たんだとか何とか言うんじゃないかな』
「でも――あの男は今は王留美の夫だろう?」
『王留美の為に戦おうとしてんじゃないかな。あいつ、戦いたいと言ってたし』
「王留美はそれを望んでいるのかな?」
『さぁな。しかし、新婚ほやほやでこんな騒ぎになるとはねぇ……』
「彼らには済まなかったと思っている」
『まぁ、王留美は自覚済みだろうさ。自分達の幸福より世界の安寧だ』
「お前も参戦するんだな」
『当たり前だろう?』
「ガンダムでか」
『おう。俺の愛機、ケルディムガンダムでな」
「しっかり狙い撃てよ。敵はアロウズだけじゃない。世界の悪意だ」
『ようそろ』
「それで――お前の兄は……元気にしているか?」
『元気元気。もう刹那と何かあったとしか思えないくらい』
「ならいい」
『それでな、兄さんについて不思議なことがあったんだよ』
「何だい?」
『おーい、兄さーん』
 クラウスの眺めるモニターに眼帯をしたニールが映った。

「兄さん、この映像は皆見ているからな」
「ああ」
 ニールはそう答えると、眼帯を外した。
「ニールの右目が……治ってる?」
 ラッセ・アイオンが呆然として呟いた。
「何だ。皆知らなかったのか。僕は何でニールは右目が治ったのに未だに眼帯をしていたのか不思議に思ってたんだが」
「僕もだよ」
 ティエリアとアレルヤが言った。
「――眼帯が別の物に変わってたな」
 刹那の指摘通り、ニールはビリーの伊達眼帯をしていたのだ。

(ニール、これ――)
(眼帯か。眼帯ならこれがあるが)
(予備としてとっておき給え。あって悪いもんじゃないだろう?)
(そうだな――おお、結構いいじゃないか。前のは痛んできてたものな)
(良かったらあげるよ。僕はどうせ使わないし)
(いいや。後で洗って返す。目の病気は持ってないはずだし)
(わかった。期待しないで待ってるよ)

 ニールはビリーとの約束を思い返していた。
 ビリー……また会える日が来るだろうか。今度は仲間として。それからソーマ、アンドレイ……リボンズ・アルマーク機構の皆――。
 ニールはまた眼帯をつけ直した。――ライルと区別をつける為、と言って。ティエリアは――わかってはいたのだろうけれど、少し涙ぐんでいた。

2016.6.9

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