ニールの明日
第百九十三話
「なぁ、刹那――」
ニールが刹那の背中に口づけしながら言った。
「何だ」
「もうすぐラグランジュ3だな。あっという間だぜ」
「――そうだな」
「こうして睦み合っていると、時間の経つのを忘れるな」
「ああ――」
「もう一度していいか?」
「――後十分で着くぞ」
刹那が窘めても、ニールはキスマークを作る作業を辞めなかった。刹那の肩には、さっきのニールの歯型がある。
「刹那――綺麗な肩に傷跡つけてごめんな」
「別に構わない。アリーはもっと酷いことをした」
「畜生」
ニールは呻いた。
「アリーめ――殺してやる」
「殺してやるも何も、もうとっくに死んだんだがな」
「……そういや、そうだ」
ニールも刹那の言葉に納得した。
「――刹那。少しはアリーのこと好きだったか? 正直に言っていいんだぞ」
「……まぁ、昔はそんなに嫌いではなかった」
「そっか。でもお前ことは俺が夢中にさせてやる。アリーに負けないように」
「――もう遅い。既に夢中だ」
「――刹那!」
ニールはがばっと刹那を後ろから抱き締める。
「着替えよう。ニール」
「うん、うん!」
ニールはすっかりやに下がっていた。
「ニール」
「ん?」
(愛してる――)
刹那が脳量子波で話しかけて来た。ニールは幸せでくらくらした。
「刹那――それはお前の魂の言葉ととっていいんだな?」
「魂なんてわからんが、お前は好きだ。ニール」
刹那が微笑んだ。
「髪、梳かしてやろうか? 刹那」
「必要ない」
「お前な……もうちょっと見た目にこだわろうぜ。せっかく美人に生まれついたんだから♪」
「時間がないだろう。そういえば昔――南の島でお前に髪を切ってもらったことがあったな」
洗いたての制服に着替えながら刹那が言う。
「ああ。結構上手かったろ? 俺」
「そうだな。ニール。お前は器用だ」
「ティエリアと違ってな」
「本当のことを言ったらティエリアに悪いだろ」
――ティエリア、不器用と刹那にも判断される。
だが、それでいいのかもしれない。人間、誰しも欠点はあるものだ。あのヴェーダの申し子と言われていた、ティエリア・アーデにも。
「ティエリアには俺に負けず劣らず器用な旦那がいるからいいじゃねぇか」
器用な旦那――アレルヤ・ハプティズムのことである。
「アレルヤは少し、お前に似てるな」
「えー? そうかぁ?」
ニールが本当に意外に思って声を上げた。
「ああ。アレルヤがいなかったら、ティエリアはきっとニール、お前に惚れていただろうな」
「――俺にはお前だけだよ。刹那」
「俺もだ」
ニールはこの世で二人だけのような錯覚を一瞬覚えた。
過去にはいろいろあったけれど、ニール・ディランディの現在と未来は刹那・F・セイエイの物だ。
これからも死ぬ目にあったりもするだろう。もう何度も危機があったとニールは思った。とっくに死んでてもおかしくはなかった。
それでも生き延びられたのは、ニールの運の強さと、仲間への想い。そして、刹那への想い。
(ジョー、ボブ。宇宙に漂っている俺を助けてくれてありがとう)
しばらく忘れていた、命の恩人達。制服を着てりゅうとした身なりになったニールは、腕を組み合わせて、彼らがいつまでも無事でいられるよう、祈った。
ラグランジュ3が近づいて来ていた。
「あら――?」
アザディスタンの皇女、マリナ姫が空を見上げた。
今、小さな女の子の声が聴こえたような気がした。
ううん。気のせいじゃない。
「ほあっ、ほぁっ、ほんぎゃあ……」
「赤ちゃん……?」
マリナ姫が声の方へと向かった。そこには、紫の柔らかそうな髪の毛の薄く生えた赤ん坊が。金と銀のオッドアイ。どこかで見たような気もするのだが。
「まぁ、可愛い……」
マリナは微笑んだ。マリナは赤ちゃんや子供というのが殊の外好きだ。母性愛が豊かなのかもしれない。
「マリナ様ー」
子供の一人が駆けて来た。ブルネットの長い髪の女の子だ。名前はサーシャ。
「お母さん、いないの?」
「そうね。お母さんを見つけるのが先よね」
マリナは赤ん坊を抱き上げてあやした。間もなく、赤ん坊は静かになった。
「この子、なんて呼んだらいいかな」
サーシャが訊く。赤ん坊の両親がなかなか見つからなかった場合、名前がなくては不便であろう。
それにもし、この子が捨て子だったら――。
マリナはぞくっとした。
考えられない。こんな可愛い娘を捨てるなんて。
「取り敢えず服を着せましょう。話はそれからだわ」
マリナ姫の傍にはいつも子供達がいる。マリナ姫は心も姿も美しい。その美しさ、声の優しさに惹かれて子供達はやってくるのだ。
「これで良かったかしら」
「ええ。ええ。本当に可愛らしい赤ちゃんだこと」
城にいた黒人の乳母が笑いながら赤ん坊の頭を撫でた。
「まるで、マリナ様のお小さい時みたいですねぇ」
「いやだわ、エマったら……」
マリナは控えめにくすっと小さく笑顔を見せる。
「本当に、こんな可愛くて――まるで天使かと思いましたよ」
「この赤ちゃん、何て言う名前だったのかしら――知りたいわ」
「いやぁね。マリナ様ったら。このくらいの赤ん坊が喋れる訳ないでしょうが」
「でも、知りたいの。ねぇ、赤ちゃん。あなたは何て呼ばれたい?」
(ベルベット――)
「――え?」
「どうしました? マリナ様」
「マリナ姫様ー」
「あ、ううん。ちょっと声が聞こえただけ――そう。この子の名前はベルベットって言うのね」
「マリナ様?」
「宜しくね、ベルベットちゃん」
2017.1.27
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