ニールの明日

第百九十九話

 PM10:00。
「あれ? ベルベットは?」
 アレルヤがティエリアに訊いた。
「む……どこにもいないのか?」
「さっきその辺にいたと思うんだけど……」
「――ベルベットはラグランジュ3の地理はわかっていないはずだ。探しに行こう」
「うん!」
 ティエリアの言葉に、アレルヤが力強く頷いた。二人は自分達の部屋の扉を開けてキャットウォークへ向かった。

 その頃――沙慈・クロスロードの部屋を訪ねようとしていた女性がいた。ルイス・ハレヴィである。
「沙慈……いる?」
 ルイスが訊く。
「ああ。今、扉開けるね」
 ――ルイスの目の前でドアが動く。ルイスが部屋に入る。
「どうしたんだい? ルイス。こんな時間に」
「……沙慈。私達はいつ死ぬかわからないのよね」
「ああ……まぁね……」
「だから……」
 ルイスは沙慈の前で服を脱ぎ出した。
「な……何してるんだい?! ルイス!」
 沙慈が狼狽した。
「だから……死ぬ前に沙慈に抱いてもらおうと思って……」
「ルイス……」
 以前、沙慈に『チューして』とねだったルイスである。しかし、まさかこんなこと――。
 沙慈はどうしたらいいか天に助けを求めた。
 その祈りが叶ったのか――。
「あーっ。きんぱつのおねえちゃま、はだかになってるーっ」
 響く幼い声。二人はそちらの方を見遣った。――ベルベット・アーデがルイスを指差していた。
 沙慈達は固まった。
「どうしたの? おねえちゃま。おふろはいるの?」
 ベルベットが素朴な質問をしている。ルイスが驚きに目を瞠りながら沙慈の方を向いた。
「沙慈、鍵は――?」
「かけ忘れた。ごめん」
「あ、でも、ここはオートロックなはず――」
 沙慈とルイスが混乱しているのをベルベットはじっと見ている。
「おねえちゃま、おふろはいらないの?」
「それはまた今度ね――」
 ルイスはいそいそと着衣する。
「それよりも、君はアレルヤとティエリアの娘だろう? 話は聞いてるよ」
 沙慈が言う。
「うん」
「アレルヤ達と一緒におねんねする方がいいんじゃないかな。ほら、僕達がついて行ってあげるから」
「わあい」
 ベルベットが嬉しそうに万歳する。
「おにいちゃまとおねえちゃまのおなまえはなんていうの?」
「ん。僕は沙慈・クロスロード」
「ルイス・ハレヴィよ」
「さじおにいちゃまにるいすおねえちゃまね。べるはべるべっと・あーでなの。よろしくね」
 ベルベットがにこっと笑った。
「じゃ、僕達はティエリア達の部屋へ行くね」
「私も……行っていいかな」
 もじもじしながらルイスが言う。
「僕が行くから大丈夫だよ。ルイスは疲れてるだろ?」
「でも――沙慈と一緒にいたいの」
「ルイス……」
 沙慈は自分の心がやわやわと溶けていくのがわかった。
(恋って言うのかな。こういうの――)
 以前は知らなかった気持ち。ルイスと自由に会えなくなって初めてわかった。
 そして今、ルイスはここにいる。
 自分は何という果報者だろうと沙慈は思った。
「ほら、手を繋ご? ベルベットちゃん」
「うん。るいすおねえちゃま」
 とても微笑ましい光景である。それは、いいところを邪魔されたのはちょっと残念だけど――。
(って、何を考えているんだ。僕は)
 沙慈がぱっぱっと手を振る。
「何してるの? 沙慈」
 ルイスが怪訝そうな表情をする。ベルベットが真似して手を振る。沙慈が誤魔化すように笑った。
「何でもないよ」
「さじおにいちゃまはおててつないでくれないの?」
「ああ――繋ぐよ」
「わい♪」
 ベルベットが短く嬉しそうに言うと、沙慈に空いた手を伸ばした。
(こんな風に、ルイスとの子供を育てることが出来たなら――)
 それは、決して夢物語ではない。この戦争が終わってくれれば――。沙慈は思った。
 ベルベットはマザー・グースを歌う。
「あら、ベルベットちゃん、マザー・グース歌えるんだ」
「かあさまにおしえてもらったのー」
「でも、マザー・グースってとっても怖い歌なのよ」
「怖いの?」
「ルイス……余計なこと言わない方がいいんじゃないかな」
「――ごめん、沙慈」
 ルイスはしょぼんとしている。
「るいすおねえちゃま、だいじょうぶなの。さじおにいちゃま、るいすおねえちゃまをいじめたら、めっ、なの」
「ああ、ごめん――」
「ううん。沙慈の言う通りだから。――ベルベットちゃん。沙慈お兄ちゃまは私をいじめてた訳ではないのよ。私を注意してくれただけ」
「ルイス……僕も余計なことだったね。ごめん」
「ううん、いいのよ。沙慈。沙慈は優し過ぎるから――」
「ルイス……」
 沙慈は口角を上げた。ルイスは我儘なところもあった娘だ。今はなりを潜めていたが――。
(さっきは昔のルイスを見たようだったな)
 沙慈もルイスを抱きたくなかったと言えば嘘になる。沙慈にも欲望というのがあるのだから。けれど、迫られるとおろおろしてしまうところは変わらない。
(もうちょっと僕にしっこしがあればな)
 ガンダムエクシアに乗るようになって、自分は強くなったと沙慈は考えていた。だが、ルイスに言い寄られて何も出来ないところは情けないなと自分でも呆れている。
 ――まぁ、ベルベットがいたから、それで良かったのかもしれないが。
 けれど、ベルベットは一体どこから来たのか。沙慈の部屋は扉が閉じたら鍵が自動的にかかるようになっていたのに――。
「でもね、私もママのマザー・グースを聞いて眠っていたのよ。だから、ベルベットちゃんもマザー・グースを歌ってくれるママがいることに感謝よね」
「かんしゃー」
 ルイスの母は確か死んだはず。けれど、沙慈はもう口を挟むことはしなかった。
 笑って母のことを話す程に、ルイスは成長したのだ。――その時、聞き覚えのある声がした。
「ベルベット!」

2017.3.28

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