ニールの明日

第百九十六話

 ――ニール達は無事ラグランジュ3に到着した。
「あー、着いた着いた」
 ニール・ディランディはうーん、と伸びをする。刹那・F・セイエイが立ち止まる。
「ニールはラグランジュ3は初めてだったか?」
「ああ、確かそうだな――なぁ、ここにベッドルームはあるか?」
「――バーがある」
「そっか。じゃあ、刹那、後で飲みに行こうぜ」
「アニュー、体は平気か?」
 ニールの双子の弟、ライル・ディランディがアニュー・リターナーに対して気遣う。
「大丈夫よ、ありがとう」
「今まで甘い時間を過ごせて良かったなぁ」
 ライルは頭の後ろで手を組んだまま幸せを噛み締めているように見える。ライルもいい思いをしたらしい。
「留美、喉の調子はどうだ?」
「良くなって来たわ。グレン」
 グレンがニール達の目の前で王留美にキスをする。紅龍も敢えて止めようとはしない。
「やれやれ、どいつもこいつもラブラブなこって――」
 イアン・ヴァスティが溜息混じりに呆れている。
「パパ。パパにはミレイナがいるですぅ」
「――そうだったな」
「うふふ。お父さんをミレイナに取られてしまったわねぇ」
 リンダが微笑まし気に見守っている。
 ニールはイノベイターになってから、自分の視野が広くなったように感じた。いろんなことが見えるようになって来たのだ。心理的にも、物理的にも。五感が研ぎ澄まされて行くのが、わかる。ラグランジュ3はかなり設備の整った基地であるように思えた。
 ――アレルヤがベルベットを背負いながらやって来る。後から続いてティエリアも。
「あら、その子は? もしかしてアンタ達の娘?」
 ネーナが心安立てにアレルヤに訊いた。
「もしかしなくてもそうだよ」
「えー、アンタら男同士じゃなかったの?!」
「――この子は天の使いなんだ」
 何だよ、コウノトリとかキャベツ畑とかお前らマジで信じてんのかよ――とミハエルが茶化す。
「そういう訳じゃないんだが……」
「君達、静かにし給え。ベルベットが起きる」
 ティエリアが小声で叱咤した。ネーナが肩を竦める。
 ベルベットがむにゃむにゃ、と言った。
「じゃあ、僕はここの整備員を手伝ってくるよ。ティエリア、ベルベットをお願い」
「わかった」
 アレルヤはティエリアにベルベットを渡した。ティエリアは愛し気にベルべットを抱きながら言った。
「それにしても、どんな夢を見てるんだろうな。この子は――」

 ベルベットは赤と黒の混じった霧の中にいた。けれど、不思議と怖いとは思わなかった。ただ、アレルヤとティエリアがいないのが些か不安だった。
「とうさま、かあさま――?」
 目の前に人を見つけた。まだ子供だった。
 紫色のおかっぱ頭。金と銀のオッドアイ。
(べるににてる――)
 ベルベットはそう思った。
「あなたは、だれ?」
「べる。べるべっと・あーでなの」
「わたしもべるべっと・あーでなの」
 けれど、目の前のベルベットは自分より若干小さい。着ている服も違う。
「いくつ?」
「――ふたつ」
 小さなベルベットは人差し指と中指を立てた。――小さな手。ベルベットはそう思った。
「べるはさんさいなの」
 ベルベットはそう答えた。そして、続けて訊いた。
「こんなところでなにしてるの?」
「ぱぱとままをさがしてるの」
「とうさまたちがいないの?」
 小さなベルベットがこくんと頷いた。
 この子は本物のベルベット・アーデだ。ベルベットの勘がそう告げている。
 しかし、ベルベット自身の幼い姿ではない。それも、勘が注げている。
 例えて言ったら、別世界から来たような――。
 ベルベットは目の前の子が可哀想になった。けれど、この子は心細いだろうに、涙ひとつ流してない。えらいね――ベルベットは感心した。
 とにかく、自分の方がお姉さんなんだからしっかりしないと。
「とうさまとかあさまがみつかるまで、べるがあそんであげる」
「うん」
 二歳のベルベットと三歳のベルベット。二人はいろんな話をした。そして――二人は住んでいる世界が違うことを再確認した。ティエリアは平行世界だの何だのと難しいことを言っていたが、要するにベルベットはあの世界へ飛ばされたのだ。
「あのね、べるはね、いのべいたーなんだって」
「いのべいたー?」
 相手は首を傾げた。
「べるにもよくわかんないけど、きっとつよいんだよ」
「ふぅん……」
 ――小さなベルベットの姿が透けて見える。もしかしたら消えるのではあるまいか。
「ちびべる?!」
「――ばいばい」
 小さなベルベット――ちびベルはベルベットに向かって手を振った。
「ま、まって――」
 ちびベルは消えてしまった。
 ベルベットの体にも揺さぶられる感触がある。
「ん、んむ~む……」
 ベルベットが目を覚ますとティエリアの顔が。
 ――ここはラグランジュ3の寝室。ベルベットに現実感が戻って来た。
「かあさま!」
 ベルベットはティエリアの首っ玉にかじりつく。ティエリアは彼と同じ紫色をした小さな娘の頭を優しく撫でる。
「あのね、ちびべるが消えちゃったの」」
「ちびべる?」
「ちいさなべるべっとのことなの。にさいっていってたの」
「――そうか。それはまた妙な夢を見たもんだな」
「ゆめだったのかなぁ、やっぱり……」
 ちびべるも両親の元へ帰れるといい。ベルベットはそう願った。
 ――ベルベットにもとっくにわかっていた。ベルベットの目の前にいる母は母であっても、自分の本当の母ではないことを。
 ベルベットを生んだ母はどこか別のところにいるのだ。
 けれど、目の前のティエリアだって母であるのに違いない訳で――。
 ベルベットはこの世界の母も好きだ。この世界のアレルヤとティエリアも、自分を愛してくれている。甘えても怒らない。それどころか優しく受け入れてくれる。
 ――いろいろ考え始めると頭がごちゃごちゃするので止めることにした。自らもまだ幼いベルベットにわかるのは、父アレルヤと母ティエリアが好き。ただそれだけ。
「かあさま、だいすき!」
「おやおや。何だい? 急に甘えたになって」
 そうは言うものの、ティエリアも満更ではなさそうだった。
「とうさまもだいすきなの!」
「ああ。アレルヤが聞いたら喜ぶな」
「とうさま、いつかえってくるの?」
「もうすぐ帰って来ると思うぞ。すごく美味しい御飯を用意してくれるって言ってたからな。期待しながら待とうな」

2017.2.26

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