ニールの明日

第百九十五話

『おーい、ラグランジュ3に着いたぞー』
 イアンの声がモニター越しに響く。
『あ……。すみません、マリナ。ここで一旦通信を切りますね』
「はい……」
 モニターから紅龍の姿が消えた。マリナがぼうっとさっきの余韻に浸っていると――。
「姫様、姫様!」
 バタバタと乳母のエマが駆けて来た。
「どうしたの……? エマ」
「姫様こそぼうっとした顔して……それよりも赤ちゃんが――ベルベットちゃんがとてつもなく綺麗に光っているんです!」
「まぁ……」
 エマに続いて急いでベルベットの元に行くと、ベルベットは金色に光っていた。子供達が半ば感嘆しながら、半ばおっかなびっくりにそれを見ている。
「赤ちゃん……」
「綺麗……」
 子供達が魅入っていた。ああ。ベルベット。あなたは何者なの――?
 マリナもベルベットを注視していると……。
「ベル……」
 優し気な男の声がして、手を差し伸べた。これはもしかして、神様?
 マリナは非現実的なその光景を見つめていた。
「アレルヤ」
 硬質な声がする。冷たい――というには人間味があった。だが、凛とした響きがある。これも男の声のようだが――。
「ティエリア。見つけたよ。僕達の子供だ」
「ああ」
 え……?
「あの……あなた方はもしかしてベルベットちゃんの親御さん――?」
「そうだが?」
 肩にまで髪を垂らした紫色の髪の、眼鏡をかけた人物が言った。ベルベットの親とかいう彼らも体から周囲に光を放っている。
 ベルベットちゃんは本当に天使だったのね――マリナは思った。紅龍に報告すべきかも考えながら。
(とうさま、かあさま――)
 ベルベットが話したような気がした。
「あの、あなたは……」
「アレルヤです」
 緑がかった黒髪の、金と銀のオッドアイの青年が言った。
「ティエリア・アーデだ。娘を迎えに来た」
 紫の髪の美形、ティエリア・アーデと名乗る人物は見た目は女性だが、男の人のような声だ。
「まぁまぁ、どうしましょう。神様の使いが降りてきたわ」
 敬虔なクリスチャンのエマが手を合わせて祈っている。マリナは驚きを鎮めようと、エマの肩にそっと手をかけた。
 何だか懐かしい……。
 いつの間にか、マリナの頬は涙で濡れていた。
「君達がベルを保護してくれたのかい? ありがとう」
 アレルヤ――そう名乗った青年が笑顔で礼を述べた。マリナはほっとした。これでベルベットはあるべき世界に帰れる。何となくそんな気がした。
「君が悪いんだぞ。油断していたから」
「ご……ごめん」
 アレルヤがティエリアに謝る。
「僕達はまだ娘を見つけることができたから良かったようなものの――」
「あの……ティエリアさんて、男性ですよね?」
 話の腰を折るかとも思ったが、マリナは訊かずにはいられなかった。
「そういうことになってるが?」
 ティエリアは威風堂々と答えた。ベルベットちゃんは彼らの養子なのだろうか。――マリナはそれしか考えられなかった。
「まさか、疑っているのか?」
 心外そうにティエリアが顔をしかめる。ティエリアは確かに殆どの女性が太刀打ちできない程の美貌の持ち主だが。――けどでも。
「疑っているなら教えてやる。マリナ・イスマイール。ベルベットは僕が産んだ子だ。アレルヤと、僕との間に産まれた子だ」
「は……」
 マリナは絶句した。疑っているのは本当にティエリアが男であるかどうかの方だ。確かに、声の低い女の人だっている。けれど、ティエリアの声は紛うことなき男の声だ。胸だってなさそうだ。
 けれど、いつの間にかこの城にいた赤ん坊――ベルベットの出現とこの光を考えると、ティエリアがこの子を産んだと考える方が自然のような気もしてきた。
「平行世界の境界が薄れている。アレルヤ、行くぞ」
 ティエリアが素っ気なく告げる。
「そうだね、ティエリア。さっさと行かないとここも危ないかも。マリナ姫、ありがとう」
 アレルヤが言った。
「僕からも礼を言う。ありがとう、マリナ」
 ティエリアがふっと笑ったようだった。マリナが頬を伝う涙を拭いてから慌てて発言した。
「あ、あの……こちらこそありがとう。ベルベットちゃんと会えて、皆楽しかったと思います」
「そうだよ。また来てよ」
「ティエリアさんとアレルヤさんも」
「うむ」
 口々に言う子供達にティエリアは頷いた。
「さてと――今度こそ、行くか」
 そして、光は消え、ティエリアもアレルヤもベルベットと共に消えてしまった。
「すっげー!」
「神様見ちゃった! あれは神様よ!」
 子供達は騒いでいる。
「いいえ。あれは神様ではございません」
「何だよー。エマおばさん。あんな綺麗な人達なんだぜ。神様じゃないなんてことあるかよ」
「神様はイエス様おひとりです」
 こういうところでは頑固なエマである。
 けれど、マリナは思う。人は皆、神様の化身なのだと。
 勿論、エマに話すと猛反発を食らわされるからおくびにも出さないが。
(後で紅龍に話そう――この不思議な体験を)
 マリナは思った。紅龍なら興味を持って聞いてくれるかもしれない。紅龍は意外と好奇心が旺盛のようであったから。
 しかし、平行世界の境界とは何だろうか。読書が好きなマリナは平行世界についての知識は人並みに持ち合わせてはいるけれども。CBの紅龍のところにいるベルベットは本当にこの世界のベルベットなのだろうか。
 ――好奇心旺盛なのは自分の方かもしれない。マリナは自分に対してくすっと笑った。
「どうしたの? マリナ様ー」
「何かおかしいことでもあった」
「いいえ。何でもないのよ。――ベルベットちゃんが元気でいるといいわね」と、マリナ。
「きっと元気に育つよ。ベルベットちゃんは神様の使いだもん」
 まだ幼い少年が言った。エマは我が意を得たりと、うんうんと首を縦に振っている。
(あんな風に――子供を抱けるものならば)
 しかも、好いた人の子供を……。だが、アザディスタン皇女であるマリナ姫にとって、それは夢のまた夢。決して叶うことのない願いであった。
(紅龍……)
 先程まで話していたばかりの男のことを思い出して、マリナはかっと体が火照った。
「あー、マリナ様ほっぺた熱そう」
「熱あるの? 体温計持って来ようか?」
「ふふふ……」
 エマが含み笑いをした。
「姫様は恋の病にかかっておいでのようですね。相手が誰だかはわかりかねますが。さっきはベルベットちゃんのことでそれどころではありませんでしたがね。いやぁ、長生きはするもんです。こんな可愛らしい姫様を見ることが出来るんですから」
「エマ!」
 マリナはつい怒鳴ってしまった。
「マリナ様、怒った。とっても辛いんだね。マリナ様が怒るなんて初めて……」
「そう。恋の病はね――とっても辛くてとっても甘いんですよ」
 ほほほ……とエマは高笑いをした。確かにその通りなので疑念を差し挟む余地はない。
 きっとシーリンも同じようなリアクションをするであろうと思うと、マリナは少々困惑しきってしまった。

2017.2.16

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