ニールの明日

第百九十四話

「マリナ姫様。プトレマイオス2から回線が繋がっております」
「わかったわ」
「姫様行っちゃうの?」
 子供達の問いに、
「すぐ戻るわ」
 と言って、部屋を出て行った。

『よぉ、姫様』
「イアンさん」
 マリナはほっとして、イアン・ヴァスティに笑みを向けた。
「トレミーは、大丈夫なんですか?」とマリナが尋ねた。トレミーとは、戦艦プトレマイオス2の愛称である。皆、トレミーと呼んでいる。
『――まぁな。ニール達のおかげで艦の通信機能も回復したしな。幸い死傷者もなかったし。もうすぐラグランジュ3に着く』
「ニールさん達にも宜しく伝えておいてくださいませ。――紅龍様もご無事なのですよね」
『ん? 気になるか?』
「はい……」
『待ってな。呼んできてやるから』
 イアンはモニターの向こうから姿を消した。やがて現れたのは――。
 紅龍!
 マリナの心臓がどくん、と鳴った。
『こんにちは。マリナ皇女様』
 美しい声で紅龍が言った。
「こ……こんにちは……」
『どうかされましたか?』
「あ、何でもないんですの……」
『今、何してらしたんですか?』
「どこからか赤ちゃんが現れたので――皆でお世話しているところです。多分、城の中の者の子供だと思いますけど――とっても可愛いんですの。紫の髪に金と銀のオッドアイで……」
『ああ――私達のところにも似たような子供がいます。――その子は赤子ではなく幼女でしたが。ベルベットって言うんです』
「あら」
 マリナが声を上げた。
「私のところの赤ちゃんもベルベットって言うんですのよ」
『誰が名付けたのですか?』
「――名乗ったんです。自分で」
『へぇ……赤子だったのでしょう?』
「ええ。まだ生まれて間もない子みたいでしたわ。勿論言葉は話せません」
『話せないのにどうやって名乗ったのですか?』
 すっかり好奇心に火が点いたらしい紅龍がきらきらした目で質問する。
「頭の中に思念が入って来たんです。ええと――ベルベットって」
『紫の髪にオッドアイでしたね。珍しいですよね。CBにもティエリアという紫の髪の人とアレルヤというオッドアイの男がいるんですけどね――』
「本当、不思議な偶然ですわね」
 マリナは慎ましく笑う。
『おや、いい笑顔ですね』
「ありがとうございます。――確か、子供達にも笑顔がいいって褒められました。笑顔は人を幸せにするのだと思います」
 マリナは紅龍に笑顔を褒められた時、とても嬉しく思った。
(こんな気持ちになれたこと、なかなかなかった――もしかしたら初めてかもしれない……)
 だが、刹那に会った時もこんな気持ちになったと思い返す。マリナは刹那に惹かれていた。けれど――。
「紅龍様……」
『紅龍で結構。何です?』
「貴方もきっと、笑ったら魅力的な顔になると思いますわ。今のお顔もそれは素敵ですけど」
 紅龍は目を見開く。何か悪いことでも言ったかと、マリナが心配した時だった。
『貴女も――充分魅力的です。その、笑わなくとも……』
「まぁ……」
 二人とも、俯いて、そのまま言葉を紡げなくなってしまう。
 やがて、紅龍が口を開いた。
『私は恋をしていました。――その、絶対結ばれない相手に』
「そうなの……」
 マリナが呟く。紅龍みたいないい男に惹かれない女性はいないであろう。マリナはそう思った。
『でも、マリナ皇女様――貴女と話していると、その相手のことを忘れそうです……』
「私も――紅龍と話すのは好きです……」
 好き、とぽろっとこぼれた言葉に、マリナは心が熱くなった。
『それは、どうも……』
 紅龍もあまりすらすらと言葉が出て来ないようだった。
 おかしいわ。一緒にいた時も馴染みの薄かった方なのに――。
 けれど、身体の中を駆け巡るこの熱い血は何だろう。
「私――子供達と新しい歌を作ろうと思いますの」
『それはいいですね』
 その時の紅龍の笑顔をマリナは一生忘れない、と思った。
「私は歌で――世界を救いたいと思っています」
 シーリンだったら鼻で嗤うだろうこの気持ち。けれど、紅龍だったら応援してくれるだろう。マリナは紅龍を信じた。
『マリナ皇女様。貴女の歌を――是非聴かせてください』
「勿論ですわ」
 マリナは自分の気持ちが柔らかくなっていることを自覚する。
「紅龍。私のこともマリナと呼んでください」
『そ、そんな失礼なこと――』
「どうしてですの? 私はあなたを紅龍と呼ぶのに、私のことは呼び捨てで呼んでくださらないんですか?」
『あ、はい――……マリナ』
「何でしょう、紅龍」
『は……呼んでみただけでして――』
 そう言って、紅龍はモニター越しに笑って見せる。戦争中なのに、何でこんなに和んでしまうのだろう。紅龍の人柄もあるのだろうか。
「トレミーは全員ご無事みたいですね。イアンさんから聞きましたわ」
『そうです。不幸中の幸いです』
「本当に良かったわ。――刹那は元気ですの?」
『はい。元気です。先程までトレミーの修理を手伝ってました。本当にトレミーを元通りにするにはラグランジュ3に行かなくてはならない、ということでしたが』
「ラグランジュ3」
 マリナは言った。
「そこでも――貴方と話す機会はあるでしょうか」
『勿論ですとも! ラグランジュ3の方が全てにおいて整ってますのでね!』
「また――話してもいいでしょうか」
『はい!』
 紅龍が少年のような顔をしている。可愛い――とマリナは感じる。
『私も歌は大好きですのでね。マリナが作った歌だったらいつでも聞きたいと思ってます』
「ありがとう。今から吹き込んだ歌を流してもいいのですけれど――」
『それは――ラグランジュ3に入ってからのお楽しみということで』
「はい。こちらも赤ちゃんのことでいろいろバタバタしてますの。また連絡くださいますか? 紅龍」
『わかりました! マリナ』
 二人は顔を見合わせて――そして笑った。
『マリナはやはり素敵な皇女ですね。アザディスタンは素晴らしい指導者を持って幸せだと思います』
「そんな――CBこそ、貴方がいるから……」
 今すぐにでも紅龍のところに飛んで行きたい。マリナは心が逸るのを抑えた。
 運命が二人を祝福しているなら、どんなことがあっても必ず会える。マリナは幼い頃からそう聞いていた。これが恋だとは、この時のマリナは知らなかったけれど――。
 ――いずれ、絶対会えますわよね。紅龍。

2017.2.6

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