ニールの明日

第百九話

「刹那~♪ 一緒に飲もう~」
 すっかりできあがったネーナが刹那に杯を勧める。
「悪いが断る」
「なぁによぉ。私の杯が受けられないっての~?」
 酔っ払いが絡む時の常套句だ。
「おまえはまだ未成年だろう。大概にしろ」
「あたし、れっきとした大人の女性だもん」
「そうだよな~。ネーナは立派なレディだよなぁ」
 妹に甘いミハエルがこれまた妹馬鹿な台詞を吐く。
「へへ……」
 ネーナも満更でもなさそうだ。
「それぐらいにしておけ。ネーナ。――さっさとしないと料理がなくなるぞ」
 ヨハンがたしなめる。
「あ、いっけなーい。またね、刹那」
 ネーナがいそいそとバイキング形式の御馳走のところへ行く。
「すまないな、刹那。しかし、あれもまだまだ色気より食い気な年なんだ」
「苦労するな、ヨハン」
 だが、刹那は口の端に微笑みを浮かべていた。刹那も自然に笑えるようになったな、と、側にいたニールは思った。
 ネーナは可愛いから、また新しい彼氏でもできるだろう。今は刹那に夢中でも。
(ま、俺も刹那に夢中なんだけどな)
 ニールはこっそりと心の中で呟く。しかし、ネーナと違って、この気持ちは一生ものだ。
(大事にしてやるからな。刹那)
 ニールは慈愛を込めて刹那を見つめた。ニールの視線に気づいた刹那は、慌てて視線を逸らした。きっと照れているのだろう。
「ヨハン」
 ニールはトリニティ兄妹の長兄ヨハンに声をかけた。
「おまえらはどうして俺達の味方をする?」
「――私達は、アレハンドロにいいように操られていた」
「そうか――」
「その雪辱を晴らそうとしても、アレハンドロはもうこの世にはいない」
「…………」
 ニールの心にヨハンの無念が伝わってくるようだった。
「私達はアロウズに身を投じた。ところが、アロウズにはアレハンドロの残党がいる」
「誰だ。そいつは」
 ヨハンは口ごもっていたが、やがて言った。
「リボンズ・アルマーク」
「リボンズが……アレハンドロの残党だったのか。そう言われれば、納得もできるな」
 刹那がそっと口を開いた。ニールは刹那の方を振り向いた。ヨハンが続けた。
「リボンズ……彼が、アロウズの真の黒幕だ」
「おまえさん、いつからそこまで知ってたんだ?」
「……アロウズにいた頃からだな」
「……まさか俺達を利用してアロウズに敵対させたかったわけじゃないんだろうな」
 ヨハンに向き直ったニールが気色ばむ。
「やめろ。ニール。どうせ王留美辺りはとっくに見抜いてたはずだ」
 と、刹那。
「そうなのか?」
 刹那は無言で頷く。
「王留美には前に話してある。彼女もリボンズを疑っていたようだ」
 悪びれもせずにヨハンが報告する。王留美もアロウズの真の黒幕がリボンズ・アルマークだと知ってたのか。確証はなかったようだが、その上でティエリアと刹那をアロウズのお歴々が並ぶパーティーに潜入させ――その結果、今ではソレスタル・ビーイングはアロウズとの一触即発の危機に晒されている。ニールは微かに舌打ちした。こうなるのも、早いか、遅いかの違いだけだったが――。
「……私達がソレスタル・ビーイングを利用させてもらおうと思ったことも本当だ」
「そうか――」
「勿論、私達も力を貸す。悪い取引ではないだろう?」
 ニールはヨハンのその台詞を聞いてにっと笑った。
「力を貸すのか? 貸すだけか?」
「いや」
 ヨハンは首を横に振ってからニールに言った。
「私達は――打倒アロウズの為にこの身をソレスタル・ビーイングに捧げる」
「よく言ったな! しっかし水臭ぇじゃねぇか。お前ら。今までリボンズの正体を知ってたの俺に黙ってたなんて」
「訊かれなかったから答えなかっただけだ」
「俺はリボンズのことはよく知らなかったんだから、訊きようがねぇだろ。――王留美も秘密主義だったんだな。グレンに恋したりして可愛いところもあるかと思ったが」
「リーダーは一筋縄では務まらない。さすが、ソレスタル・ビーイングの当主だ。しかし、訊かれたなら私は答えるつもりでいた」
 ヨハンはうっそりと言う。
 ヨハンは、まだ知らないのだ。王留美が普通の女の子に戻りたがっていることを。そして、全てを兄の紅龍に受け継ぐつもりでいることを。
 しかし、ソレスタル・ビーイングの当主として、彼女ほどの適役はそうはいないであろう。
(ま、全てを話す必要はないかな)
 ヨハンめ、俺をつんぼ桟敷にした罰だ。王留美もいずれ発表するだろう。ヨハンから苦情が届いたら、「訊かれなかったから答えなかった」と言い返してやろう。ずいぶん子供じみた逆襲だ、とティエリア辺りは鼻で笑うであろうか。確かに馬鹿馬鹿しい方法だけれど、それ以上の仕返しをニールには考えつくことができなかった。

 その頃――王留美は完璧なテーブルマナーで食事をしたためながら、はぁ、と溜息を吐いていた。
「どうしました? 王留美」
「元気がないようだが」
 アレルヤとティエリアが王留美と向かいの席に座った。今、調理場ではアニュー・リターナーとリンダ・ヴァスティが奮闘している。おかげでアレルヤも休憩が取れたというわけだ。
「ああ、アレルヤ。ティエリア」
 王留美が力なく笑った。
「これからのことでも心配してたんですか?」
 アレルヤが優しく訊く。
「そうでないの――こんな美味しい料理をグレンに作ってあげたいと思って」
「…………」
 恥じらう王留美を前に、アレルヤとティエリアは目を見開いてお互いに見つめ合った。
 なんか――王留美が可愛い!
「ねぇ、アレルヤ、私に料理を教えてくださいませんこと?」
「は、はい……」
「私、料理などしたことありませんから、初心者でもできるものをお願いしますね」
「わかりました。任せてください」
「いいのか? 王留美。料理は難しいぞ。キッチンが爆発しないように気をつけるんだな」
「――それは君のことだろう? ティエリア」
「う……」
 二人のやり取りを聞いて、王留美がくすくすと笑った。
「本当に貴方がたって、仲がよろしいんですのね。でも、キッチンを爆発させるのは難しいと思いますけど」
「王留美まで……」
 ティエリアはフレームレスの眼鏡を直した。
「うーん、ちょっとティエリアは独特だからねぇ……」
「君まで何を言うか。アレルヤ。殴るぞ」
 と言ってから、ティエリアはアレルヤを軽く叩いた。
「ティエリアに料理を教えるのは諦めたよ」
「アレルヤ・ハプティズム。君の教え方が悪いんだ」
「料理を作ろうとして台所を爆発させるなんて、テロリストなら一流だよ」
「それは褒めてるのか? けなしてるのか?」
「私はそこまではひどくはないと思いますけど……」
 王留美が口を挟んだ。
「けれど、今はいろいろと忙しいでしょう。王留美、貴方が普通の女の子に戻ったら教えてあげましょう」
 アレルヤ・ハプティズムが人を逸らさぬ笑みを浮かべた。

2014.9.14

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