ニールの明日

第百九十七話

 ラグランジュ3のバー、『ソメイヨシノ』――。
 薄暗い店内。ボックス席にニール・ディランディ達が座っている。
 ニールはスクリュードライバーを味わっている。その隣で刹那・F・セイエイがソルティドッグをちびちびと舐めている。
「旨いな」
 この店のカクテルは美味だ――イアンが勧めてくれただけのことはある。
「旨いか? 刹那」
「別に……」
「お前にはミルクの方がいいか?」
「――止してくれ。ニール。もう子供じゃない」
 マスターに変に思われないように、彼らは脳量子派ではなく、口頭で喋っている。
 ニールはジョーやボブと酒を酌み交わして別れた日を思い出していた。その時は隣に刹那がいなかった。――刹那に会いたいと思っていた。
 今は傍に刹那がいる。幸せだ。ずっとこの幸福が続けばいいと思う。
「どうした? ニール。黙ってしまって」
「気になるなら俺の思考を読めばいいだろう?」
「そうしたかったが、お前に断りもなく思考を読んだら失礼になるかと思ってな」
「なに水臭いこと言ってんだよ。俺とお前の仲じゃねぇか」
「でも……秘密にしておきたいことぐらい、お前にもあるだろ?」
「刹那に対しては秘密なんてないけどなぁ……」
「お前にはなくとも俺にはある」
「うーん、まぁ、俺もお前も波瀾万丈な人生を送ってきたからなぁ……刹那、この戦争が終わったらアイルランドへ来ないか?」
 些かプロポーズチックになったなぁ、とニールは思った。
「お前がいいなら、アイルランドに行ってもいい」
「おう。一緒に暮らそうぜ。本格的に結婚式でも挙げて」
「しかし、まずは目の前の問題を片付けよう」
「アロウズか……」
 ニール達にとって、アロウズは目の上のたんこぶだ。イノベイター達を集めた施設もあそこにはあるから尚更だ。
 彼らが会ったイノベイター達はいい人ばかりだった。そして、刹那とニールもイノベイターに進化した。――GN粒子のおかげらしい。
 取り敢えず、アロウズのことは置いておこう。今考えたって仕方がないのだ。リボンズの考えを読もうにも、ニールは心の読み方にまだ慣れていない。あの男にもプライバシーというものはあるだろうし。
 イノベイターは進化した人間。だが、本当に進化と言えるのだろうか。また新たな苦労を背負うことにもなりかねないのではないか。イノベイターの能力があまり万能過ぎても困るな、とニールは思う。人間は万能じゃないからこそ、繁栄出来たのだ。
「ニール……」
「何だ? 酔ったか?」
「このぐらいで酔う訳がないだろう。お前はいつまで俺を子供扱いする気だ」
「そうだな――体の方は立派な大人だ」
「馬鹿……」
 刹那が毒づく。ニールがにやっと笑った。
「刹那、今、変なこと考えたろ」
「お前の言うことだからな」
「大丈夫。お前はあっちの方も大人だぜ~♪」
「しっ、大声を出すな、ニール」
「これでも充分声は抑えているつもりなんだがな」
「ソルティドッグ……旨いと聞いたから頼んだが、俺の口には合わないな」
「じゃあ、俺が飲んでやるよ」
 ニールが刹那のグラスを取り上げて一気に呷る。
「おい、そんな飲み方したら体に悪い……」
 刹那が止めようとする。
「もう遅いぜ。ご馳走様」
 ニールは舌なめずりをした。
「――間接キス、だな」
「……そう恥ずかしいことを易々と……やはり脳量子波を使った方がいいかな」
「黙っているくせに時々くすくす笑い出したり怒ったりするのか? 知らないヤツが見たら気味悪く思うぜ」
「――それもそうだ」
「ま、お前には他のカクテルを選んでやるよ」
「頼む。酒のことはよくわからない」
 ニールが再びメニューを手に取る。
「俺もこの店は初めてだからそんなに詳しくはないけどな。ついでに何か食わないか? 刹那。ここ、料理があるみたいだからよ。何頼む?」
「――ガーリエ・マーヒーがいい」
「……そういうのはないなぁ……メニューに入れてもらうよう頼んでみるか?」
「別にいい。今のは冗談だ」
「俺はポテトサラダがいいな」
「相変わらずじゃがいもが好きだな。ニール」
「ライルもじゃがいも好きだぜ。俺らはアイルランドでじゃがいもと一緒に採れたのさ」
「…………」
 刹那が渡されたメニューと首っ引きしている。その様がおかしくて、ニールは笑い出しそうになるのを堪えた。
 可愛いな。俺の刹那は。
 自分はさぞ優しい目をしていることだろう。こんなに穏やかな気持ちになったのは久しぶりじゃなかろうか。
「この店はアイリッシュシチューもないな」
「元々がバーみたいだからな。アイリッシュシチューなら俺が作ってやるよ」
「楽しみにしてる。ニール――カルボナーラにしておこう」
「カルボナーラか……旨いのは旨いが不味いとなると災難だぜ」
「大丈夫だ。ここのカルボナーラは旨い」
「根拠はあるのか?」
「――勘だ」
 刹那が白状した。ニールが答える。
「そうだな。酒も旨いしな。ミス・スメラギとも来たいな。アレルヤやティエリアとも」
「スメラギ・李・ノリエガにはあんまり飲まないように注意すべきじゃないかな」
「お前、ミス・スメラギから酒を取り上げること出来るか? ――俺には彼女の気持ちがわかる。俺だって刹那が死んだら酒浸りになってもおかしくはない」
「俺は――お前がいない時には……」
「ああ、済まん済まん。嫌なこと思い出させたな。今が幸せならそれでいいじゃねぇか。……アロウズと戦争中でもさ」
「ちょっといいかな」
 野太い、落ち着いた大人の男の声が聴こえた。セルゲイ・スミルノフである。
「おお、セルゲイさん。さ、こっちへどうぞ」
 ニールは自分の向かい側にセルゲイを誘う。
「セルゲイ――アロウズに戻れなくなったな。済まない」
 刹那が謝る。セルゲイが苦み走った顔に笑みを浮かべる。薄暗くてもニールには目の前に座っている男の表情がわかる。男の左頬には大きな傷跡が残っていたが醜さは全く感じさせず、かえって歴戦の戦士の貫禄を与えている。
「出入り口が封鎖されたんだ、仕方ない」
「あの攻撃にはびっくりしたよなぁ。もっとびっくりしたのはアロウズのお偉いさんがトレミーの修理を手伝ってくれたってことだけど」
 ニールの言うアロウズのお偉いさんとは、セルゲイのことである。
「あの時は助かった。ありがとう。セルゲイ・スミルノフ」
「どういたしまして。刹那くん」
「でも、これでアロウズに帰りづらくなったんじゃないですか?」
 ニールの質問にセルゲイはますます笑みを深くする。
「いや、こう言う機会でもなければ君達と分かり合うことも出来なかっただろう。――今度のことはリボンズの独断も大きい。ホーマーに戦を辞めるよう交渉してみよう」
 そう言えばアロウズのリーダーはホーマー・カタギリだった。リボンズが牛耳ってはいるが。
 ホーマーの意見なら、リボンズも無碍には出来ないだろう。
 だが、刹那は――
「無駄だ。セルゲイ」
 一言の元に断じた。
「――何故だ」
 セルゲイも少し気分を害したらしい。刹那が言った。
「アンタはリボンズ・アルマークと言う男を知らない」

2017.3.8

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